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輝く瞳と素敵な笑顔

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公開 メンバー数:17人

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年12月31日 05時42分54秒

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    できることとできないこと

     いいことは、何でもしたいと思う。しかし、限界があり、どれもできることではない。ある一定の枠の中でどれがいいのか決めてすることになる。どれを選んだかということで、選んだことを問題にすることがあるが、それは大した問題ではない。何をするにしてもいろいろな方法があり、それは1つの方法であり、それがベストだと言い切ることはいつもできない。それよりもなぜそれを選んだのかの方が大事だ。
     目指す方向が違っていれば、どんな方法を選んでも目指す方向が違ってしまう。その事を見極めることの方が大事なのだ。保護者とトラブルを起きる場合、この方法でぶつかることがある。それぞれの家庭には、それぞれの子育ての方法があり、学校で指導していることとずれることはいくらでもある。ただ、目指す子どもの姿が同じならば、互いのやり方は認め合うことができる。ここをじっくりと話をし、互いに理解し合わないといつまでいってもつながらない。
     どの保護者も子どもを健全に育てたいと思っている。学校で目標を掲げている子どもの姿は、どの親でも納得できる姿である。だから、各家庭の目指す子どもの姿と一致している点を探し出すことはできるはずだ。この努力は、各家庭の保護者がすることではない。教師が各家庭に合っていることを伝えるところから始まる。学校のしていることへの信頼は、ここから始まる。家庭で育てたい子どもの姿に合致するように学校が支えているという感覚をもって保護者に当たりたい。
     子どもの一日の生活は、家庭よりも学校の方が長い。ということは、それだけ学校が負う責任は大きい。学校が傲慢になってはいけない。学校の職員は、数年経てば変わってしまう。しかし、家庭や地域はそれほど変わらない。だからこそ、家庭や地域に合わせることが大事であって学校に合わせることではない。学校は窓を広くし、どの家庭にでも当てはめられる内容をもっている。だからこそ家庭や地域も信頼し、支えようとするのだ。「うちは、学校と方針が違うから。」「学校は、学校、家庭は、家庭。」などと言わせてはいけない。常にどんな状況であっても学校が支える側になるだけの窓の広さをもって当たりたい。本来、苦情などあり得ないのだ。それぞれの家庭をサポート仕切れない学校の力不足があるだけだ。「もっと家庭を支えてよ。」という叫び声として保護者の声を聞きたい。ずれがあると思うから苦情にしてしまうのだ。いつでも学校は家庭や地域を支える存在でいたい。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年12月30日 05時03分04秒

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    思い通りにしたい

     きっと誰もが自分の思い通りに世界が動くといいだろうなと思っているだろう。実際に世界は自分の思い通りに動いている。それを実感しているか、いないかの違いがあるだけだ。
     思い通りにいかないと思ったとき、本当に思い通りになっていないのだろうかと深く考えてみる。思い通りになっていないとすれば、何かが抵抗している。その抵抗が大きいから、思い通りになっていないのだ。しかし、本当はその抵抗が自分の思い通りのことなんだ。
     一人になりたいと思っているのに、仲間の輪に入りはしゃいでいる時、仲間の輪を乱すことがある。すると、仲間からは空気が読めないとか、何しているんだと非難を浴びる。居づらくなって、輪の外に出て行く。その時、仲間への反抗を感じている。しかし、本当は一人になりたかったんだ。
     勉強をしたくないと思っている時に、勉強をしなさいと言われるといやな気分になる。無理矢理やらされている時は、学習姿勢が悪く、効率も悪い。そんな姿でいると、親から叱られる。そんな時、親に反発をする。勉強をしたくない自分が勝つ。
     好きな事をしているときでも同じだ。止めなさいと言われれば余計にしたくなる。無理に止めさせられるとそれに反発して、別の面でぶつかる。根に持っていろいろな所で反発をする。好きな事をさせてくれない人だと決めた瞬間からそれが始まる。そして、反発をしながら好きなことをし続ける。関係が悪くなってもしたいと思ったことをしている。
     いろいろな形で思い通りの自分を通している自分がある。自分の思い通りにならないことはない。
     実現しないと思っているのは、自分の中に実現しなくてもいいと言っている自分があることに気づくとほっとする。「そうなんだ。そんな気持ちも確かにあるんだ。」と。
     自分を深く見つめていくと、見えなかった自分が次第に見えてくる。本当の自分らしさは、そこにある。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年12月29日 03時18分08秒

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    年末に向けて

     いよいよ平成21年も残すところわずかとなった。一年を締めくくるために一度振り返る場を作ることができたら、次の年に向けての準備ができる。
     次の点で自分を一度振返ってみたい。
    ・今年新たに挑戦できたことは、何か。
    ・自分で成長したなと感じたことは、何か。
    ・周りの人に何らかの影響を及ぼしたと思うことは、何か。
    ・周りの人から影響を受けたと思うことは、何か。
     常に私たちは、人と共に生きている。このことを意識しないとエゴが顔を出す。そして、これが、問題を作り出す。人と比較することはあっても、それに優劣はつけたくない。自分らしく人と共に生きることができたら、「人は人。自分は自分。」と言い切ることができる。互いに至らないところは、補い合えばよい。それなら、互いを傷つけることなく、平和に暮らすことができる。決して自分の思い通りに人を動かすことではない。逆に動かされることでもない。傍にいても安心できる仲間でいたい。いくら上下関係のつながりがあろうともそれは、協力して一つのことを成し遂げるための上下関係であって、そのための組織の中の立場であったりすることになる。常に全体を意識し、自分のあり方を見つめていく。そして、その組織は家庭であったり、職場であったり、地域であったり、自分が作り出す集団であったりする。その時々の自分の立場が変わるし、顔も変わる。
     誰もが仲良く生きたいと願っている。そこで生きるための自分のあり方が挑戦になったり、影響を与えあったりすることになる。部分だけを見ていると見落とすことも多くなる。常に自分のいる世界の中心に自分を置き、自分の影響の大きさを意識し、共に生きるために自分のあり方を見つめてみたい。幸せな人生を送るために。
     来る年があなたにとって充実したよい楽しい年になりますように。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年12月28日 03時59分56秒

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    あなたが好きだから

     授業中に他事をしている子どもに注意をして叱ると、「どうして、僕ばかり注意するの?」「他の子は?」などと返事がくることがある。確かに他にも注意しなければならない子もいる。だからと言って、すべての子どもを注意していては、授業は進まない。だから、教師が全体に向かって話すことは、一人のために言っていることではなく、どの子にも伝えたいことだから、「注意されていない子にもなぜ注意をするのかわかってほしい。」という思いで話していることが多い。だが、その事は子どもには伝わらない。直接叱られる子と直接叱られない子では、受け止め方に違いが出てくるからだ。だから、すべての子を同じように叱ることはできない。逆にそれならば、叱らなくてもよいかと言えば、そうではない。やはり叱らないといけない。
     叱る側の姿勢がここで問われてくるのだ。まず、なぜ叱るのかということを見つめてみたい。
    ・他事をしていると授業を進める上で邪魔になるから。
    ・今、授業に参加しないと、しなければならないことが増えるから。
    ・授業を進めたいが揃わないと授業が進められないから。
    ・他事をしていることがみんなの迷惑になるから。
    ・授業に参加しないと今後あなたが困るだろうから。
    ・みんなで一緒に授業をしたいから。
    ・授業に参加しないと今後あなたが困るから。
    ・あなたも大事な一人で、放っておけないから。
     いろいろな思いがあるだろう。これらの思いの違いが叱るときの教師の表情の違いとなって現れ、子どもが叱られた時に理由を勝手に解釈してしまう。
     例えば、次のようにいろいろな子どもの思いを想像することできる。
    「どうせ、先生の都合で僕を叱っているでしょ。」
    「僕がいない方が本当はいいと思っているでしょ。」
    「僕は馬鹿だから。わからなくてもいいんだ。」
    「こうなったのは、教え方が悪い先生のせいなのになぜ叱られるのか。」
     こんな思いでいるとしたら、教師の子どもを思う気持ちが伝わっていないことになる。叱ることが愛情の証だとは考えられないのだ。
    「先生は、あなたのことが本当に心配だから、叱っているんだよ。」「あなたを嫌いだから叱るわけではないんだよ。」「よくなってほしいから叱るんだよ。」と、10回20回言っても叱られた時の嫌な思いがあるとすべて飛んでしまうのだ。
     何度も他事をする子には叱ることで指導の効果を上げることはできないのかもしれない。なぜ授業中なのに他事をするのか、その理由を知り、いろいろと問いかけていくことが大事なように思えてくる。
     そして、「それが、授業に参加しなくてもすむ理由になるのだろうか。」、「どうして、そんな理由で授業にい参加しない自分にしてしまうのだろうか。」「何か不満はないのだろうか。」、「人のせいに責任を転嫁して逃げていることはないのだろうか。」、「そうしてしまう自分に何か足りないものはないのだろうか。」「それを続けることがどんな意味があるのだろう。」などと次から次へと知りたい内容が出てくる。そして、この疑問に対する返答の中から授業に真剣に迎えない子どもの問題を発見することができる。それと向き合わなければ、子どもを理解できず、子どもを自分の授業を進めるための道具として子どもを扱っていると言わざるを得ない。
     そして、この理解を通じて「あなたのことが本当に好きなんだよ。」という教師の子どもを思う気持ちを伝えることができるように思う。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年12月27日 06時30分46秒

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    光が見える

     子どもと必死になって格闘している時にちょっとした変化を見つけることは、とても嬉しくなる。
     教育実践は、まさにこの連続だ。子どもとの関係が少しでも深くなり、物事を追求する姿勢が高まったり、何か変化が見えてこないかと子どもを「これではどうか。」「これではどうか。」と見続ける。些細な変化であっても、きっとこれが問題解決の糸口になるはずだと藁をもつかむ思いで自分の指導と関係つける。そして、教育実践記録としてまとめるときには、指導の成果の可能性のあることを自分の取り組みとすることがある。
     自分の実践を積み上げ、経験を増やしながら技術を磨くという観点からまとめていくための取り組みならば、これでもいいだろう。しかし、これは、誰にでもできることではない。誰にでもできる取り組みとしてまとめるには、ある程度の量的な根拠が必要となる。これには、かなりのきめ細かな情報収集が必要となる。実践をしながら情報を集めることは、かなりの労力である。この場合、やはり仲間を集めて取り組む必要がある。
     先輩が後輩を鍛えていく環境は、今の学校教育の中では少なくなってきている。それは、どの先生にも多忙感があり、「私のために時間を使ってもらうのは申し訳ない。」などと遠慮してしまうことがあるからだ。学ぶ機会が少なくなれば、必ず教師の質も落ちていく。質を自覚すれば、質を上げることができる。しかし、子どもが変化しないことを子どもや保護者など外に問題があると考えているうちは、自分の問題を発見することができない。
     教育実践としてまとめることは、よい成果をまとめていくことではない。自分を見つめる機会であり、問題の発見の場なのだ。冬休みのこの時期をうまく活用し、今年度の教育実践をまとめてみることは、明日の教育につながる大きなエネルギーになる。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年12月26日 05時26分32秒

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    閉じた心を開く

     一旦閉じた心を開かせるにはかなりの努力が必要だ。いくらこちらの思いを伝えようと力んでみても開くものではない。力んでいるときは、「北風と太陽」でいうならば、まさに北風を演じることになる。
     ここは、子どもに合わせるしかない。こちらの都合よく決められた時間の中で開かせようと思っても無理がある。子どもが開きたくなるまで子どもに合わせていくしかない。この時、忍耐が必要だと考えるとこれまた苦しくなる。裏返せば、思い通りにしたいという気持ちがあるからだ。必ず閉じさせた原因が子どもの外側にあるはずだ。「心を閉じた瞬間に何がおきたのだろう。」「きっかけは何だろう。」「どんな対応をすれば、心を開くようになるのだろう。」などと子どもの心を探ろうと思ったり、心を開かせる手立てを考えたりしながら、心を閉じた子どものために精一杯考えている自分に誇らしさを感じることができれば、これは我慢ではない。
    とことん子どもと付き合っていると、子どもの微妙な変化を見つけ、喜ぶことができる。その喜びの連続は、子どもにも伝わっていく。それは、我慢している顔ではないからだ。これができれば、次第に心も開いていく。必ず開いていく。開かざるを得なくなる。それは、子どもにとって一緒にいることが「あなたを愛しているよ。」のサインとなるからだ。子どもも本当は、「私のことをわかってよ。」という思いをもっている。だから、安心できる相手だと子どもに認めてもらった瞬間から子どもの心が開き始めることになる。そして、ここまでなら安心して話せると子どもが話せる範囲を少しずつ広げてくれるからだ。急な変化が起きることもある。しかし、それは確実な変化ではない。触れ幅が大きくなっているだけで、必ず揺れ戻しを覚悟しなければならない。今まで心を閉じることで安定していた子どもの心が開き始めることで不安定になり、心が乱れるからだ。この揺れにも付き合うしかない。期待をすることではない。「心を開いたり閉じたりするものだ。」と考えて、心を閉じたからと言って憂うことはない。確実に変化しているから揺れるのだ。とことん付き合ってくれている人かどうか、子どもに試されているという気持ちを持ちながら、子どもと向き合っていく。
     多くの子どもを相手にしている一方でこのような子どもと向き合うことは、日常的だ。誰を大事にして誰を大事にしないということではない。どの子も大事な一人ひとりだ。だから、この関わりを通して、一人の子どもに合わせて関わろうという姿勢がどの子にも伝わるのだ。「私の先生は、困っていても放っておくことはない。」「必ず助けてくれる。」「先生は、私を大切にしてくれている。」と子ども自身が実感することになるからだ。困った姿を見つけた時に本当の力が子どもに試されているのだ。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年12月25日 04時42分00秒

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    充実した毎日

     今年も残りわずかとなった。この1年を振り返ったとき、最初に頭に浮かんでくる言葉は何だろう。
     「挑戦」という言葉が浮かんだ。いろいろなことに挑戦したこの1年だ。いくつになっても新しい事に挑戦できることはとても素敵なことだと思う。挑戦しているときの時間は、とても充実している。不思議と効率が上がり、大きなエネルギーを感じて動いている。何かに支えられている気がする。また、挑戦している時は、何か事がスムーズに進みうまくいくことが多い。
     苦労を苦労と思わないでいる。新しいことの発見があり、これがとても新鮮で楽しい。どきどきする緊張感を味わうこともなんとなくゾクゾクして楽しい。こんな幸せな時間を過ごすことができたのは、自分一人の努力や姿勢だけではない。家族の理解と支えや周りの協力があって始めて叶えられることだと思う。
    ・時間の工面ができる。
    ・金銭面の工面ができる。
    ・人的な支援がある。
    ・場の提供がある。
     そして、ここに人が集まってくる。
     地道な一歩一歩ではあるが確実に前に進んでいる。とても幸せな時間を過ごしている。  
     これらは、きっと大きな愛に包まれているからではないだろうか。有難いことだと感謝の気持ちがわいてくる。
     充実した今を生きる。これが一番大事なことなのだろう。トラブルが起きた瞬間も、他人のせいにせず、うまく乗り越えられる。乗り越えられるだけのエネルギーをもっているからだ。日々の生活にある成功体験の積み重ねがエネルギーを蓄えることになっているのだろう。
     冬休みという自由な時間をうまく利用して、エネルギーを十分に蓄えてみたい。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年12月24日 06時05分59秒

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    仲良し

     子どもたちは、多くの問題を抱えて学校に来る。その問題を解消するために学校でトラブルを起こす子どももいれば、その問題にとらわれることなく学校生活を楽しく送ることのできる子もいる。ここで、大きく影響するのが、仲間との関わりだ。
     学校生活ではどの程度の仲間関係を築けばよいと考えているのだろうか。私は、男女の区別なく、年齢に無関係で仲良く活動できる子どもにしたい。(社会に出れば、これは日常的に起こりうることであり、好き嫌いを言って活動できることは少ない。)
     だから、次の活動での姿が重要である。
    1 ペアでの活動
    2 グループ活動
    3 異年齢集団での活動
    この時に、仲間関係を見る次の6つの視点で子どもを見て育てたい。
    ・自ら進んで関わろうとしているだろうか。
    ・相手に敬意をはらっているだろうか。
    ・協力的に活動しているだろうか。
    ・自分の思いを十分伝えているだろうか。
    ・相手の思いを十分受け止めているだろうか。
    ・活動に喜びを感じているだろうか。
     誰とでも仲良くするということは、このことが実現されたときの子どもの姿だと思う。
     しかし、深く関わりを求めるようになると、これが邪魔をすることがある。深い関わりを作りたい子から安定した安心感を求めるために、深く関わる子とそうでない子を区別して、独占しようとしたり、他の子どもを排斥しようとしたりする。これがトラブルを生む。
     大人であれば、うまく使い分けているが、子どもはそれほど器用ではない。というよりうまく使い分けるための学びが学校生活の中にあるのかもしれない。
     いつでも傍にいたいという気持ちを抑えきれないため、場をわきまえることができないということになる。授業中であっても、休み時間であってもいつも相手を視野に入れておこうとする。これが、活動を制限したり、活動の阻害になったりする。ここが自己中心的な子どもの一面が出てしまうのだ。私的・公的の場をうまく使い分けられる子どもにすることで相手に敬意を払うことになる。
     教師に子どもの仲間関係を見る6つの視点を見逃して、仲間関係を子どもに任せて指導しないでいると、子どもの人間関係を壊してしまったり、より複雑にしてしまったりする。子どもの人間関係を常に把握していることがトラブル解消の近道になり、活動のねらいにあった取り組みを意識させることがトラブル解消につながる。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年12月21日 06時01分08秒

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    本質をつかむことがゆとりを生む

     焦りは禁物。焦りがいい結果を生み出すことはない。「ゆとりをもって何でも取り組もう。」とよく言われる。しかし、目の前に起こるであろう事がうまくいくかどうか不安を感じている時に、焦りが出てくるのも自然な心の動きだ。
     万全に準備ができればいいが、万全に準備ができていなくてもしなくてはならないことがある。私たち教師にはそれが多すぎる。小学校であれば、全教科を教えなければならない。そんなときに毎日すべての教科の授業の準備を完璧にすて毎日を過ごすことは到底無理な話だ。一番大切にしかければならない授業であってもなかなか満足のいく準備ができることはない。
     しかし、考え方を少し変えるだけで焦りは消えていく。
    1 万全の準備などはない。できることしかできない。
    2 しなければならないことに振り回されてはいけない。
    3 ねらいを具体的な姿としてイメージすればすることが減る。
    4 この授業で絶対に欠いてはいけないことを明らかにする。
    5 繰り返し指導することと今することを区別する。
    6 学習姿勢ができていないことで焦らない。繰り返せば必ず身につく。
     授業を組み立てるときに複雑にいろいろ考えてしまうから、することが増えていく。この授業では何が大事なのかを追求する。これは、授業を単純にすることであり、同時に本質をつかむことになる。これができれば、後は、そのために何をすればよいのかが見えてくる。
     教科書会社が出している指導書には授業の一例が示してあるとして考えると楽になる。つまり、本質を追求するために何をすべきかということが書いてあると読み取るのだ。時間の経過に沿って書いてあることをすべてしようとしてもできるとは限らない。目の前の子どもの実態を知っているのは、授業者だけだ。子どもの実態に合わせて工夫しなければ、ねらいを達成できない。だから、教科書会社の出している指導書通りにすることではない。工夫と改善が必要となる。ここが授業者の力の見せ所だ。
     ただ、教科書を使わないで授業を進めると子どもも保護者も不安になる。子どもや保護者は教科書通りすることが学習だと思っているし、教科書の裏に隠れているねらいなどは知らない。だから、教科書をうまく利用しなければ、子どもや保護者の不安の解消にはつながらない。補足の説明に教科書を使ったり、教科書の内容と今しようとしていることを関係つけたりする。また、教科書を情報源として利用することもできる。
     ゆとりを生み出すだめの努力が本質の追求になると考えれば、今ゆとりがないからと言って焦ることもない。近い将来、ゆとりを生み出せる自分を創り出すための努力を今しているのだ。だから、若いうちの本質をつかむ努力は、ゆとりを生むための武器になる。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年12月20日 08時06分23秒

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    夢の実現

     子どもたちの生活を見ていると、目の前の楽しさだけを追っている子どもが多いように思う。興味関心を示したことにすぐに飛びつき、「しなければ、よかった。」と後悔する。我慢をして、夢の現実に向かってこつこつと努力することがなかなかできない。夢が段々大きくなるとその実現までの道のりも長くなる。だから、夢が叶わないから諦めてしまっているわけでもない。お笑いがブームになるのもよくわかる。目の前の面白さに飛びつけば、すぐにそれが手に入るからだ。
     考えられることは、一つ一つの目の前の小さな夢の実現を自信につなげていないからでないだろうか。
     人は不安を乗り越え、できたと思う瞬間に自信がもてる。しかし、「できて当たり前」と言われると、その自信は消えていく。私たちは、「できたよ。先生できたよ。」と笑顔で言ってくる子どもたちときちんと向き合っているだろうか。忙しさに流されたり、自分の価値観が優先したりして、素直に「すごいね。頑張ったね。」と喜ばないで、できて当たり前にしていることはないだろうか。
     もし、これが今の子どもたちを作っているとすれば、大変なことだ。まず、自信をもたせてやりたい。どんな些細なことからでもいい。認められることから一つずつ始めたい。褒めてよく育てるといわれるが、褒めるためではない。子ども自身に自信をもたせるために褒めるのだ。よさ見つけも同じだ。よいところを見つけることが目的ではない。子ども自身に自信がもてるところを見つけるためによさ見つけをするのだ。見つければそれで済むことはない。自信につなげるための手立てが必要なのだ。見つけた子どもよりも見つけられた子どもの姿を見ていないといけない。本当にそのことがその子に自信につながるかどうかだ。だから、よさ見つけをしたときには、仲間の拍手や教師の賞賛が重要なのだ。よさを見つけるだけに終わっている姿をよく見かける。
     夢の実現のために、日頃の自信の積み上げを大切にしたい。

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