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  • from: Ryonukuさん

    2011年07月31日 19時32分49秒

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    ことば、形而上、しっぽ、バランス

    いま、となりから、言語の使用は二足歩行になったことと
    関係があるという話が聞こえてきた。
    二足歩行は尾が無くなることとクルーシャルな関係があるはず。
    いずれにせよ、心身ともにバランスの取り方に大きな変更を伴ったことが言語の使用の始まりと深い関わりがあるとすれば、言語は特に心のバランスを保とうと苦し紛れに産み出された、つまり、この世界に対する分析ツールであるとも考えられないだろうか。ぼくらは、しっぽがあれば、言葉はいらなかった?(笑)
    いや、形而上を語れるかもしれない科学は、しっぽの代わりの役割を果たすことはできるのか?(笑)

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  • from: Ryonukuさん

    2011年07月31日 16時33分23秒

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    メール引用

    ○○さん、
    前、仙骨のことを話しましたね。
    久しぶりにそれについて考えていたら、
    実質的には尾があったという事実が重要なのかもしれないと思い至りました。
    尾は体のバランスをとったり、なにかを「把握(つかむこと)」するために重要だったわけです。

    しかし、そもそも、現代に至っては心と体を分けて考えてばかりいるべきではないでしょう。我々がなにかを理解したり統御したりするのに手や足を用いているように、尾も似た働きをしていたはずです。
    では尾にはなにか特徴的な情報統御の役割があったのではないかと考えたくなります。ぼくはたぶん、バランス情報の統御の役割があったはずだと考えます。精神のバランス統御を含めてです。イメージしてみてください、自分に尾があったらと。ぼくは、強力なバランス維持が可能になる仮想的な実感さえあります。

    ヒトは尾を失った。退化させてしまった。オラウータン、テナガザルも同様。 特にこの事は、人間にとって、バランス力の弱さに大きな影響を及ぼした違いない。

    心と物を分けたのは近代以降と言われる。 だから、人間が身体的バランスを損なうことは(腰痛の原因でもあるが)、 実際には心理的バランスも損なっている可能性が充分にある。中世以前の学 者ならそう考えていたとしても何ら不思議はない。

    僕的には現代人にしっぽが生えたら、大半の精神的病はおさまるかもしれな い、と思ったりする。実は有史以前からしっぽがなくなるような生活を続け てきたからこそ、精神的に参ってきたと言うべきでしょう(笑) あと、僕が今回これを発想するにあたって、きっかけとなったのは、元気と いうのはどこからやって来るのか?という問いへの回答を模索していたこと です。

    現代のしきたりに従えない人々が表に多く出現していること自体が現代がなにか大きな変化を要求されている時代であることを示している気がします。

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    juno

  • from: Ryonukuさん

    2011年07月31日 15時15分58秒

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    尾を失ったこと

    ヒトは尾を失った。退化させてしまった。オラウータン、テナガザルも同様。
    特にこの事は、人間にとって、バランス力の弱さに大きな影響を及ぼしたに違いない。

    心と物を分けたのは近代以降と言われる。
    だから、人間が身体的バランスを損なうことは(腰痛の原因でもあるが)、
    実際には心理的バランスも損なっている可能性が充分にある。中世以前の学者ならそう考えていたとしても何ら不思議はない。

    僕的には現代人にしっぽが生えたら、大半の精神的病はおさまるかもしれない、と思ったりする。実は有史以前からしっぽがなくなるような生活を続けてきたからこそ、精神的に参ってきたと言うべきでしょう(笑)
    あと、僕が今回これを発想するにあたって、きっかけとなったのは、元気というのはどこからやって来るのか?という問いへの回答を模索していたことです。

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  • from: Ryonukuさん

    2011年07月31日 12時50分45秒

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    初論文の基本構想(?)

    『調和振動のゆらぎ
    (中心力ポテシャルの復元力による)

    情報創造の源』

    これは一般にいう、調和と創造の関係を具体的に示せたかもしれない例である。そこからの抽象化も少し行った。
    (調和振動の「調和」は、ラプラシアンの数式が、調和平均であることに由来する、座標軸間の調和性。例えば円対称や、球対称な解を持つ)

    ・非有非無の中道(仏教)
    プラマイ零で生命力最大

    ・Aは非Aであるから、それによってAである。(=西田幾多郎の絶対矛盾の自己同一;東洋思想由来)

    この二つに大きなヒントを得て、自分の経験も加味しながら、これまで、思考を練ってきた。

    発展性のない(創造性[次の自分を作るための]をあまり発揮し得ない)精神バランス=妄念=煩悩=無のバランスからずれているアンバランスな状態(ストレスや病による場合もあり)、と私は捉えている

    完全なまるい精神バランスは多くの事柄を実現に向かわせる「無」のバランスであり、創造性はMaxであることを示したい。また、発揮できる生命力はMaxであるという仏教的見解がある。形而上学的次元はバランスをその座標位置として表せるなら、座標軸上に表現可能であると思えたりもする。無限次元の場合もありそう。

    調和振動の
    中心力ポテシャルのグラディエントU’(0)=0、U''(0)>0であるとき、
    Uの形状があらゆる変数についてゼロに関して対称であるならば、つまり、
    U(x,y,z,...)=U(r) r∈R
    であるなら、
    その中を運動するオブジェクトが創造する情報は多岐にわたる。つまり、オブジェクト(次に述べる例では意識の中心、自我やコンプレックス;ユング心理学より)のあらゆる変数Aについての単振動の解が各変数軸に対して、その時その時の思考テーマとそれに対する成就の望み方の程度としての
    変数A(t)が、各々のテーマの場合についてある特定の周期の波動を形成し、複数の思考テーマたち、つまり、考えたちを重ね合わせたとき、ある種の情報創造が起きる。すなわち、周期が異なるかもしれない考えを(つまり、無意識的にであれ、考えたかったり考えたくなかったりの思考の[周期]やそれに付随する願望の度合い[振幅]が異なるような思考たち)、が調和的に(ある時点で位相が揃って)意識の上で重ね合わされたとき、
    例えば変数A1、A2、...の位相がある時点で意識上で揃うときにA1、A2、...という思考は統合されて新しい思考A'に紡ぎなおされる可能性がある。従って、思考の種類が脳波などの振幅や周期で構成されている場合、調和的統合の可能性(思考の調合可能性?)を以上の流れで示唆することができる。可能な思考の種類に制限がないと仮定するならば(制限があることは十分に考えられるので)、これらの可能な思考たちの組み合わせから有り得るような新しい思考の創造は相当量、可能であることが、この仕組みに関する以上のモデルで示唆することができる。
    統合失調症などの、考えがまとまらない病などの説明としても各思考の周期の乱れなど、思考の統合可能性を阻害する要因を見出だすことが重要であるとも示唆できるかもしれない。ただし、思考の数々が一人の人間の中で同時進行していることが頻繁にあると仮定している。
    [言わば同時進行する物語たちやこの世界をひとつの物語として見た場合の登場人物たち(つまり我々)がどこかで合流するのかどうかというような議論にもつながる(cf.物語の哲学)。例えば「波長の合う」もの同士は合流しやすい。合流のしやすさが縁の深さであると言っても良かろう]
    流れという流れに対しても、波動の観点から、以上のような議論が可能であるように思う。言ってみれば無のバランス、つまり、仏教でいう、まるい心に相当する中心力ポテシャルU(r)(情報ポテンシャルとでもいうだろうか。実質は情報エントロピーに相当するような気がするが)
    では、様々な情報創造、言ってみれば様々な情報流の創造が行われる。脳のなかに限らず、量子力学のなかでも中心力ポテシャルの捉え方は基本的な議論で現れ、様々な電子分布のモデルが出来上がっている。これは、今までの流れから言えば、無のバランスによる、無数の情報創造を意味しているといってもいいはずだ。

    このモデルからは、思考の自由度、すなわち、各思考を阻害する要因が少なく、思考の種類が充分に豊富であり、統合できるところは統合して洗練させていること、などが良い情報創造にとって重要であると言えそうだ。

    無の境地においてこそ、良い情報創造がなされるというのは、少なくとも一般的な見解と矛盾しない。人間にとって思考の自由度は健全性(健康)にも関わる問題であるが、世界一般についても、「流れ」を下手に阻害することが不健全性への一歩となることは、人間の身体や社会、経済流通などについてでも指摘することができるだろう。生命力は一般に創造性(力)に還元しうると言ってしまうのは言い過ぎであろうか。生命は自己創出するというが。

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  • from: Ryonukuさん

    2011年07月31日 12時44分33秒

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    形而上 論理

    (ささ哲学隊ねっと!への寄稿より引用)

    なあ、ことばはそもそも形而上を語るために 作られたと思わない?

    論理というのは論の運びとして自然な流れの 筋道で、ことばの本質同様形而上的な存在なのでは?

    論理的なつながりで、論と論が紡がれるのは 自然な予定調和によるものとも言えよう。論 理の流れは知の中で独立していない。世界の 様々な情報の流れとリンクしている。特に人 間の精神の中で。人間は様々な流れをうまく 紡ぐことを要求されている存在なのではない か。そのためにこそ人間には知力が備わった と言えないか?万物の霊長とよばれることに 躊躇を覚えないとすれば、自らの情報統御力 への自信がそうさせているのかもしれないが 、最近の躊躇を説明するにはある種の自信喪 失感の浮上を挙げねばならないかもしれない 。

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  • from: Ryonukuさん

    2011年07月27日 03時46分13秒

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    なんとなく

    僕のすべきことが見えてきた気がします。
    あまり、軽々しくは言えないことですが。

    でも、自分の堅い頭を解放し、救済していく必要がありそうです(苦笑)

    それが世の中の役に立つ気がします。

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    シモン juno

  • from: junoさん

    2011年07月26日 23時20分10秒

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    「Re:哲学屋さん(物理屋さん)を思い出す。」
    遺志は継げているのではないでしょうか。

    シモンさんも参加していらっしゃるし、
    ご自身のペースで続けていただければ、
    私も「なるほど・・」と感心しながら拝読しています。

     原子力の問題は、再生可能エネルギーを支持する人たちと
     原子力を擁護する人たちで昔から話がまとまりませんね。

     まるで、イスラム原理主義とキリスト原理主義が
     衝突しているような状態・・。

     お互いが様々なグループを形成。
     それに役所と政治家、産業会の派閥闘争や利害争いが
     こんがらがって、非常に複雑化しています。

     昨日は、太陽熱発電を推進する産学連携の国際シンポを
     聞きに行きました。

     明日は、ある新エネ団体の総会と講演会をのぞいてから
     原子力推進団体の講演会、懇親会に出る予定です。
      
     
     国民一人ひとりの生活と生業が日々、ちゃんと成立するように
     現実的な解決策を見出して国民に説明し、実行していくのが
     政治なのですが、今はリーダーがまったく機能していない。
     メディアもミスリード。
     
     理想は大切ですが、美意識だけでは社会は維持できない。
     それこそ、中庸でしょうか?

     電気が足りなくて年中困っているような国では
     「科学技術立国」などというスローガンは成立しないと思います。

     今日、午前中に某大学の経済関係の教授に聞いたのですが、
     記者の取材力不足が目立つという話でした。

     ところで、話は変わりますが、
     「相対性理論は間違っている」という説が
     人気を集めているそうですね。
     先週の土曜日に、ある先生と立ち話をしていて聞きました。
     
     その説にいくつかパターンがあるという話。
     詳しくは聞けませんでしたが・・・。
     

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  • from: Ryonukuさん

    2011年07月26日 16時00分48秒

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    哲学屋さん(物理屋さん)を思い出す。

    最近、哲学屋さんのここに残してくれた文章を読みました。
    きっと温厚なやさしい、学問を愛された、思いやりの強い方だったのだろうなと思いました。特に心の広さや柔軟さを大事にされていたように思います。僕は彼の遺志を継げているようには思えません。結局自己主張ばかり続けてみなが思考にふけることを妨げているのではないかとさえ思ったりします。
    もっと柔弱に、物腰柔らかに、周囲と接することができたら、と嘆いてしまいます。彼は喧嘩自体否定されませんでした。また仲直りすればいい。喧嘩のない人生などつまらないではないかと。どこまでも柔らかい、いや、しなやかなのだなと、いつものかどのある自分との違いを実感してしまいました。
    今日はなんとなくきばってる自分から解放されたような気がしました。ありがとうございました。カタルシス(魂の浄化)というやつですね。どこまでもありがたい御方です。
    来月中旬で彼がなくなって一年が経つようです。彼の遺向でもありますが堅苦しいことはもちろんやりません。ただ、どうも最近、彼の影響力が生前にも増して自分に対して強まっているような気さえしています。考えてみればお盆にかなり近い時期に亡くなられたんだなとふと思いました。ただそれだけです。

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    juno

  • from: Ryonukuさん

    2011年07月26日 08時30分19秒

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    グレイとシーベルトの関係

    照射する粒子が、同じエネルギーを与える場合でも、その種類が違うとき、質的な差から、影響力に差が出るわけですね。だから、結果的な影響量をH = D(=エネルギー量)×Q(=粒子線の種類に関わる比率的な量)

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  • from: Ryonukuさん

    2011年07月26日 05時28分03秒

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    他にも雑談的にやってみたかったけどどうなんでしょう。

    原発に関することは、名古屋にいると東京ほどの切迫感はないように思います。食物の汚染のイメージに関することは難しい問題なような気がします。
    そもそも日本はよくも悪くも、放射能の危険度の基準値が相当厳しめに設定されているとのことで、アメリカの政府関係者だったかが言っていた通り、二次被害が必要以上に大きくなっているという事態になっているみたいです。
    ぼくなどは、学部時代、量子工学が選考だったので原子力関係は一通りの基礎を学びましたが、ほぼ興味なかったのでいいかげんなのですが、年間3ミリシーベルト程度なら一応普通に大丈夫な気はしますね。
    業務に携わる人は、年間平均50ミリシーベルトはゆるされてて、実際それで身体に影響が出るわけでもないですからね。毎年でなければ100ミリシーベルトまで許されてるくらいですしね。5年間のうち一年間はそれがゆるされるんだったかなぁ。
    シーベルトというのは結局身体への影響の量的な表現ですね。ベクレルは一秒間に、その放射性物質が何回放射線粒子を放出するか(A)、つまり放射能ですね。
    グレイはある粒子が照射された対象の物質1キログラム当たりにどれだけのエネルギー(D)を、その粒子が照射された物質に与えるかですね。
    これにその放射線粒子一個当たりの身体への影響量の比をその種類に応じて決まった数値(Q)でかけて表現してやれば、その一個の粒子が与える影響量が何シーベルト(H=D×Q)あるかがわかる、ということになりますね。
    後は時間次第で照射回数(当たる粒子数)が変わるわけですから、同じ種類の粒子を照射しているなら、
    単純に放射能 A ベクレルに時間 T 秒をかけて、粒子一個当たりの影響量Hをさらにかけてやれば合計の影響量が何シーベルト(=H×A×T)だった、としてわかるわけです。
    大筋はそんな感じです。微妙なところはあるのですが、単位間の関係はこんな感じと思います

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    juno

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