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輝く瞳と素敵な笑顔

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年01月31日 08時45分33秒

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    必要な情報は?

     身の回りで色々な事故や事件が起こります。その時、どんな情報の取り入れ方をしているかを考えたことはあるでしょうか。

     多くの情報がどんどん流れてきます。その情報の中には、役に立つ情報と、役に立たない情報があります。その情報の中から必要な情報だけを受け取ることができれば、それほど多くの情報に振り回されることはありません。

     これは、いつかは役に立つだろうと思って受け取る情報もあります。今どうしても必要だという情報もあります。そして、必要としている側によってその質が決まってきます。

     私たち教師にとって、子育てに関する情報は一番手に入れやすい情報であり、また、その情報に敏感になっています。しかし、どの情報も必要かといえばそうではありません。

     私たちは、事故や事件の事を知ると好奇心が高まり、どんどん詳しく知りたくなります。これは、自然の流れです。しかし、どこまで知ることが自分に役立つのでしょうか?

     本当に詳しく知らないと対応できないのでしょうか。

     この見極めがとても大切なのです。

     これ以上はいらないと判断しないと、叡智を活用することはできません。マニュアルがないと動けないという人は、情報がないと不安になります。それは、自分で考えようとしないからです。

     事故防止や危険防止のためのマニュアルがきっと用意されていると思いますが、あくまでもマニュアルです。マニュアル通りに事が進まないときに役立つ動きができるのは、叡智があるからです。何が大切なのか、どうすることが願いにあう行動なのかを考えることを日頃からしていないと、マニュアルのせいにしたり、マニュアル通りに動かない人を責めたりします。

     大切なことは、事故を未然に防いだり、早期に解決することです。そのために日頃からたくさんの情報を集めることよりも少ない情報をいかに自分に役立つ情報にして取り組むかという姿勢をもつことが大切に思います。

     必ずしも詳しく知る必要はないのです。情報に振り回されない自分を作るためにも物事をシンプルに考える癖を身につけたいものです。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年01月29日 07時02分26秒

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    叱られることになれていないか

     誰も好きで叱られようとは思いません。叱られたときに感じる嫌な思いは誰も好きにはなれません。子どもは、特に叱られなれていないので、この感覚は嫌います。
     しかし、叱られ続けるとかなり鈍感になり、多少しかられてもあまり感じなくなるようです。そして、叱られることから逃れようと嘘をついたり、ごまかしたりすることが多くなります。
     叱る側は、よくなって欲しいという願いがあるにもかかわらず、子どもが願い通りの姿とかけ離れていくことに不安を感じたり、叱ることに戸惑ったり、躊躇したりするようになります。
     「どのようにすればよいのか、分からない。」という状況を作り出してしまいます。

     どうしてこの状況がうまれるのでしょう。

     ここには、叱った後のフォローの弱さがあります。
    子どもは叱られたときには、必ず自分なりに反省し、前向きになります。しかし、その前向きさが叱った側にうまく伝わらないことがあります。
    つまり、次のように叱った側の気持ちに沿っていないのです。
    ・姿の変化が微妙でわからない。
    ・叱る側の願いが高くて、頑張りの程度が弱いと考えている。
    ・できて当たり前として捉えている。
     これでは、子どもの頑張りが頑張りとはなりません。叱られ続けるしかない状態になります。

     そのため、子どもは、「いくら頑張っても認めてもらえない。」「どうせ、私はだめなんだ。」という気持ちになっていきます。
     これでは、全く叱ったことが子どもにとって負となってしまいます。

     それでは、どのようにすればよいのでしょう。
    ・期待をかけすぎない。
    ・少しの頑張りでも頑張りを認める。
    ・認め方を工夫する。(抱きしめる。頭をなでる。人に話す)
    ・叱った後の子どもの姿を見届け、微妙な変化を見つける。
    ・叱った回数以上に褒める。
    ・願いや努力を認める。

     どの子も認められたいと思っています。叱られた後が一番大事です。ここを見逃していることがとても多いように思います。叱られることに慣れる子どもにはしたくないものです。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年01月28日 06時18分51秒

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    補う気持ちで

     学校は、組織体です。しかし、目の前にいる子どもと関わり続けていると、信頼関係も深まり、次第に自分の子どものように思えてくることがあります。そして、他と区別し、学級独自のルールの中で関わるようになっていきます。それは、担任教師にとってとても居心地がよく、安定した状態になります。落ち着いた学級になるというのは、そうした環境が整ってくるということです。そしてそれは、一番指導しやすい環境が出来上がっていくということになります。
     ただ、この時に忘れがちになるのが、学校全体の動きです。学校の動きとして決めた「目標」や「約束事」です。独自のルールは、学級の中だけで通用するものですが、それと学校の動きとが常に整合性のあるものになっていなければ、子どもたちは、物事の裏表を学ぶことになってしまいます。矛盾を感じながら生きていくことになります。
     校長を始め、教頭、教務主任、生徒指導主事が全校を対象に話をすることがあります。この話をどのように受け止めているのでしょう。それぞれの立場の方が話されることは、自分とは無関係だと考えていると、話を聞いた後に手立てを打つことを考えることはできません。
     本来、ここは組織の一員として受け止めることが重要なのです。つまり、それぞれの立場の方が全校の子どもたちに向かって話をすることは、全校の子どもたちへの願いであり、進むべき方向となのです。ですから、話を聞いた後には、自分の学級の子どもたちに合う話に置き換えて補うことが必要となります。
     全校に向かって話す方は、できるだけ多くの子どもたちに分かるように努力をされますが、必ずしも伝わるとは限らないのです。そこで、担任教師の出番となります。学級の子どもたちの事をよく知っているのが、担任です。その担任だからこそ、子どもの話を聞く能力に合わせて、適切な言葉を選んで補うことができるのです。
     ですから、全校に向かって話をされた後にどんなフォローができるかが、担任としての力量となるのです。これを学級独自の取り組みと合わないからと言って受け入れなければ、子どもたちの中に矛盾が起きてしまいます。何もしないで聞き流すことも同じです。これでは、子どもにとって健全な成長はあり得ません。
     全校に向かって話をする機会は、集会だけではありません。校内に流れる放送でも同じです。つまり、常に学級外から子どもたちに刺激となる言葉に耳を傾け、子どもにその刺激を学級の子どもに合わせて与えることが全校的な視野に立って子どもを育てることになります。
    (例)
    ・「今の放送内容は分かった?」「何をおっしゃったのか、話してごらん。」「今の話はね。〜ということだよ。」と声をかける。
    ・話の中で使った言葉を利用する。
    ・子どもの姿を話の内容に当てはめる。
     教師が意識して、初めて子どもたちも意識ができます。そして、これは繰り返しの指導にもなります。また、子どもたちの目を外に向けるチャンスにもなります。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年01月27日 05時29分52秒

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    慌てないで

     不安があったり、問題が起きたりするとすぐにそのことに心を動かされて焦ってしまうことは誰にでもあります。特に子どもは、変化に対して敏感に反応するため、そのときの子どもの言葉に助長されて焦ってしまうことがよくあります。
     こんな時は一呼吸をおいて、冷静に事の様子を眺め、的確な判断ができる自分にしなければなりません。
     こんな時、子どもたちは教師に性急な判断を求めます。ですから、まず、子ども自身にも落ち着くように指示をしなければなりません。焦って伝えても、どの子にも伝わるとは限りません。まず、落ち着かせることからはじめます。
     この時に必要なのが、子どもたちへの毅然とした態度です。
    ・大きな声が出せるか。
     (騒がしくなった子どもたちに向かって指示ができる)
    ・表情豊かに対応できるか。
     (真剣な表情、怖い表情、不安のない落ち着いた表情などで接する)
    ・適切な立ち位置に立てるか。
     (どの子にも伝えられる位置を的確につかむ)
    ・迅速な指示が出せるか。
     (落ち着いた後の子どもへの指示ができる)
     不安は誰にでもあります。誰もが、「自分の判断に誤りはないだろうか。」そして、「その判断の影響はどの程度になるのだろうか。」などと思うのです。しかし、その不安よりもその不安を子どもたちに悟られる事の方がその後の影響が大きいように思います。
     判断した後にその判断を覆すことになれば、混乱が生じます。そして、先生への信頼も薄れます。その意味から考えると判断した自分への責任の大きさが気になるところです。しかし、自分で判断せず、逃げていては子どもから信頼される教師にはなれません。常に誰かに頼っている頼りない教師として子どもに映ってしまいます。
     ここは、未熟でも判断し、子どもに堂々と伝える自分でなければなりません。未熟さは、繰り返し練習する中でうまくなるものです。失敗を繰り返すことで気づかなかったことに気づけるようになっていくのです。経験をしながら次第にうまくなっていくものです。ですから、失敗を恐れず堂々と子どもの前に立てる自分を演じてほしいと思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年01月26日 05時13分32秒

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    意識をもち続ける

     次から次へと色々なことが起きてくるのが、教育の現場です。その起きてくることを当たり前と受け止めて対応するか、それとも、厄介なことだと受け止めて対応するかによってその後の様子に大きな違いが生まれます。
     当たり前と受け止める背景には、
    ・経験が一人ひとり違っているから、伝わらないのは当然。
    ・思いが一人ひとり違っているから、ぶつかるのは当然。
    ・能力が一人ひとり違っているから、理解に違いがあるのも当然。
    ・考え方が一人ひとり違っているから、焦点の当て方が違っても当然。
    ・認めてもらいと誰もが思っているから、自己主張するのも当然。
     つまり、一人ひとりの違いがあるから問題が起きるという考えが根底にあります。厄介なことと捉えて時は、違いが分かったその上で
    ・時間がかかる。
    ・手間がかかる。
    ・相手のペースにあわせなければならない。
    ・思い通りに進まない。
    という我が顔をもちあげてきます。
     逆に、時間をかけ、手間をかけ、相手のペースをつかめば、かなり思い通りのことができるということです。それなのになぜ、これらを嫌うのでしょう。この嫌う原因をつかまなければ、厄介だという意識は変わりません。
    ・他にしたいことがある。
    ・自分の力では解決できない。
    ・意欲がもてない。関心がない。
     これらの思いを払拭し、奮い立たせてくれるのが使命感です。子どものために自分にできることは何かを追い求めるための使命感です。この時間をかけ、手間をかけることは教師としての自分を磨くことになります。それを支える使命感が薄れてくると我が顔を出します。教師の仕事に慣れて、仕事上のトラブルや不満が増えてくるとこの使命感が薄れてきます。初心を思い出してみてください。教育に燃えていた若いころのあの情熱はまさにこの使命感が支えとなり、時間を惜しまず、いろいろなことに挑戦し、がむしゃらになって子どもたちに立ち向かっていたのです。初心を思い出すことができれば、厄介と思っていることでもひょっとすると平気で立ち向かうことができるようになるかもしれません。初心を忘れないで、子どものためにどんな自分であればよいかを見つめ続けることは、なかなか難しいものです。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年01月25日 05時47分36秒

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    問題を見る目

     様々な問題があるとき、私たちは、考えを巡らし、問題に優先順位をつけて、厄介な問題や解決に時間がかかる問題などは、先送りにすることがあります。しかし、優先順位がつけられず、目の前に起きた問題が解決できないと前に進めない子どもは多くいます。
     時には、後に回しても十分対応できることを説明しても、納得できない子もいます。考えを巡らすというよりも、焦点が目の前に起きたことだけに当たっているので他が見えないのです。また、したいと思ったらしたくてたまらなくなり感情が抑えられないのです。これは、小さな子どもが物を欲しがったときにそれが手に入るまで譲らない姿に似ています。
    ・授業中に鉛筆を削ろとしたり、ゴミを捨てようとしたり席を立つ子
    ・掃除中に友達と遊びの話をする子
    ・授業中に他事をしている子
    ・遊びを止められず、チャイムがなってもなかなか教室に来れない子
    ・忘れ物やなくし物が気になって事を進められない子
     こんな時、どのような対応をすればよいのでしょう?これは、問題解決に至る前の問題になります。
     問題解決の流れについては、授業を通してつかむことができますが、こうした問題を決定したり、選択したりすることは、なかなか授業としては扱えません。私たちの経験に基づいて、臨機応変に対応していることが多いように思います。
     しかし、これらの問題は、誰にでも起こりうる問題ですから、個別の対応も大事ですが、学級全体で考えたり、仕方を決めたりすることが学級作りには大切になります。また、のめり込んでいると他が見えなくなっていることに気づかないでいるので、仲間からの指摘も大切になります。
     個々に仕方を指示したり、叱ったりするよりも「こんな時は、どうしよう。」と学級の約束として意識させることの方がよいことがあります。問題が起きたときに子ども同士で教え合うことができるからです。逆にこの約束が出来上がることがむしろ学級の文化になります。個々への対応をしていると、いつも「先生、どうするの?」「先生、困った。」と助けを求めに来ることが多くなります。また、気づかない子には、「何をしているの?」「今は何をすべきなの?」などともぐらたたきのような状態になります。これでは、対応ができませんし、同じことの繰り返すことになります。
     学級で決まっていれば、「こんな時はどうするんだったかな?」と子どもに尋ねたり、確認したりすることができます。また、仲間に注意したり、手助けをしたりする子には、「ありがとう。」「すごいね。」などとよさとして認めることもできます。
     問題に気づかない教師は論外ですが、問題と感じたときに即対応する教師は多くいます。しかし、問題が見えているのに即対応せず、子どもの動きに着目し、「この問題に気づく子はいるだろうか。」「どのように問題を選択するだろうか。」と考え、子どもの反応を観察し、問題に向かう子どもの対応に合わせて支援する教師は少ないように思います。
     現象面の問題を見るのではなく、現象の裏にある本来抱えている問題が見えるようになると子どもの質が変わります。つまり、教師が何を見ているかということがとても大切になります。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年01月22日 05時50分45秒

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    みんな同じ渦の中

     私たちには、問題が起きたとき、できるだけ隠しておきたいと思う気持ちが湧き上がることがあります。これは、問題を起こしたことへの責任や恥ずかしさ、そして、自分を守りたいという衝動が働いているからだと思います。
     これは特別なことではありません。子どもも同様です。特に子どもの場合は、経験が少ないため、うまく隠すことができず、すぐに顔色に出ることがあります。特に失敗は許されないという強い観念に縛られているとそれが強く現れます。問題を隠そうとするとき、次のような行動に現れます。
    ・言い訳をする。
    ・うそをつく。
    ・ごまかす。
    ・黙っている。
     そして、その場を逃れようと必死になります。これがうまく隠せたという経験になると、次からも同じ対応をします。このことは、子どもの責任ではありません。見逃した側に問題があるのです。ですから、子どもを責めることはできません。最初は、「しまった。何とかしなくては。」という気持ちがあり、決して平気でいるわけではありません。しかし、見過ごされることが続くと平気になってしまうのです。
     ですから、子どもの気持ちを考えた時、問題が起きたときの初期の対応が大事になります。
     もともと起きた問題は誰にでも起こりうる問題だと考えていれば、それほど強く問題を意識することはありません。これが大きな問題だという扱いにするから、事の重大さで子どもは押しつぶされてしまうのです。(ただし、命に関わる問題は別です。)
    ですから、問題が起きたときに次のような特別な扱いを避けることが大切になります。
    ・他の場合より大きく扱う。(いつもより強く叱る、目立たせる等)
    ・みんなと離れて特別に指導の場や時間を設ける。
    ・みんなと違った特別な取り組みをさせる。
     その子を何とかしようと思う気持ちがこのような特別な扱いにつながってしまいます。本当に特別に扱わなければならないことなのか、恣意的になっていないだろうかと吟味しなくてはなりません。こんな時は、「誰にでも起きることだよ。」「あなただけが特別ではないよ。」と問題を起こした子どもを見たり、周りに投げかけたりすることができれば、他の子を巻き込んで問題解決に当たることができます。そして、「みんなならどうする?」と投げかけることができます。このように問題を公開することで問題が特別なものにはならなくなります。
     ただ、すべての問題を公開するということではありません。プライバシーに関わることや自尊心の高い子どもを扱うとき等は、特別に配慮し、個別に対応することも考えなければなりません。大事なことは、子どもが問題を隠して嘘をついたり、ごまかしたりしないで、問題を正面から受け止め、自分の責任として対処できることです。これを忘れないでいれば、臨機応変に対処することがでると思います。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年01月21日 05時49分34秒

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    相手の立場になって

     何かトラブルが起こると「もっと相手の気持ちを考えなさい。」と子どもに投げかけることがあります。しかし、実際には相手の立場になれないからトラブルが起こるのですから、事が起きた後にこの言葉で子どもを叱ってもそれほどの効果は期待できません。
     それよりも、そのトラブルが起きた時、相手がどんな状況になったのかをじっくり考えることが重要です。
    例えば、
    ・痛い思いをした。
    ・辛い思いをした。
    ・悲しい気持ちになった。
    ・腹が立った。
    ・悔しい気持ちになった。
    ・自分を否定された気持ちになった。
    等様々な思いになることを知ることです。これが次の行動を止める動機付けになります。
     このことは、「人は、こんなことをされるとこんな気持ちになるんだ。」「人は、こんなことを言われるとこんな気持ちになるんだ。」ということを知ることになります。これは、相手だけでなく、同じ人間である自分にも起こることなのだ。」とつかむことができれば、相手の気持ちが分かるということになります。しかし、誰もが、いつも同じ反応をするかと言えば、そうではありません。その時々の状況によって異なるのです。これも経験が少なければ分かりません。経験をして、人の対応の複雑さが分かってきます。
     例えば、人間関係が出来あがっていると、仲のよい友達ならばこんなことを言っても相手は気にならないこととか、「ごめん。」と謝るだけですむことなどを学ぶことになります。逆に知らない人の場合は、ここまで気を遣わないとうまくいかないことや自分の気持ちを抑えることも大事なことなどを学ぶことになります。
     これらは、子どもだからということでもありません。経験がなければ、気づかずに済んでしまいます。日々私たちも学んでいることだと思います。
     ですから、トラブルが起きたときこそ、相手の気持ちがわかるチャンスなのです。トラブルを避けることも大切ですが、トラブルから学ぶことも子どもたちにとってとても大きな力になります。長い目で見た時、本当にトラブルを避けるだけでよいのでしょうか。トラブルを治めない勇気はなかなかもてないものです。それを判断するのは、私たち教師です。そしてこれには、責任を負うことになります。どこまで子どものためにできるのか自分のあり方を問われることになります。世の中全体にトラブルを避ける方向、子どもを守る方向に進んでいます。ただ、私たちが見失ってはいけないことは、子ども自身が危険を避けたり、自分自身を守ったりする力をつけることです。「子ども自身が」なのです。教師の立場ではないのです。つまり、相手の立場になることは、教師で言えば、子どもの立場になることになります。「相手の立場になって考えている?」という問いかけは、まさに私たち自身に問われていることになります。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年01月20日 07時39分23秒

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    うまくいかない時

     「思い通りにいかないなあ。」と思うことは、よくあることです。こういう時は、何をしても空回りするという経験はないでしょうか。子どもとの関係、保護者との関係、自分自身への思い等、考えれば考えるほどたくさんあります。こんな時は、ちょっと冷静になって自分を見つめることが必要になります。
     自分がどんな状況にあって、何を考えているのかを見つめてみます。
    すると、何かに取り付かれたようにこだわりをもっている自分を発見することがあります。これを手放すことができない何かが今の自分を苦しめているのです。
     それは、ひょっとすると見栄かもしれません。また、それはエゴかもしれません。自尊心かもしれません。仮にそれが見栄だと分かった時、見栄を張ることはいけないことだと結論つけるのではなく、ただ見栄を張っている自分なのだと認めることが重要になります。見栄を張ることを否定しても、否定することは本意ではないので、余計に苦しむことになってしまいます。
     ですから、「ただ、そうだったんだ。」と認めるのです。それが本当の自分なのです。恥じることでも卑下することでもありません。ただ、ただ、そういう自分だったのです。それが自分だと分かったときに新たな自分が見えてきます。だったら何をすべきなのか、今の状況はその自分に合っているのか、それとも違っているのか。そして、実現することにどれだけの意味があるのかをじっくりと考えるのです。心から願っていることは何かを見つめてみるのです。うまくいっている時は、欲が出るため、何が本当に大事なのかが見えません。逆に、うまくいかない時ほど、何を求めているのかということに焦点が当たるので、本当に願っていることを見ることができます。
     うまくいかない事を否定するのではなく、そこに何があるかを見つめてみるのです。それが、新たな取り組みを見つけるチャンスになります。そして、それは必ず自分を生かす方向に働き始めます。その時には、不思議と回りで起こることが自分のために動いていてくれるのだという錯覚に陥ることがあります。そして、感謝の気持ちが沸いてきます。身の回りに起こることでマイナスはありません。すべて自分を生かす方向に働いているのです。プラス思考はまさに自分を生かす方向を示しています。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2010年01月19日 03時46分23秒

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    助けて

     困ったときに「助けて!」と声を出して訴えることができることは、とても大切なことです。多忙感があり、目の前の事に精一杯で過ごしている人が多い時代です。人の事まで手が回らないでいることが多いように感じているのが私たちです。
     しかし、忙しいという気持ちが先行しているため、実際とはちょっと違っていることが多いことも確かです。隙間の時間を誰もが持っています。この隙間を利用することが、相手にもいい影響を与えます。
    ・目の前の仕事をし続ける苦痛から逃れ、気分を変える機会になる。
    ・助ける自分という立場から優越感を感じることができる。
    ・人のために役立てる自分を自覚できる。
    ・助けてと声をかけられるだけのねうちのある自分だと自覚できる。
    ・相手との信頼関係が深まる。
    ・力を試す機会がもてる。
     決して迷惑をかけているわけではありません。互いに助け合い、補い合って回っているのです。
     助けてもらったことが十分に生かせることばかりではありません。重要なことは、助け合える環境の中に自分がいることを自覚することなのえす。悩めば悩む程、自分の殻に閉じこもってしまいます。常に外に目を向け、自分が一人ぼっちでないことを常に意識できるようにすることが問題の解決を早めます。
     失敗は常について回ります。「助けて!」と声をかけることは、恥ずかしい自分を見せることではありません。誰もが通る道です。誰もが通った道です。通る道ならば、予測ができます。通った道ならば、知恵がもらえます。
     人とのつながりが希薄になっている今の時代だからこそ、大いに「助けて!」と叫びたいと思います。子どもを育てる私たち教師だからこそ、身をもって体験し、仲間と心を通わすことの大切さを味わいたいものです。まだまだ、学校現場には、助け合い、補い合う集団があります。同僚を信じ、上司を信じ、「助けて!」と言い、感謝で満ち溢れた職場を築きたいものです。

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