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  • from: caminoさん

    2010年11月27日 16時29分01秒

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    ねじまき鳥クロニクル1を読んで

    11:05
    コーヒー 飲みながらブログ書きを始める。
    ねじまき鳥クロニクルを読んでいます。まだ第1部。

    「アフター・ダーク」では司法試験を目指す決意をした学生が出てきたが、「ねじまき」ではなんと法律事務所の元事務員が登場。またか。

    思えば法律家(や、その周辺の人物)というのは、題材に取りやすいのかもしれない。いい歳してカネになるかも分からない些末な議論に執着したり、自分の立ち位置を、好んで少数意見に見出したり。考えて立ち止まるのを厭わない。司法浪人は基本Mという言い伝えもあるくらいでして。そうすると、落とし穴に落とすにもってこいの人種。身につまされる思いだ。

    もっとも、想定されていると思える法律家像、特にその言い回しには、割と違和感がある。

    法律家のイメージというとどうだろう。

    いや、この人はそこまでの印象があるわけじゃないが、法律家をモデルに論理的思考の人格に描こうとしているように読める。で、それが失敗してるんじゃないかという…。

    「あるいは〜かもしれないが」という表現が多いのが、象徴的。それらが一見、分析的で論理的な思考の表現を意図しているように読めるんです…。しかし全体として、なんか曖昧な印象が残る。可能性を検討・分析したうえでの「あるいは」ではなく、常に逃げ道を残すような「あるいは」なんです。根拠のない推測をいちいち思い浮かべたり、そんな遠回りな思考しないと思うけどなあ。イチイチあるいは〜と言い出したら、キリがない。

    法律家の仕事は事実を明らかにし法を適用すること。外向きに曖昧な言い回しをあえて使うことはあっても、その思考は事実に対して分析的で過不足のないものである必要があります。これは法学の核心といえる。

    しかし過不足なくというのは難しい。視点にも依存するし。

    例えば、司法試験の論述では、過不足なく問いに答えるというのが、最もシビアな要求。事実に食らいつく。不足も当然減点されますが、過分は採点者の「逆鱗に触れる」という恐怖が加わる。まあどちらのミスも不合格となるので、気持ちの問題ですけど。はは。こういうのは体に染みつく。曖昧な思考では何も書けない。

    「ものを書く人間に見出される曖昧さには2種類ある。1つは怠慢によるものであって、もう1つは我儘による」(サミング・アップ、サマセット・モーム)

    モームは小説などを念頭においているが、答案にもあてはまる。手紙やブログにはあてはまらない。自由に書けばいい。モームも今週から読んでまして、ちょうど問題意識を文章化したものにぶつかったので。偶然です。こうなるとセレンディピティも近いかもしれない。ちなみにモームは、自身は違うが、法律家の家系らしい。

    アフター・ダークを読んで、「辺境・近境」は挫折して、「ねじまき」は3作目です(本当はノルウェイが読みたい)。2部、3部と読んで次は内容に踏み込んで書きたい。
    いつも読んで下さってありがとうございます。

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