サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: とさん
2026/05/28 11:58:26
icon
この際だから、調べたメモ、貼っとく。
日本ではあり得ない展示品。
他にも建設中、あり。
1960年代〜1970年代:
SF特撮とスペースオペラの黄金期
『スタートレック:宇宙大作戦』(1966年〜)
U.S.S.エンタープライズ号(NCC-1701)のオリジナル撮影模型: スミソニアン国立航空宇宙博物館に永久収蔵。科学と文化の遺産として扱われています。
『2001年宇宙の旅』(1968年)
宇宙服や各種プロップ・デザイン画: アカデミー映画博物館やシネマテーク・フランセーズなどに分散して収蔵。映画の芸術性を高めた最高峰の遺産です。
『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(1977年)
デス・スターの撮影模型 / ダース・ベイダーのヘルメット: MoPOP(ポップカルチャー博物館)やアカデミー映画博物館に収蔵。現在の映画アーカイブの価値を決定づけたコレクションです。
『スーパーマン』(1978年)
クリプトン星の結晶プロップ / 飛行撮影用ミニチュア: リヨン映画・ミニチュア博物館やMoPOPに収蔵。
1980年代:VFX(特殊効果)とサイバーパンクの黎明
『エイリアン』(1979年・1986年)
ゼノモーフ(エイリアン)のフルサイズ造形・ヘッド: アカデミー映画博物館やMoPOPに収蔵。H.R.ギーガーの芸術作品(彫刻)としても評価されています。
『ブレードランナー』(1982年)
スピナー(空飛ぶ警察車両)のフルサイズ撮影車・模型: MoPOPやリヨン映画・ミニチュア博物館に収蔵。ディストピアの世界観を象徴する造形物です。
『E.T.』(1982年)
E.T.のアニマトロニクス(可動模型): アカデミー映画博物館に収蔵。当時の最先端ロボット技術の遺産でもあります。
『ターミネーター』(1984年) / 『ターミネーター2』(1991年)
T-800のエンドスケルトン(金属骨格模型): MoPOPに収蔵。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ (1985年〜)
デロリアン(タイムマシン)の劇中車 / ホバーボード: アカデミー映画博物館やオフィシャルな財団の恒久コレクションとして修復・保存されています。
1990年代〜2000年代以降:
ミニチュア職人技とCGの融合
『ジュラシック・パーク』(1993年)
T-REXの1/5スケールマケット(ひな形模型): リヨン映画・ミニチュア博物館やハリウッドの専門アーカイブに収蔵。
『マトリックス』(1999年)
センチネル(イカ型の殺人兵器)の撮影模型: MoPOPに収蔵。
『ロード・オブ・ザ・リング』三部作 (2001年〜)
サウロンの指輪、登場人物の武器・防具: MoPOPや、制作を担ったニュージーランドのウェタ・ワークショップの常設ギャラリーに収蔵。
『ハリー・ポッター』シリーズ (2001年〜)
魔法の杖・各種魔法道具のプロップ: MoPOPや、イギリスのワーナー・ブラザース・スタジオの恒久展示館(常設スタジオツアー)に数千点規模で体系的にアーカイブ化されています。
なお、この博物館の建設経緯について、奥さんのメロディ・ホブソンさんの思いも含めて、とってもナラティブな経緯がありました。
あなたの知的好奇心をくすぐることができたら幸いです。icon
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 -
from: とさん
2026/05/27 02:50:37
icon
ロスに新しい博物館
日本では絶対にありえない博物館。
大阪でも元橋下知事が潰して
専用維持体制と学術研究、コレクション活動が片手落ちになった
大阪府立国際児童文学館や、
1970万博鉄鋼館にあった産業遺物コレクション。
そもそも紙資料と工芸品以外の現代品や工業製品に価値を見出さない日本人。
四散、崩壊させるくらいなら、
日本の撮影模型なんかもこちらに寄贈すればいいのに。
日本人にとっては世界最大のガラクタ博物館。
ルーカスナラティブ博物館。
https://lucasmuseum.org/
カウントダウン中、、、、
9月開館です。
求人募集中。
シカゴの自然保護団体が反対したおかげで、
ルーカス氏の母校に隣接する公立博物館群に加われました。サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 -
from: とさん
2026/05/05 18:32:53
icon
アナログな偏流測定線からレーダーまで、航法ツール -- WWIIの日本海軍機

WWIIにおいて、日本は今より広大な太平洋領域を支配しました。一方で、電気通信工学の知識や新技術活用の発想力が乏しく、本来の優位を逆手に取られてしまうこともあったようです。現代にも直結する発想力を否定する固定化を顕著に示すエピソードがあります。
WWIIの日本の艦上機には、水平尾翼に旭日のような模様や白線の入った塗装が見られます。空母にも、離艦方向に、風向を示す放射状のラインがあります。これらは、一部の国やその国民のような放射状図案嫌悪症患者の対象になるものではなく、純粋に横風を修正するために用いられた日本独自の編流測定線(目盛)でした。
真珠湾攻撃で活躍した九七式艦攻。
「そらかさい(兵庫県加西市鶉野)」の実物大模型には描かれていません。
横須賀D4Y1艦上爆撃機「彗星11型」。
靖国神社遊就館の復元彗星には表示はないようです。
愛知B7N1-2 流星(改)
九九式艦上爆撃機。
前者は、横風による進路誤差を縮小する工夫です。航空機は横風を受けると、流されて機首方向に進むことができず、大洋を長距離飛行しているとどこにいるかを見失ってしまいます。それによって、敵艦隊を発見できなかったり、発見しても位置情報が不正確になって不利になってしまいます。そこで、島や必要によってはブイを投下して、まずは自然に飛行します。横風で偏進していれば、マーカーが結果的にはある角度で観測され、その角度が横流れと合成された方向です。その角度が分かれば、機首を同じ角度で風上に向ければ、キャンセルされてマーカーを起点に目標の方位が維持できます。非常に簡単に横風修正ができますが、風の状況が変化すれば誤差が生じます。この方法は、実は日本独自の方法でした。
欧米では、この原理をきちんとした光学計測器に置き換え、非常にコンパクトに精度良く光学式「偏流測定儀(ドリフトメーター)」として視差ゼロで運用していました。したがって尾翼を利用する必要はありませんでした。
https://en.wikipedia.org/wiki/Drift_meter
さらに、無線航法システム「YE-ZB」も併用し、誰でも確実に自空母に帰還できるようになっていました。YE-ZBは、夜間でも正確に空母の方位を得ることができたので、パイロットは安心して出撃することができ、優秀な人材や機材の損耗を防ぎました。
その仕組みは、空母から指向性の強い電波で各方位に方位符号を送信し、艦載機はその符号の示す方向に進路をとれば、母艦と遭遇できる、というものでした。受信側には指向性アンテナを要しないシステムを考案したところがアイデアです。
https://militaryhistorynow.com/2024/03/11/ye-zb-hayrake-the-top-secret-radio-navigation-system-that-helped-americas-carrier-pilots-defeat-the-japanese/
このとき、指向性の電波を発信したのが、指向性アンテナでした。このアンテナの活用法はさらに発展し、高周波を用いたレーダーへと進化します。WWII中盤以降は、英米のレーダーによって大海原の日本軍は艦隊も航空編隊も位置情報を先に知られて圧倒的不利に立たされてしまいます。
このアンテナ、そう、かつてのUHF放送やデジタル放送でも使われる八木・宇田アンテナです。WWIIの15年ほど前に論文発表されましたが、「四方に飛ぶのが電波である」という発想によって、国内では黙殺されてしまいました。しかし欧米ではこの機能に注目し、無線航法装置やレーダーなどへと発展させていったのです。
なお、日本がこの指向性アンテナを知ったのは、開戦後一年を経て、シンガポールで得た英国技術資料にYAGIという符号を見て捕虜を質して初めて日本人の科学研究成果のアンテナの存在と、それが重要なコアエレメントであると知ったそうです。もちろん、時すでに遅く、高周波発生器マグネトロンに必要なニッケル、銅や、精度と安定性、耐久性のある真空管製造技術もなく、何よりも電気通信技術者をすでに多く失っていたため、開発は進展しませんでした。
新しいもの、新しい発想をネガティブに封じ込める日本企業の文化は、脈々とその頃から育まれているようですね。
なお、空母のマーキングは、発煙装置と併用して離着艦時の操艦に用いたようです。サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。



