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from: Ryonukisさん

2010年11月27日 13時13分59秒

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正直めまいがしました…

今、いままでのシモンさんの文章を朝読んでから3時間以上たったわけですが、次のようなテーマについて考え始めました。「普遍性が瓦解(がかい)し、多様化され

今、いままでのシモンさんの文章を朝読んでから3時間以上たったわけですが、次のようなテーマについて考え始めました。

「普遍性が瓦解(がかい)し、多様化された世界秩序における社会的調和のあり方の模索」

なんだか社会における共通認識として僕が捉えていた学知というものが、現実には社会一般にもはや広く通用するようなものではない、つまり、中心なき世界、権威なき世界、という知識人たちがその到来を予告していたものが、もうネットの世界ではすっかり同じみになっているという事実にはっきりと気づかされたような感じです。
 各々が自分の「体系」「捉え方」「観」を重要視し、下手をすれば、人類の過去の遺産である、事実を説明する理論たちさえ軽視され、持論や意見が展開される。
 確かに学問・芸術・宗教というものへの「普遍的な認識」が瓦解すれば、ルソーが学芸論で論じたような個人にのしかかる世界認識に関する外圧は撤去され、皆が自由な発想でものを考えるようになり、人類に新たな可能性を切り開く力が与えられる気がします。 しかし、と同時にその多種多様な「体系」「捉え方」「観」というものの間でおきる摩擦をいかに防ぎ社会的調和を実現するのか。
 そんなことが気になり始めました。
 驚きました。
 知の形式とも呼べるものが個人個人ここまで本質的に異なり、相互的に干渉不能なものだとは認識していませんでした。
 その結果、僕の関心は人類の心理構造のなかに共通して存在している曼陀羅という世界の構造の俯瞰図ともいうべきものが個人個人異なるらしい事実や、その曼陀羅と、社会的に一応今のところは流布する世界の捉え方との関連について考えてみたいという思いにかられています。
 今まででいうようなロゴスの時代(論理的な世界解釈のしかたは万人に原理的には通用するはずだという考えが主要だった時代だと受け止めてますが)は本当に終わったのだと思いました。もちろん、僕は思った、というだけですが…。僕が公共的なこの場で意見を述べることに僕自身、全く意義が感じられなくなりました。もっとも面白いと感じてくださる方たちがおおければやめるつもりもなかったわけですが…。むしろ不快に感じられている方の方が多いような気すらしてきました。少なくともここで他者との議論のようなものを展開する気は当面なくなったように思います。内省が必要です。

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from: シモンさん

2010年11月27日 17時34分45秒

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「Re:正直めまいがしました…」
Ryonukisさん、先ほど大事な事に気付きました。
わたしは、Ryonukisさんが、深くしっかりしたお考えをお持ちなので、私と同じ位の年齢の方だと思っていました。
でも、本当は、御若い方なんですね。

前にも申しましたように、私は、学識がありません。
難しい理論はさっぱりです。
あくまでも、基本的な知識に、自分の年輪を載せて、想うままに書いてしまい、
それが、あなた様を混乱させたのかもと思うと、心が痛みます。

私は、とても日本が大好きな人で、古い日本の生き方をするんだと想っていました。
ところが、何故か、天命がおりて、30年ほど前、日本を飛び出す事になり、
それからは、あちこち北米を移り住んで生きてきました。

世界中から集まった文化が入り交じる中で、カナダの文化とアメリカの文化では、また大きく違います。
日本という単一民族島国の文化では、立ち受け出来ない様々な文化を相手に自分も変わりながら、生きてきました。
呆れて目のタマが飛び出て、あいた口が塞がらない様な、想像もしなかった様なたくさんの世界がそにはありました。
自分が持っていた常識や、偏見がいかにちっぽけなものだったのか、思い知らされました。
それは、日本にいたら決して知る事もなかったであろうな様々な生き様のドラマでした。

今の私の日本の見方は、外から見た見解です。
大和を愛する心は、誰にも負けないつもりですが、
私は、反対側から、日本の行く末を見つめています。

いろんななまりの英語や、外国語が飛び交う社会で、
たくさんの人たちと接して生きていると、本当にたくさんの事が学べます。
一つの見解は、その人のもので良い。
でも、他の人の見解も尊重しながら、調和を見いださなければならない。

でもね、通じる所はあるんですよ。
自分が人にされて嫌な事は人にしないとか、
自分の権利を守るように、人の権利も同じように尊重しなければならないとか、

そんな基本的な事を見失わずに、イマ出来る事を一生懸命して、出会った多くの人たちに感謝して生きる。それしか私には出来ません。

今日が、どういう明日をもたらすのか、私には見えませんが、
人生最後の日に悔いだけは残さない自信があるんです。
変でしょうかね。

私という人間は、何か光を感じて、考えもしないで突っ走るんですね。
で、何十年かして、やっと、何故そういう行動に出たのか、
自分の行動のわけが見えてくるんです。

ビジネスやってみて、リタイヤしてから、ビジネススクールにいく様な変な人です。

まず、やってみて、やりながら学び、仕上げに、理論を掴むといって不器用な人間です。
でも、何故か、私には自然なんですよね。
どうしてだか自分でも解らないのが正直な所です。
それでも、太陽の暖かさを背中や顔に感じで生きていけるんです。
生きていてよかったと想えるんです。

私は、けっして、Ryonukisさんの考えを不愉快だなんてこれっぽちも想っていません。
余りの凄い知識に感心こそすれ、ホント素晴らしいと想います。



Ryonukisさんの、辛そうな想いが伝わってきて、元気になってほしいと願っただけです。どうか、ですぎたまねをして、Ryonukisさんを かえって苦しめたようで申し訳ありません。私の方こそ、自粛しなければなりません。どうか、御許しください。


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