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  • from: consolationsさん

    2011年09月06日 23時07分11秒

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    デュリュフレ レクイエム …20世紀フランス作曲家

    ERATOレーベルから1枚1,000円で出ているCDで、「レクイエム」自体に興味を覚え、カップリング曲が「グレゴリオ聖歌の主題による4つのモテット」ということで、ライナーノーツを読むまでは、デュリュフレを、バッハ以前の作曲家と思っていました。

     購入後、CDを聴いてみると、まあ軽く聴き流したのですが、聴きこむとやはり、バッハ以前の宗教曲のようで、2回、3回…と聴いて、「怒りの日」(レクイエムに出てくるパラフレーズ《ディエス・イレ》)もないし、
    どことなくフォーレのレクイエムとにているなあ、という印象を持ちました。

     そこで、ライナーノーツを読むと、1902年生まれのフランスの作曲家と知り、びっくり。
    http://www.youtube.com/watch?v=QWekKdoVOeo
    デュトワの演奏をききながら、この後の文章を読んでいただければ。

     モーリス・デュリュフレは、オルガニストとしても活躍し、19世紀末から、20世紀にかけて音楽を形成した後期ロマン派のワーグナー、12音階技法のシェーンベルク・ベルクのような何か新しい音楽手法を編み出した作曲家でないことは確かです。

     しかし、モーツァルト・ヴェートーベン没後、誰一人として古典派音楽を、後世の音楽家が、一時代、二時代時代前の音楽として作ることは、見よう見まねでも作曲出来た試しがありません。

     デュリュフレが、伝統を重んじる作曲家であったこと、創作に吟味に吟味を重ねた慎重な作曲家であったことは、作品をきけば、たちどころに分かります。

     特に、私見ですが、レストランで、食事をしていて、ハイドンの弦楽四重奏曲「日の出」、ヘンデルの組曲・水上の音楽が流れている場合、とても心地よく、聴き手は、聴く感覚すら覚えないかもしれません。音楽が雰囲気に溶け込むからです。
     これが音楽を大きく分類したケースの一つでしょう。

     もうひとつは、作品を、解説片手に聴きこむケース。たとえば、シェーンベルクの「グレの歌」、常に作曲者の意図を模索する、考えて聴く必要があるでしょう。


     現段階の私の意見ですが、まず、いまある雰囲気に溶け込む音楽は、1番だと思います。(ハイドンのカルテットなど)
     
     次に、分かりやすい音楽でいうと、ヴェートーベンのピアノ曲、月光・交響曲第5「運命」、6「田園」、9番「合唱」は、創作者の気持ち・魂を共有できるので、本を読むのに似ていると思います。
    「共感」出来る作品です。聴き手の魂に揺さぶりをかけてくる音楽。
    ワグナーのタンホイザーの歌劇でも観客は共感できるでしょう。
    ゆえに素晴らしい音楽です。

     一方、ここからは、弱冠36歳の聴き手の意見ですが、
    ブーレーズのピアノ曲は、聴くのに聴く意欲と気力が必要です。
    (海外旅行に行くようなものです、気力・体力・お金・時間がそろい行くことができ、それを超えたところに、新しい体験が待っている)
    「これは、はたして音楽かなあ」 
    聴き手を意識してない、音楽がアカデミック化している気がしてなりません。(ブーレーズは指揮者としては、私は尊敬しており、マーラーの指揮ぶりなど他の追随を許さない名演奏です)

     少し前に、きいた、(作曲者は忘れましたが、)ヘリコプター内で弦楽四重奏曲を奏でる音楽があり、CDには、ブルンブルンと音が入っていました。これは、たんなる実験音楽でしょう。こう言うのは簡単ですが、かたや、こういう音楽を「すばらしい」というということには、目ききのある人だという風潮もある。

     この正当な評価は、今を生きる明晰な了見をもつ聴き手、あるいは1世紀後に聴かれているか否かによる判断が答えを出してくれるはずです。


     さて、グチも出ましたが、20世紀フランスの音楽家デュリュフレは、ほかの作曲家にも影響されず、独自の、温故知新ワールドが、実に心地よいです。
     フォーレ・レクイエムの発表後の作品であることからも、多少の影響はあるにしても、20世紀の中で、よくぞ、心地よい「音楽」を作曲したものだと、その独自性を私は高く評価します。

     現代音楽、おそらく行く末は、古典になるでしょうが、メシアンの「鳥のカタログ」でもすばらしいと思いつつも、はっきり思うのは、自然の鳥の声を聞いたほうが、心地よいですし、
     それを言っては、芸術は成り立たないという意見もあるでしょうが、聴き手(私)が時代についていってないのかもしれません。

     「春の祭典」は、心から名曲だと思います。しかし初演時の観客の反応は、受け入れられないの一言であったときいています。

     バッハ、ヴェートーベンの後に生まれた我々だから、その音楽を堪能できる、特にCD世代は、コンサートにいかずとも気軽に曲を確認できます。

     今、現代音楽と言われる音楽が、今後どう評価されるか、楽しみです。また今後、生まれてくる偉大な作曲家の作品は聴くことができません。そう考えると人生は短かすぎます。

     ただ、バッハ・ヴェートーベン・シューベルト・ドビュッシー・ラベルなどなどを楽しむだけでも、心底十分です。それら作品をじっくり心から聴きこむ。
    それだけでも、音楽は心を豊かにしてくれますね。


    太陽の明るさ、恵みにはなかなか気づきませんが、
    月を見たら、明るいいなあと思います。
    特にクラシック音楽、特に楽譜は月で、演奏者は水面に映える月に思えます。
    楽譜が読める人は、うらやましく、月本来の明るさ、形状を望遠鏡で見るがごとくとらえられえますが、私など演奏者を通じて感動する一人です。とはいえ、みなも に映る演奏が、月本来(創作者の魂の次元)に匹敵する、凌駕するやもしれない演奏に出会えることもあります。
     水面にゆらゆらゆれる月がかもしだす美、それが演奏会。
     それを録音した音源があることは、ありがたいことです。

     日がな一日音楽を聴くわけにもいきませんから、
    (まあ、私などCDを買うために働いているようなものです)

     よい音楽に巡り合いたいものですね。

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