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輝く瞳と素敵な笑顔

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年03月31日 05時38分20秒

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    学校を去る日

     いよいよ長年勤めた学校を去る日がやってきました。卒業式、離任式と人との別れを済ませた後、最後に残されたのは、学校との別れです。

     思い出の場所、思い入れの仕事など精一杯取り組んだ足跡が残っている学校と別れることは、人と別れることと同様に辛いものを感じます。

     新年度の準備を迎えた部屋、残務が残っている部屋、次年度の備品・消耗品が山済みとなった部屋など新年度の準備を迎え、新しく生まれ変わろうとしています。そして、その姿を最後にじっくりと目に焼き付けておこうと思います。

     3年間した仕事の多くは、人との関わりが多く、形として残っているものが少ないように思います。

     やり切っていない仕事がまだまだあると思いつつも去らなければなりません。刹那さを感じながらも、後を託す人がいることの安心感さえ感じています。

     教師としてまだまだ未熟な私を受け入れてくれた学校
     すべきことを発見することができた学校
     組織として動くことの大切さを見つけた学校
     
     教員人生の大きな1ページを飾った思いで深い学校が目の前にあります。
     
     大切なメンバーと過ごした思い出の場所が新しいメンバーと共に新しく生まれ変わっていきます。まるで、生きているかのようです。今後、どんな学校に生まれ変わっていくのかと少しの心配と期待をもちながら去ることになります。

     これも人生です。出会いがあれば、別れもあります。

     校舎の前に立つ私は、3年間の実践を積んだ私です。過去を振り返るのではなく、そんな過去を背負った私です。それは、3年前よりも成長し、豊かになった私です。

     感謝の気持ちを込めて、深々と校舎に礼をして、去ろうと思います。

    そして、振り返ることなく、前を向いて歩いていこうと思います。 

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年03月30日 04時33分44秒

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    新しい環境で生かすこと

     人事異動の対象となりました。新天地での新しい目標を設定し、意欲をもって取り組もうと考えています。

     新しい環境では、今までの取り組みで通用することと通用しないことがあります。これは、当然といえば当然です。

     ただ、どの環境であっても自分らしさは大切にしたいと思います。

     さて、自分らしさとは一体なんでしょう。これが、分かるようでわからないのです。

     物事の捉え方、人との接し方、大切にしていること、興味関心のあること、行動の仕方等、人とは違うと思うことは数多く挙げることができます。しかし、これらは、自分らしさの一部であって、全体ではないように思います。

     一生懸命に考えれば考えるほど分からなくなります。

    ・優しいこと
    ・厳しいこと
    ・謙虚なこと
    ・誠実なこと
    ・思いやりのあること
    ・時間に厳しいこと など
     いろいろな面が自分にあることは、分かります。しかし、これも自分の全体ではありません。

     そして、その現れ方は、場面によって異なります。

     となると、これらをうまく新天地に合うように使い分けることが自分らしさを生かすことになるのではないかと思います。

     新しい環境の中で自分を生かすということは、環境に合わせて自分を変えるのではなく、自分の中にあるものの中でその環境に合うものを選んで対応することのように思います。
     
     これならば、どんな場面であっても自分らしさを生かすことができます。
     今までの環境で作り上げたものが、壊れてしまうかのような錯覚に陥るのは、今の自分がすべてだと勘違いしているところにあるように思います。

     自分には、様々なよさがあり、生かす場に合ったよさを出していくと考えれば、どんな環境であっても対応することができます。

     実際に今までもそうやって生きてきたように思います。

     新しい職場で、求められている自分は何だろう。それをできる限り早くつかみ、自分の生かし方を考えることができれば、早く環境に慣れることができるように思います。

     ここには、不安はありません。期待と可能性が満ち溢れています。どんな自分を創り出すことができるのか、新たな挑戦が始まります。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年03月25日 05時05分21秒

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    一緒に仕事をしたい人

     公立学校に勤めていると、一所に留まることなく、数年経つと職場を転々としなければなりません。

     毎年行われる離任式に離任される先生のお話を聞きながら、「あの先生ともっと一緒にしたかった。」という気持ちが溢れてきます。

     誰にでも、一緒に仕事をしたいと思う人は、一人や二人はいるのではないでしょうか。

     そこで、どんな人が一緒に仕事をしたい人なのか、一度整理をしてみました。

    ・互いの気持ちが通じる人
    ・仕事に誠実な人
    ・相手を思いやる人
    ・努力を惜しまない人
    ・誰にでも気軽に声をかける人
    ・失敗を恐れず、前向きに取り組む人
    ・明るくいつも笑顔でいる人
    ・子どもを大事にする人
    ・一緒に仕事をしていると楽しい人

     よく考えてみると、これらの人は、自分自身が描く教師像だということがわかりました。
     きっと憧れをもって接しているから、一緒に仕事をしたいという気持ちになるのでしょう。
     
     そして、一緒に仕事をしている時に、この人とは「合わない。」とか「合う。」とかという言葉を使うことがあります。
     これも、きっと無意識のうちに憧れの自分といつも比べながら仕事をしているのだろうと思います。

     憧れる教師像をあまり意識せず、何気なく仕事をしていると、結果として「合う」「合わない」が生まれてしまいます。

     憧れを自覚しながら、仕事をしている時には、鋭さがあります。そして、こだわりがあります。そのため、相手にもそれが伝わっていきます。

     離任式を迎える時、一緒に仕事をしたい人がいるとすれば、なぜ、その人にそれを感じるのかを探り、目指す自分の教師像として自覚したいものです。

     新年度を迎える今、目指す教師像を自覚することで新たな挑戦を始めることができます。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年03月24日 05時25分10秒

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    望まれる自分

     誰もがよりよく生きたいと願いながら、生きています。そして、私たち教師も同じです。

     また、一方では、変化を嫌う気持ちもあります。現状で満足していれば、これ以上変化させる必要はないと思うのです。

     この思いの違いはどこから生まれてくるのでしょう。

     これには、願いの高さに関係がありそうです。

     より高い目標を決めると、現状では対応できないために、変化がどうしても必要となります。

     ただ、その目標を自ら決めるところに本当の価値があります。それは、自分にとって必要だと感じているからです。

     例えば、年齢を重ねると、今の立場ですまなくなります。影響力も大きくなってきます。その環境の変化に対応できる自分を維持するために、必然的に目標を決めなおすことにもなります。

     担任であれば、担任としての目標を設定で十分です。学年主任になれば、学年主任としての目標を設定します。ただ、十分できないとその立場の人としての信頼を仲間から得ることはできません。

     なりたくて学年主任等の役職をするわけではないため、どうしても自分にとっての必要感が生まれないと感じることはあると思います。ここが、目標設定に関わる意識が弱くなり、自分にとっての必要感がなかなか生まれてこないのです。

     しかし、これを自分にとって価値のあることだと考えると必要感を生み出すことができます。

    例えば、
    ・今の見方とは違った見方ができ、自らの資質を上げることができる。
    ・人間関係が今まで以上に築けて、楽しい生活を送ることができる。
    ・自らの力を伸ばすことができ、今後の生活に役立てることができる。
    ・世界が広がり、今より大きな夢がもてるようになる。
    など、自分にとってよい方向が見えるところまで深く考えてみると、受け入れることができ、必要感が生まれます。
     また、望まれる自分があること自体、存在感があることなので、存在価値を持たせるために何かしなければという必要感を生み出すことはできます。

     私たちは、一人で生きていくことはできません。常に人と関わりながら生きています。自分のためだと思うことが人のためになっていることはいくらでもあります。

     望まれた自分に価値を見出すことは、まさにこれだと思います。新たな自分に挑戦することが、仲間のためにもなるのです。

     新しい環境の中で校務分掌が決まるこの時期は、自分にとって、どんな価値があるのかを見つめるよい機会になると思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年03月23日 05時25分45秒

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    後に残すもの

     いよいよ異動がわかる時期になってきました。よく「飛ぶ鳥後を濁さず」と言われます。
     これは、次の方が仕事をしやすいための配慮のある言葉だと思います。
    前任の方の後始末の悪さが、後任の方の仕事に影響を及ぼしては大変です。できる限りの努力をし、仕事がしやすい状況を作って、引き継いでいくことはとても重要になります。

     この時、引継ぎ内容をきちんと整理し、分かりやすくしておくことが次の方の仕事の効率を上げる上でとても重要になります。

     「分からないことがあったらいつでも言って下さい。」と伝えておくことも大切ですが、その連絡のために互いに大事な時間を割くことになります。これでは、引継ぎがうまくできたとは言えません。
     
     「あなたの好きなようにやってもらえばいいですよ。」と言われても困ります。すべてを創り出すだけの時間も十分に確保できないと仕事が滞ります。参考になるものがあれば、効率よく仕事ができます。

     私たちは、組織の一人として仕事をしています。自分のしやすいようにしている仕事ではありません。互いに助け合ってしている仕事なのです。そのために必要最低の努力を欠いては、組織が機能しません。

     お世話になった仕事にどれだけの愛情をもっているかは、その仕事を終える時の姿勢に現れます。
     引継ぎ内容への思い入れは、仕事への情熱の表れです。そして、次の方への仕事への情熱のメッセージになります。
     そして、それは、自分の生き様につながります。一つ一つへの思い入れをかみ締めながら、後に残すものを作りたいものです。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年03月19日 04時51分24秒

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    時間を守る

     時間を守ることは、子どもたちに大切にしてほしいことの一つです。しかし、なかなかそれができないのが現実です。

     時間を守ることがなぜ大切なのかを子どもたちにどのように話しているのでしょうか。

    ○動きが揃うこと
     誰もが時間を守れば、決めた時に決めたことができます。
    ○計画性が身につくこと
     何をどのように進めればよいのか考えながら事を進めることができます。
    ○見通しがもてること
     あらかじめ決められた時間にすることが分かっているので予測ができます。
    ○思いやりがもてること
     同じ思いで守ろうとしている仲間に気遣いができます。
    ○判断力が身につくこと
     時間の制約の中で、できることとできないことを判別できるようになります。
    ○創造力が身につくこと
     したいことを時間内に効率よく収めるための工夫をすることができます。
    ○緊張感を生むこと
     時間内に活動が収まるかどうか心配し、焦る気持ちをもつことができます。
    ○安心感を生むこと
     時間通りに事が進むため、不意を食らうことがなく安心できます。
    ○信頼を生むこと
     動きが予測できるので安心して頼ることができます。

     ゆとりは、決められた時間があるからゆとりなのです。効率を上げた成果としてゆとりが生まれます。

     何もしないところにゆとりはありません。自由に時間を与えればゆとりが生まれるというものではありません。

     子どもたちによく自由時間を与えることがありますが、互いに好き勝手な時間を過ごしているうちは、学級としての秩序は生まれません。

     ただ、緊張感をほぐす自由な時間は、学校生活には必要です。しかし、それ以上の自由な時間は不必要です。

     「学校生活を1日送ると、楽しいけれど疲れた。」と感じる生活を遅らせたいと思います。きっとこの疲れは、学びを生む疲れになるはずです。

     子どもと過ごす大切な時間です。この子たちのために、今何をすべきかをじっくり考えながら、充実した生活を送りたいと思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年03月18日 04時54分37秒

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    その子に合った指導

     私たちは、一人ひとりを大切にしたいと常に考えて、指導をしています。そして、できる限り個に応じた指導になるように心がけています。
     
     個に応じた指導が、指導する子どもに合っている指導かどうかは、別になります。

     私たちは、相手に対して何らかの希望や期待をもっています。ですから、その願いをもっている時に例えば、「この子には、こんな指導が必要だ。」と、考えることがあります。

     これも個に応じた指導になります。しかし、子どもがそれを望んでかどうかは分かりません。

     教師の願いが強ければ、子どもは、
    ・先生が言うから
    ・先生の期待に応えたいから
    ・学級の仲間が認めてくれるから
    などという思いで頑張ろうとします。これは、子ども自身が望んでいるものではありません。

     当然、教師の期待に応えられれば、自信にもなります。そして、ある程度の達成感をもちます。しかし、本当の自分の願いではないので、満足はできません。

     また、期待に応えられなければ、自信をなくしたり、教師を責めたりします。できなかった原因を探って努力しようという気持ちにはなれません。

     子どもが望むことならば、失敗を失敗とせず、何とか頑張ろうと原因を探って、再度挑戦しようという気持ちももてます。

     つまり、内発的な動機付けによる場合と外発的な動機付けによる場合の違いがこの行動の違いとして現れてくるということです。言い換えると、子どもの行動の裏にある心のあり方が問題だということです。

     私たちが指導しようとすることの多くは、外発的な動機付けになります。本当に子どもに合った指導とは、子どもの心に合っている指導になります。そのためには、常に子どもの心を探る努力をしなければなりません。

     子どもがどんな思いでいるのか知るためには、常に子どものそばで「この子は、どんな思いで行動しているのだろうか。」と探り続ける必要があります。

    「今、あなたはどんな気持ちでそれをしたの?」
    「今、こんな気持ちでしたのかな?」
    「それとも、こんな気持ちがあったのなか?」
    などと、子どもの心を探る努力をしていると、行動を見ただけで、子どもの心が分かるようになってきます。

     これは、褒めたり、叱ったりすることでも同様です。子どもの願いと合っていることを褒めたり、叱ったりすることならば、子どもは受け入れやすいものです。それが異なっていると、子どもは、違和感を感じます。
     褒められても素直に喜ぶことができません。叱られれば当然受け入れられず反発をしたり、教師側に責任を転嫁したりします。

     子どもの心をつかむことは、私たち教師が常に意識していなければならないことの一つです。それも指導を左右するとても重要なことなのです。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年03月17日 05時43分11秒

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    言葉に振り回されていないか

     「前は、こう言ったのに。先生のうそつき。」などと子どもに言われるとかなりショックを受けます。

     私たちは、子どもたちに多くの事を話します。そのため、以前話したこととは場面が違っているため、異なったことを言っているように受け止められることがあります。

     これは、子どもが悪いわけでもなく、また、教師が悪いわけでもありません。当たり前のように起きることなのです。

     教師側が理解させたいと思っていることを子どもがそのまま理解していることはありません。必ず子どもが経験したことを元にその場に合った理解をしているだけなのです。

     しかし、「うそつき」などと言われると心地よいわけは、ありません。今後の信頼関係が崩れては大変ですから、必死に抵抗を試みることになります。
     
     そこで、言い訳をしたり、事情を説明したりすることがあります。そして、子どもが納得するまで、何とかしようと言い続けることになります。

     これでは、なかなか収まりません。子どもが思ったことを否定してかかろうとしているので、とても高い壁になってしまっています。その壁を取り除くために必死になっている自分に気づかずに言葉を発しています。

     そんため、今、話をしたいことがいつの間にかどこかへ行ってしまい、忘れてしまいます。

     これでは、大変です。ここでは、子どもが「うそつき」と言った裏をじっくり考えることが大事なのです。

     なぜ、「うそつき」と言うかと考えると、話したことを受け入れたくないという思いが潜んでいることに気づきます。

     責任を教師側に求め、否定することで、今まで考えていたことを否定された自分を守ろうと子どもは必死で抵抗しているのです。

     今の問題から逸れないないための対応を考えなければなりません。

    ・「そう思われても仕方ない。言い方が悪かったね。」と謝る。
     子どもがうそつきという教師を否定した言葉を受け入れ、それを言い方が悪いことに置き換えて、話します。
     これならば、誤解される教師側の問題にして、「ごめんね。」と謝ることができます。これなら、「うそつき」というレッテルは剥がれます。
     
    ・その上で、誤解を解くために「うそつき」と判断した以前の場面を想起させ、今の場面と状況が違うことに気づかせる。
     誰でも自分の都合のよい判断をすることがあります。子どもが解釈したその場面を想起させながら、一緒にその場面と今の場面との違いを十分に見つめるのです。その中に「言葉足らず」で間違って捉えられたことや誤解を生じる原因が見つかることがあります。
     十分に子どもの話を聞き、今の状況で大切にしたいことを話します。

     子どもたちは、実際に行動する言葉を受け入れていることが多く、教師が大切にしている価値観にはなかなか気づかないでいることがあります。
     そのため、行動する裏にある価値観をじっくりと話しておかないと誤解を招いたり、行動ができなかったりします。

     子どもの話した言葉に振り回されることなく、本当に言いたいことは何だろうと子どもの心を見抜こうとする癖を身につけることが重要だと思います。
     ただ、これもすぐにできるわけではありません。試行錯誤の連続です。ですから、後から気づくこともかなり多いはずです。それが、子どもから学ぶということかもしれません。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年03月16日 06時04分19秒

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    我慢すること

     好きだと思うと意欲的に取り組めますが、嫌いだと思うとなかなか足が前に進みません。これは、誰もが経験することです。
     この好き嫌いの感情が、物事の取り組みを決めていくとするととてももったいない事だと思います。
     それは、力があるにも関わらず、力を十分出し切れないと思うからです。

     子どもを見ていると、ある事が嫌いだと思うとそのある事に関わるすべてを嫌いにしてしまう。大人のように融通をつけることがないのです。

     これも経験をしながら、次第に我慢をしたり、適当さを学んだりすることで柔軟性が増してくるのだろうと思います。

     それでは、その柔軟性はどのように身につけていくのでしょう。

     きっとそれは、辛抱強く我慢する事が生活の中にどれだけあるかということと関係がありそうです。

     自分の感情を抑えることができないから、思い込んだらまっしぐらに突き進んでしまうのでしょう。自制心が働けば、それを止めることができます。

     しかし、自制心は子ども任せにしていては、なかなか身につかないように思います。

     もともと抑えきれないから感情がむき出しになるのですから、それを自分で抑えるということは難しいものです。そんなときに手助けがあるかどうかが重要な鍵になります。我慢しなさいと言ってなかなか我慢できるものでもありません。

    例えば、
    ・我慢すれば、次によいことがある。
    ・我慢することを褒めてもらえる。
    ・我慢することで、気づくことがある。
    ・仲間との関わりがよくなる。
    ・我慢することで、新たな学びができる。
    ・我慢強くなる。(忍耐力が身につく)
    等、我慢することのよさがあれば、我慢できます。

     これは、我慢した経験のあるものにしか分かりません。

     常に我慢をするということではありません。我慢する辛さもわかりながら、ここは我慢しなくてもよいとか、ここは我慢しなくてはならないと自ら判断できるようにすることなのです。

     我慢するにはそれなりの理由があります。その理由のためなら、多少の我慢ができるという思いにさせたいのです。
     
     ただ、「我慢しなさい。」では納得できずに、抵抗を覚えます。経験の少ない子どもには納得できないことをすることは難しいのです。必ず導く必要があります。
     
     そして、この我慢する理由が価値観として、子どもに伝わっていきます。

     私たちが目標達成のためにする努力は、まさにこの我慢の積み上げなのかもしれません。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年03月15日 04時35分28秒

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    違いを受け入れること

    自分は正しいと思っていることは、どんどん自分で事を進めていきます。逆に少し自信がないということは、進めることに躊躇します。
     
     この判断一つが事を進める上で重要な役割を果たしています。

     自分で判断できないときには、人に頼ります。

    子どもたちは多くの場合経験が少ないため、頼ることことは当たり前として捉えています。

     これが意図的に行われているのではなく、無意識のうちにしているため、頼っていることさえ、気づいていないことが多いようです。

     感覚的にいいと思ったことを受け入れています。その根底には、相手との信頼関係があります。
     そして、信頼しているから誤りはないというように信頼することと受け入れることが一体となっています。

     ですから、子どもが親に似るのは、当然といえば当然です。

     私たち教師は、親以上の関係を子どもと築くことは、できません。しかし、その努力をします。そして、その成果が1年間の努力として子どもに受け入れられて、今、目の前にいる子どもの姿となっているのです。

     このように考えると信頼関係を築くことは、考えを受け入れてもらうための近道となります。逆にこの信頼関係が築けなければ、なかなか考えを受け入れてもらえないということにもなります。

     子どもたちが、「そんなことをしていると、嫌われるよ。」と言われないために、相手に合わせるという行動をとるのも意味があるのです。

     いくら、「あなたはあなただよ。」とか、「人はみな違っていていい。」などと言っても、子どもには通用しません。違っていることは、不安につながります。その不安を乗り越えて、違うことをしたり、言ったりすることはできません。違えば排斥されるか、強要されると考えているのですから、子どもにとっては、脅威となります。

     一緒だと安心するのが子どもなのです。違っていても安心できる時は、違うことが当たり前となっている環境の中にいる時です。

     山の頂上を目指す道はたくさんあります。しかし、目指す頂上は一緒だという考えがあると子どもは、自由に山登りができます。この道しかだめだとなると揃えることで精一杯になり、自由に山登りができません。

     違っていてもいいという視点をどの場で設けているかが、その教師の力量につながります。

     掃除の仕方を揃えます。本当に揃えなければならないのでしょうか?きれいにしたいという願いがあれば、仕方が揃っていなくてもよいかもしれません。

     学習の準備をそろえます。本当にそろえなければならないのでしょうか?この時間にこれだけのことを学ぼうという願いがあれば、自然に揃うことはないでしょうか?

     違いを受け入れられないのは、ひょっとすると教師側にあるのかもしれません。

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