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  • from: Ryonukisさん

    2010年06月23日 23時49分53秒

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    追悼多田富雄さん


     「寛容」の世界が長い闇の時代の後にやってくると最期に述べられた多田富雄さん。
     免疫学の用語としても生前お使いになっていたという「寛容」という概念は、今回、負のイメージを持つ要素を排除しきろうとはしない姿勢のことを指していると思います。
     確かに言われてみれば自分のことを含め、周囲の社会や世界に欠けている要素かもしれません。
     強いものが自我中心的に負のイメージをもつ要素を徹底して排除していく世の中では問題を解決しているつもりがかえって多くの問題を引き起こすことになる、寛容の精神は逆に多少の問題をかかえながらも良質な秩序を長く保つことを可能にする、そうおっしゃりたかったのではないかと僕は解釈しています。
     「寛容」すなわち「クレメンティア」はかつてパックス・ロマーナの礎を築いたカエサルが実現していました。
     場合によっては敵を見逃す、または他の国を支配する際にもその土地の宗教や文化を存続させるなどの政策方針が、支配を比較的たやすいものにしたと聞きます。
     長い平和を現実的に実現する方針としては有効な在り方なのかもしれません。
     今、世界が病的な状態にあるということはよく言われます。「老子」的に言えば「道(タオ)」からはずれた状態と言えそうです。孔子やアリストテレス流に言えば「中庸」でない状態。仏教的に言えば、かたより、こだわり、とらわれ、の存在する状態(仏教は欲からの解放、少欲知足を説きます。いわゆる仏陀は理想化されています)。
     多田富雄さんが「寛容」とおっしゃったのは、今の世界の「道(タオ)」からのズレ方、かたよりの在り方、中庸でない原因、などに対する明快な指摘にもなっているはずです。
     逆に言えば個人の健康も世界の平和も、「道」や「中庸」などを守ることができない原因の解明や、偏り方の認識などによって軌道修正的に保つことができるのではないか、と、応用ないしは「一般化」したくなるのです。
     それにしてもやはり過去の思想的遺産は人類の宝だと感じます。
     示唆に富んだ予言をなさった免疫学者多田富雄さんにご冥福をお祈りいたします。

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  • from: Ryonukisさん

    2010年06月21日 19時43分26秒

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    自我と自己

    自我と自己の関係は、
    集中とリラクゼーション、
    前頭葉と視床、
    分析的と全体的、
    解像度と統括力、
    学問的と宗教的、
    人工的と自然的、
    西洋的と東洋的
    の関係に対応するのでは?

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