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輝く瞳と素敵な笑顔

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  • from: 岐阜のすーさん

    2015年02月26日 06時07分01秒

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    保護者とうまく関わるために

    保護者とうまく関わりたいと誰もが思っています。でも、中には「どうしても、この人とはうまくいかない。」と感じることもあるかもしれません。
    誰にでも人の好き嫌いは、あります。相手の行いが気に入らないと嫌な感じをもち、相手の行為が気に入ると好感をもちます。これは、自分が作り上げた価値観で人を判断していることになります。誰もが自分と同じようにその感覚をもつかと言えば、そうではありません。
    でも、自分しか体験できない私たちは、身につけた感覚が、あたかも真実かのように受け止めてしまいます。人と自分とは違うということを頭ではわかっていても、感覚的には、自分と同じようにとらえてしまいます。
    実は、人間関係に制限を加えているのが、この価値観です。
    仲間はずれにしたり、似ている仲間を集めたりするのは、そのためです。その方が自分にとって安全で安心です。
    幼いうちは、この制限があまりありません。大人になるに従って、この制限が強くなっていきます。
    この事から、人間関係で生きづらくしているのは、自分自身の問題であって、決して相手ではないことがわかります。相手の問題で制限を加えているように見えても、実は、自分の価値観が制限を加えているのが本当のところです。
    時間厳守の人は、時間を守らない人を嫌います。(もちろん自分自身は、時間を守る努力をします。)
    きれい好きな人は、だらしのない人を嫌います。(もちろん自分自身は、きれいにする努力をします。)
    責任感の強い人は、無責任な人を嫌います。(もちろん自分自身は、常に責任を果たそうと努力します。)
    つまり、価値観は、人を裁くだけでなく、自分をも裁くということです。自分で自分の首を絞めている事になります。
    平和な世界を築くためには、まず、自分の価値観を緩めるところから始まります。
    親子関係でも、夫婦関係でも、家族関係でも、仲間関係でもすべて同じです。
    自分の価値観で人を裁いている間は、平和な世界は築けません。
    誰もが自分を大切にしたいと思っています。そのため、身につけた自分の価値観が自分のようにして生きていますが、自分と価値観を切り離して考えると楽になります。
    人と仲良く過ごすには、自分の価値観を緩めることが一番の近道です。
    争いは、この価値観のずれから起こります。
    親子関係でも、仲間関係でも、男女関係でも、夫婦関係でも、同じように争いを起こします。社会に出れば、同じ仕事をする中で、多くの人と価値観をぶつけ合うことになります。大きなところでは、国同士でも同じです。自分の身につけた価値観が正しいと決めた瞬間から争いがはじまります。そのため、自分の価値観を強調しているうちは、なかなか平和は訪れてきません。
    価値観が多様化している今の時代、生きづらくしているのは、自分かもしれません。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2015年02月22日 05時26分26秒

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    子育てはいくつまで

    私たちは、一人前の人として育つように子どもを育てています。ただ、目の前の子どもを完成した子どもに育てるわけではありません。
    義務教育であれば、小1から中三までの9年間になります。でも、その後も子どもの成長は続きます。そして、一人前の社会人になるまでにして、世に送り出すことになります。
    脳の90%は、10歳までに完成されます。だいたい小学校4年生くらいです。それまでに、子どもは、人としてどう生きたらよいかを体全部を使って死に物狂いで学んでいるのが人間です。(動物はもっと早いです。)
    子どもの成長に合わせて、子育ての内容が異なってきます。(たとえば、幼児期ならば、身辺自立・生活自立、児童期ならば、学習の自立、青年期ならば、経済的社会的自立を目指します。自著「若手教員指導 成功の秘訣」より)
    往々にして、私たちは、理想の子ども像に合わせて、子どもを育てようとしてしまいますが、目の前の子どもとギャップがあります。
    そのギャップを埋めるための指導をしますが、果たして目の前の子どもに無理をさせていることはないかを見抜く力が必要となります。
    例えば、生活自立ができていない子どもに学習の自立を求めても、効率が悪く、指導に時間がかかります。なかなか成果が上がりません。
    また、子どもは、教師の指導に無理があれば、離れていきます。逆に依存させる関係で結びついていると、後を引き受けた教師の指導が入らなくなります。
    目の前の子どもを育てているのは、あなた一人ではありません。私たちは、駅伝のようにタスキを次の教師に渡しながら、子どもを育て続けることになります。

    早く自立してほしいという気持ちは教師ならば、誰でももっています。でも、子どもが自立するのは、実際の社会に出た時です。
    子どもの成長を願う教師が、タスキを受け取り、精一杯子どもと関わります。
    補いながら、子どもの成長を願って指導をし続けているのです。
    目の前の子どもに関われるのは、子どもの人生のほんの一瞬です。焦らず、無理をせず、子どもをよく観察しながら、子どもに合った指導をし続けたいと思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2015年02月16日 04時48分07秒

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    挙手の扱い方

    授業中に挙手をさせる機会はたくさんあります。でも、この挙手の扱い方を間違えると、子どもは挙手しなくなることがあります。人前で話をすることが苦手な子になるのも、この間違った挙手をし続けた結果かもしれません。
    例えば、算数の授業の際、課題に対して自分の考えをまとめる時間を取り、自分のノートに考えを書かせたあとに言葉かけをしたとします。
    「わかった子は、手を挙げてください。」と子どもに言葉をかけるのと、「自分の考えが書けた子は、手を挙げてください。」と子どもに言葉をかけるのでは、挙手率が変わります。

    自分の考えを話すには、次の条件が整っていなければなりません。
    1 考えがある程度まとまっている。
    2 考えた事に自信がある。
    3 話し方がわかっている。
    4 みんなの前で話ができる。

    ノートに自分の考えが書けるということは、自分の考えがある程度まとまっていることを表しています。
    この状態を問うのが、「自分の考えが書けた子」という言葉かけになります。
    「わかった」というのは、書いた考えが「わかったこと」という自分の判断がなされた結果になります。
    ですから、「自分の考えたことが、あっているのか、間違っているのかわからない。」という判断をした子どもは、挙手することはできません。
    「わかった子」と先生に質問されて手を挙げる子は、それなりに自分の考えに自信がある子になります。
    ですから、自信のない子どもは、挙手できないため、挙手率が下がることになります。
    そして、わかった子の中から教師が指名し、発言させるとなると、その時点でまた、挙手率が下がります。
    つまり、みんなの前で話をしなければならないということは、話し方がわかっていて、みんなの前で話ができる子になっていなければならないからです。
    うまく話ができないと感じている子やみんなの前で話をすることに抵抗がある子は挙手できなくなります。
    そのため、ますます挙手率が下がります。
    「わかった子」を挙手させ、指名している体験が重なると、この4つの内容がすべてそろっている子だけで授業が進むことになります。
    いつも同じ子ばかりが挙手している状況があるとすれば、子どもの問題ではなく、この言葉かけを教師がし続けたために、挙手できない子どもになったと考えることができます。
    そして、挙手した子どもだけで、授業が進むとなると、挙手しなければ指名されることがないという安心感を子どもに与えてしまうことになります。
    こうなったら、ますます子どもは、挙手しなくなります。

    真剣に授業に向かう子どもに育てるためには、ある程度の緊張感が必要です。(「真剣」とは本物の剣を使って戦うという意味ですから、まさに一つ間違うと切られてしまう危険があるという言葉のとおりです。)
    自分の考えが間違っている、不安がある子どもたちが、堂々と挙手することができるためには、「わかった子」という言葉かけでは無理があります。
    中には「間違えることが勉強なんだ。」「学校は間違えるところだ。」などと少しでも安心して挙手ができるように話す教師もいます。
    でも、根本的に「自分の考えは間違っている。」「不安がある。」という問題を解決したことにはなりません。
    もともと自分が考えたことに間違いはあるのでしょうか。
    考えたことと課題の正解と重ねた時に合っているかどうかを心配しているだけで、考えたこと自体はすごく自然な事で、自分の体験や経験して作りあげられた内容ですから、間違ではないはずです。
    どの子も、考えを生み出した時には、自分の体験や経験に基づいて精一杯力を発揮して、作り出した考えです。体験や経験の違いから、違いが生まれただけです。
    ですから、この「自分で考えた」ということに自信と誇りをもたせることができたら、間違いや不安を解消することができます。
    授業が学ぶところであり、今の自分からさらに伸びようとするためにみんなで支え合っていくという考え方をもちながら、「自分で考えた」事の素晴らしさをみんなで認め合うそんな学級作りが挙手率を上げることになります。
    ですから、「自分の考えを書けた子」という言葉かけが重要になります。
    挙手した子どもに「素晴らしい。よく頑張ったね。一人で精一杯考えたね。」と子どもたちを褒めてやりたいと願う気持ちをもちたいと思います。
    もし、書けていない子がいれば、支援をしようという構えがあるから、この言葉をかけるのです。決して正解を求めるのではなく、子どもたちが考えた個々の考えを生かすためにまず一人一人に自分の考えをもたせたいという気持ちが、この言葉かけになります。
    「聞いて学べばよい」という考えを教師がもっていると、挙手率は下がります。「どの子も挙手させたい」と考えている教師だけが挙手率を上げることができます。
    どの言葉かけを選ぶかは、教師次第です。教師の子ども理解の違いが選ぶ言葉を作り出します。

    その言葉を選ぶ背景には、教師の挙手の扱い方に関わる考え方の違いがあります。
    挙手を子どもの意見を聞くための道具とするか、子どもの理解の程度を探る道具とするかという違いです。

    意見を聞くための道具というならば、4つの内容をクリアし、意見を言いやすい状況を作り出す必要があります。そうでなければ、どの子からも意見を聞くことはできません。一部のできる子どもだけの授業になります。

    さて、あなたは、挙手をどのように扱っているのでしょう。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2015年02月06日 05時17分32秒

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    逃がさない

    子どもに学力をつけるために私たち教師は、日々努力しています。
    よく教育は、「引き出すこと」と言われます。
    でも、その子どもが自分に自信がなかったり、勉強が嫌いで逃げようとしていたりすると、なかなか引き出すことは難しくなります。
    「そんなことないよ。あなたには、素晴らしい可能性がある。」などと言っても「私は、だめだ。」「いくら努力してもだめだ。」と思っている子どもには、通用しません。
    すぐにあきらめたり、ごまかしたりしてしまいます。

    ここは、根気比べになります。
    「必ずできるから。」「あなたには力があるから。」と感じさせる体験を繰り返し、繰り返し子どもに体験させます。
    それでも、あきらめたり、ごまかしたりしているようならば、本気で叱らなければなりません。
    顔色を変え、怖い様相で、声を荒げ、本気で、「必ずできる。」「力がある。」と訴えます。少しでもやる気を見せるまで、譲れません。
    「私は、本気であなたに力があると思っているんだ。できるのに力を出さない事はもったいない。やってみなさい。」と叱ります。
    ここは、絶対譲れません。諦めることは教師としてできないのです。
    まず、第一歩を踏み出す勇気を子どもにもたせなければなりません。
    階段を上れるようになるまでの幼児の姿を思い出してみれば、わかります。1段目が上がれれば、2段目、3段目は、1段目ほどの苦労はありません。つまり、1段目に一番力を注がなければなりません。子どもに学力をつけるためのその第一歩は、目の前の階段を上ろうとするその第一歩が大事になります。上ろうとしない子どもに階段を上ろうとする勇気をもたせるための支援が必要です。
    その第一歩を踏み出したら、その姿を心から喜び、「ほら、できるじゃない。」「それでいいんだよ。」「その調子だよ。」と笑顔で話し、頼ってきたら、思いっきりそれに応えます。
    子どもが諦めるのは、教師が諦めるからです。
    いろいろな感情を駆使しながら、子どもに第一歩を踏み出させます。
    感情に流されるのではありません。感情をコントロールしながら、子どもと対峙します。
    子どもをフォローするチャンスがある限り、諦めずに粘り強く、その気にさせる努力をしたいと思います。残りわずかです。本気を子どもにぶつけたいと思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2015年02月02日 05時47分20秒

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    変化すること

    私たちは、子どもたちを育てる仕事です。育てた証拠は、子ども状態の変化となって現れます。
    私たちは、この変化を見て、「この子は育った。」と判断しています。
    つまり、変化のとらえ方次第では、成長のとらえ方が違ってくるということになります。
    指示命令をして、行動が変わることがあります。それでは、これを成長ととらえることができるでしょうか。

    これを成長ととらえる教師はいないと思います。
    それでは、何が変わると成長としてとらえることができるのでしょう。
    行動を変える背景に何があるかということが重要になります。
    「先生が言ったから~をした。」という子どももいます。
    「先生が怖いから~をした。」という子どももいます。
    「先生を信頼しているから、~をした。」という子どももいます。

    もし、これらの理由で行動が変わったとしたら、一時的な行動の変化でしかありません。
    これでは、成長ととらえることができません。
    よく担任が変わると行動が変わってくる子どもがいます。
    これは、担任教師に依存していた子どもの姿ということになります。
    これは、成長とは言えません。

    私たちは、教師の力量を目の前の子どもの姿で判断してしまいますが、本当に力のある教師は、教師が去っても、子どもの行動の変化が変わらない子どもに育てる教師だと思います。
    つまり、子ども自身が自ら判断し、行動できる変化をもたらした教師こそ、力量のある教師だということです。

    先生がいようがいまいが、関係ないのです。子どもが成長したから、自らの力で歩むことができるのです。
    それでは、この力量のある教師は、何を変化させたことになるのでしょう。

    行動の裏にある内から湧き上がる感情を変化させたことになります。
    例えば、掃除です。
    部屋を掃除してきれいにした時、気持ちよい感覚があれば、きれいにしたいという感情が生まれます。
    教師が掃除をしなさいと言ったから掃除をしている子どもには、この感覚がありません。ですから、きれいにしたいという感情が芽生えません。
    でも、綺麗になった教室が居心地がよいと感じるまで掃除の指導をし続けたならば、子どもは、きれいにしたいという感情が生まれます。
    この感情をもてば、教師がいなくても、教室が汚れていると気になる子どもになります。ですから、自分からごみを拾ったり、物を整理したりして教室をきれいにし続けようとします。
    学年末を迎え、教師のいないときの子どもの姿を見て、どんな子どもを育てたのか振り返ってみると自分の力量が見えてきます。

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