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輝く瞳と素敵な笑顔

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年04月30日 06時45分28秒

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    できたことよりできる過程を

     できないことが多い子どもたち。どの子も、できるようになりたいとその子なりに頑張っている。しかし、変化としてはっきりと見えないとその頑張りが人には見えない。見えるものしか判断の材料にはならないからだ。
     ただ、できた姿だけでなく、できるために努力している過程も姿として見ることができる。実際には、この努力する過程を見ることの方が多いはずだ。
    ・仕方がわからずに困っている姿
    ・「教えて。」と訪ねる姿
    ・できるように繰り返し努力している姿
    ・困っていることを書いている姿
    ・困っていることを友達に話している姿
     これらの姿を見過ごして、できた姿だけをとらえていることはないだろうか。動かないで待っているだけだとできた姿しか見えてこない。
    なぜならば、できたときには子どもたちは、嬉しさのあまり、「先生できたよ。」と認めてもらおうと話しに来てくれる。このときには、「よかったね。」「よく頑張ったね。」と話さない人はいないだろう。できた姿を見る機会がここにある。しかし、その頑張りの過程は見ていないため「頑張ったね。」と言いながらも、知らないことが多い。「どうしたら、できるようになったの?」と聞く教師はましな方だ。
     子どもたちの頑張りの過程を見ていたら、そのほめ方も違う。「あなたの頑張っている姿を知っているよ。あの努力が『できた』につながったんだよ。」と話すことができる。できた結果よりもその過程を誉められることの方が、今後の努力に生きて働くし、子ども自身が体験をしていることなので、子どもにも腑に落ちた話となる。これは、「成功するためには、これをすればよいのだ。」という学びができるからだ。
     できた結果だけを見るのは簡単。本気で子どもを育てるためには、その子なりの努力の過程を見て、その過程に生き方のすばらしさを発見して承認することが生きていく力を育てることになる。
     見ている子どもは一人ではない。多くの子どもを見なければならない。それも、同じ動きをすることはない。しかし、人数が多いから、動きがバラバラだからなどと言って諦めたとすれば、それでは教師ではない。どの子も認めてやりたい。できるようにしたいという思いがあるから、自分なりに動き出すのだ。自分から子どもの中に入り、子どもや親から情報を集め、できる限りの努力をするのだ。この努力が子どもの頑張りの過程を見る目を太らせていく。子どもから目を離さないでいることがその目を太らせる。できて当たり前にしないで、できる過程を見てみよう。その子らしさが見えて楽しいものだ。だから、誉めたくなってしまうのだ。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年04月29日 12時11分32秒

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    言葉に注意を払う

     日頃から意識していないと使いやすい言葉を使ってしまう。幼い頃から使い慣れた言葉は自然と口から出てしまう。それが、よくても悪くても癖となっているからなかなか変わらない。使っていない言葉を使うと何となく居心地が悪い場に立たされたような気分になる。これは、子どもであっても大人であっても同様だ。大人の場合は特に体に染み付いているからかえるにはかなりの努力が必要となる。
     子どもはそんな大人の影響を受けやすい。日常会話だから、余計に大事にしたい。特別な言葉ではなく何気なく使う言葉だからこそ大事にしたい。
    <大事にしたい言葉>
    ・相手と関わりを作る言葉
     おはよう、さようなら、こんにちは
    ・相手を思いやる言葉
     どうしたの、大丈夫?
    ・相手を尊重する言葉 
     どうですか?いかがですか?
    ・相手に感謝を伝える言葉
     ありがとう
    ・自分の思いを伝える言葉
     お願いします。私は〜思う。
    ・関係を修復する言葉 
     ごめんなさい。いいよ。
     言葉が足りなくてトラブルを起こしたり、誤解されたりすることがある。それが、言葉によるものだと気づかず、感情が動き出すとなかなか元に戻れない。関係を戻すためにはかなりの時間が必要となる。
     使えない言葉があれば、繰り返し使う。使い慣れるまで使う。使っていて違和感がなく気持ちよく使えるまで使う。これは、子どもとの根気比べだ。
     この時に大事にしたい事が、それぞれの言葉を使ったときに生まれる価値だ。
    ・言葉を使うことが価値のあることなのだ。
    ・この言葉を使うとこんな気持ちになる。
    ・この言葉を使うから素敵なあなたになったたんだ。
    ・この言葉を使ったから関わりがよくなったんだ。
     心がこもった言葉にするには、これは欠かせない。そして、この指導する側の価値観が見えてくる。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年04月28日 06時13分07秒

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    評価される自分

     先日、ある会合で保護者と同席をした。その折りに担任の話が出た。
    そして、「今度の先生は、とにかく真面目で一生懸命な方です。その一生懸命さが伝わってきます。」、「子どもが学校が楽しいと言って毎日元気に学校へ行ってくれます。先生のおかげです。」などと言った声を聞くことができた。
     担任のよさを一生懸命に語る保護者は、担任を信頼し、期待に夢をふくらませている。とても有り難いことだ。信頼を寄せていただいていることに感謝の気持ちがわいてくる。それと同時に、期待を裏切らない責任の重さを感じている。まずは、第一関門クリアと言ったところだ。
     この評価は、終わりではなく、始まりだ。これからの営みでこの評価が上がることもあれば、下がることもある。この「常に評価されている自分を意識すること」が自分を磨くことになる。
     ただし、評価されていることを意識して、保護者にへつらってはいけない。あくまでも自分らしさを大事にしたい。金太郎餅ではないが、どこを切っても自分らしさが見えてくることだ。これは、保護者にとって安心につながる。言ったことやしたことが一貫していると「やっぱり、あの先生だ。」「きっと先生ならこうするはずだ。」などと一般化した教師像から判断してもらうことができる。時と場合によって言うことやすることが異なるとどんな先生なのか判断できず、不信感につながる。あくまでも自分らしさなのだ。このことから考えると、自分を磨くということは、曖昧さをなくし、自分らしさを確立することなのかもしれない。保護者や子どもの反応は、自分らしさを評価する鏡になる。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年04月27日 06時32分58秒

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    不安は不満ではない

     家庭訪問も終わり、連休が始まろうとしている今。保護者からいろいろな情報をもらい、個々の子どもへの対応について見つめ直すよい機会だと思う。
     保護者が安心して任せられるとかちょっと不安だとか担任に対して思うと同じように、教師からみて安心できる保護者や不安を感じる保護者がいることは間違いない。「今のままでは将来、どのような子になるのか心配だ。」・・・この心配から不安を感じているのだ。長年教師をしていると、様々な子育てを見、その子育ての違いが子どもの育ちに違いになって現れてくる様子を見ることができる。今だけでなく、子どもの成長していく過程を見ているから保護者よりも先が見えている。だから、不安を感じる。
    <不安を感じる保護者>
    ・自分の生活しか見ていなくて、子どもの身の回りの世話をしない保護者
    ・子どもの気持ちを考えず、一方的に親の考えを押しつける保護者
    ・子どもの言いなりで、保護者としての立場が見えてこない保護者
    ・躾だと言って日常的に暴力を振っている保護者
    ・子どもの育つ環境に配慮できず、物やお金の扱いが雑な保護者
    ・人の考えや見栄などに左右され、子どもの気持が見えない保護者
     どの保護者も精一杯に今の自分を生きている。この姿は否定することではない。子育てのプロではなく、試行錯誤しながら、不安を感じながらも精一杯今を生きておられる。
     だから、その生き方に合わせながら、少しでも子どものためになることで支援はできないかを考えたい。今が続くのではない。可能性を信じることで必ず変化が見えてくる。だから、支援したくなる。
    ・直接子どもを通して支援できることはないか
    ・保護者と常に連絡を取りながら支援できることはないか
    ・保護者に理解を得ることから始めることはないか
     支援の仕方は様々であるが、まずは保護者との信頼関係が根底になければならない。不安はあっても不満にしてはならない。不満は不信につながる。保護者を子育てのパートナーとして信頼し、おごることなく、真摯に関わりたい。
     教師自身にも至らない点が多い。それを助けてもらえるのもこの信頼があるからだ。教師と保護者のどちらかが優位に立つものではない。「人質にとらえているから何も言えない。」と考える保護者にしてしまうのは、教師の対応のまずさにあると考えたい。不安があれば、いつでも言える保護者になってもらい、逆にこちらが心配を感じたらすぐに保護者と連絡がとれる、そんな関係を築きたい。まずは、信頼を築くための支援を個々の保護者や子どもに合わせて整理してみたい。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年04月26日 06時44分11秒

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    連休中にしたいこと

     4月からの疲れが少しずつたまってきた頃。よく、5月病などと言われるほどではないが、ちょっと体調を崩すことがある。こんな時期には、リフレッシュが必要となる。連休中に旅行をしたり、読書をしたり、運動をしたりと気分を変えることができるといい。気分を変えるということは、どっぷり漬かった子どもとの日常生活から、ちょっと離れた所に自分を置くことになる。
     この時、気をつけたいことがある。それは、日常から離れている時はよいが、日常生活に戻る時のことである。「ああ、また大変な毎日が始まるのか。」と言う人がいるが、この考え方が問題だ。つまり、この言葉は、日常を辛いものと考えているから生まれてくる言葉なのだ。辛いものだと思うと、過去にあった辛い事実がたくさん浮かんでくる。すると、せっかくリフレッシュしたのに辛い現実を作り出してしまう。これでは、リフレッシュした意味がない。リフレッシュだから、新しく作り出すための機会にしたい。
     そのためには、日常から離れた時に得た、気持ちの軽さや心地よさ、得た知識や体験などを生かすことだ。
     気持ちよさを感じながら、子どもたちの頑張る姿をイメージしたり、ここで得たことを日常生活で生かしている場面を思い浮かべたり、子どもたちのために役に立ている自分を想像したり、日常生活とつないでみる。すると、早く子どもたちと会いたい気分になったり、次の取り組みへの意欲がもてたりする。つまり、現実にもどろうとする時に「日常生活にどうやって生かそう」と考えを巡らす時間を設けるということだ。つまり、日常生活にスイッチを切り替える瞬間にこの問いかけをする。
     これは、日常生活とつなぎながら、休暇を過ごすことではない。休暇はあくまで、リフレッシュをするのだ。思い切り現実から離れて楽しい気分を十分味わうことがスイッチを切り替える時の気分のよさとして役立つ。
     このように前向きに考えていると、休み明けの日常生活に突入することができる。さて、連休は何をしよう。忙しくてしようと思ってもできなかったことをしよう。思い切って新しいことに挑戦してみよう。そんな思いをもって連休に向かいたい。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年04月25日 06時56分08秒

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    粘り強く

     子どもの姿を変えたいという気持ちは、どこから生まれてくるのだろう。「こんな姿になったら、きっと素敵だろうな。」「こんな姿になったら、もっと素晴らしい仲間になるだろうな。」「こんな姿になったら、もっと素敵な社会にしてくれるだろうな。」などと子どもたちが活躍する未来の姿を想像する。つまり、願う姿へのあこがれや夢から生まれてくるのではないだろうか。そんな気持ちが子どもたちを変えたいという気持ちを生み、子どもたちに向かう姿になっている。これは、自分のためではない。子どもたちが生きていく時代に対応する子どもたち自身のためだ。
     しかし、そのことを子どもたちは、分かっているだろうか。教師が言ったからするのではなく、自分たちのためにしてくれていると分かってするのでは取り組み方が違ってくる。どうしても教師が発した言葉だから、「先生が言うから。」になりがちだ。それでは、ねうちがない。
     教師のが言うからということにしないためには、日頃から「あなたたちにとって素晴らしいことなのだ。」と伝えることがとても大事だ。言い過ぎて、お節介だと感じさせてもまずい。押し売りになってもまずい。さりげなくそれを感じさせることが子どもからの感謝につながる。
     「みんなで頑張ろうよ。」「一緒に伸びようよ。」「あなたが頑張ったから、力がついたんだ。」「みんなで頑張ったから素敵な学級になってきたんだ。」「あなたのおかげで、こんな姿が生まれてきた。」「あなたの頑張りが新しい自分を作るんだ。」などと教師の力ではなく、子ども自身が自分の頑張りに気づくかせるようにする。私たち教師は、あくまでも黒子だ。子どもたちが生き生きと全面に立ち活躍することが大事なのだ。黒子に徹するためには、子どもたちに前に出る出方を教えなければならないし、人との関わり方を教えなければならない。分からなければ教えなければならない。できなければできるように支えなければならない。教えたことができるだけでは、不十分だ。自ら求めて作り出す力にしなければならない。だから、できて安心するのではなく、できたことを生かすことができるかを見届けた上て安心したい。指導した後の姿が肝心だ。言われなくても自分でできる子どもになっているのだろうか。そこまで、粘り強く見届けたい。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年04月24日 06時27分02秒

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    どこまでこだわるの?

     一つのことを徹底させるために、何度も繰り返すことはとても大事なことだ。一度言えば、できるようになるものではない。できないことを叱ってみてもできるようになることはない。ここは、根気よくできた姿を誉め続け、少しでもできる子どもの数が増えたことを子どもと一緒に喜び合うしかない。
     ただし、どこまでこだわればいいのだろう?このこだわりの感覚の違いが指導となって現れる。
     例えば、「話し手を見て聞く」という聞く姿勢作りについて考えてみる。
     一人一人発言する前に聞く姿勢を確認し、確実に全員が揃うまで話をさせないで待たせることもできる。また、それをしていると話が続かないし、話の内容を忘れてしまうからと言って、発言を止めないで、時々聞く姿を注意し、話を進める指導をすることもできる。この違いは、それぞれの教師の考え方に違ってくる。
     しかし、大切なことは、どの子にも聞く姿勢を身につけさせることにある。つまり、相手の言ったことを自分なりに精一杯とらえ、精一杯言ったことに応える子どもたちにすることだ。これは、学級全体で話が進むことではない。どの子も確実にできなければ、個々の子どもに力をつけたことにはならない。
     どのように指導をするかは、集団の中にどれほどのできない子どもがいるのか、その割合によって指導の仕方が変わってくる。多くの子どもができない状況の場合は、全体への指導が中心となり、全体への指導の時間が多くなる。逆にできない子どもが少なければ、全体というよりも個別に指導することが多くなる。また、取り上げ指導として、時にはできない子どもを仲間で応援してできるようにするために全体指導をする機会を作ることも、時期によっては起こりうる。個々の力を一度に伸ばすことはなかなか難しい。そのため多くの子どもができるようにする時期と一部の子どもができるようにする時期とでは指導の仕方を変える必要がある。
     年度当初は全体指導が多くなる。これは、新しい学級でのルールを作る時期のため、できない子どもが多いからだ。ある程度できる子が増えれば全体での指導を少なくする。そうでないとすでにできている子どもが、「もうそんなことはできている。」「わかっているのに何度もうるさい。」と教師と子どもの間い溝を作ってしまうことになる。そんなことにならないように子どもの実態を注意深く観察し、子どもの実情に合った適切な指導が重要となる。これも試行錯誤をしながら、体験的につかむことになる。「今は、全体指導が必要だ。」「今は個別の指導が必要だ。」との見極めができるようになれば、かなり指導の効率も上がってくる。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年04月23日 05時32分05秒

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    あなたを知りたい

     子どもの反応を大事にしながら、授業を進めたいと思っていても、なかなか反応しない子どもがいる。反応する子どもだけで授業を進めることはできるが、反応しない子どもを見捨てることはできない。
     あなたを大事にしたいと思っているんだよ。あなたがどんな考えをもっているのか知りたいんだよ。友だちと同じならば、同じでいいんだよ。同じと言ってくれれば、「そうか。同じなんだ。」とわかるでしょ。とにかく反応してほしい。あなたが何を考えているのかが知りたい。反応しないあなたの事を誰が知っているのだろう?あなたが反応しなければ、相手にはもちろんあなたの思いは伝わらないから、相手は知らない。あなたの周りの友だちはどうだろう?反応しなければ、全く知らない。ただ、そこに座っているあなたが居ることだけしか知らない。あなたの内側を見ることはない。誰も知らない。独りぼっちのあなたなんだよ。もっと仲間と関わりながら、自分を認めてもらえるといいのに。そうすれば、もっと自信や誇りのもてることが増えるのに。何てもったいないことをしているのだろう。あなたには素晴らしい力が備わっている。あなたは素敵な考えをもっている。それなのに本当にもったいない。もっと反応して、自分を出してご覧よ。それが自分を大事にすることなんだよ。
     こんなことを思いながら、反応ができる子どもにしたいといろいろな手だてを講じる。今はできなくても、必ずできるようになる。根気よく訴え続けるしかない。大事にしたい気持ちは本気だよと子どもが感じるまで訴え続けるしかない。そして、この思いに子どもは必ず答えてくれると信じている。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年04月22日 06時13分34秒

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    じっくりとこだわる

    授業の進み具合を気にしながら、毎日の学習を進めていることと思う。しかし、授業を進めることに焦点が当たり、教えたいという思いが全面に出て、教師が自分のペースで授業を進め、子どもが分かっていようがいまがお構いなしになってしまっては大変。やはりこの時期は、多少時間がかかっても学習姿勢を身につけることに重点を置くことだ。そして、それが今後の授業を進めていく上で必ずプラスになる。慌てて授業を進めても分からない子どもを作っていっては、今後の授業に支障を来すことになる。まずは、聞く姿勢作りだ。
    ・話し手を見ているか。
    ・話を最後まで聞いているか。
     最低これができていなければ、自分の考えを話題に乗せて作ることができない。聞いていないと話題に乗り遅れたり、ずれたりする。それを修正するために無駄な時間を生むことになる。そうならないように確実に話の内容が理解されているかどうかの点検をする。
    ・聞いたことを正確に話すことができるか。
     これが緊張感を生む。そして、聞き逃さないように聞くことができれば、聞いたことについての自分の考えをもつことができる。それを学級の8割以上の子どもができるようにならないと落ち着いて学習を進める学習集団にはならない。いつでもこの8割以上の子どもができるようにしようとするには、それなりの時間が必要だ。まずこの8割以上の子どもの聞く姿を作るために、挙手で確認したり、氏名カードで頑張りを評価したり、子ども自身に聞く姿勢に関わる目標をもたせたりとあの手この手を使う。ただ、これに時間がかかりすぎると感じるならば、手だての問題ではなく、教師のこだわりに問題がある。つまり、どれほどこの手だてにこだわっているかということだ。1時間に1回手だてを講ずればよいというものではない。できなければ前に進めないという思いが強ければ強いほど何度もこの手だてを講ずる。こまめに評価をし、できる子どもを増やしていく。できる子どもが一度できれば安心するのではなく、能力として身に付くまで何度でも評価を繰り返す。「あなたは聞く力をもっているから、安心だ。」と伝えることができるまで何度も繰り返す。どの子もできているだろうかと自問しながら、学級全体の子どもの姿を見渡す。できなければ、また手だてを講ずる。この繰り返しだ。
     よく聞く姿勢を高めるワークなどを紹介する本を見かける。しかし、場当たり的な手だてでは力にならない。やはり、日頃の授業の中で繰り返しすることで聞く姿勢は身に付くものだ。地道に授業の中で根気強く聞く姿勢にこだわり続けることが力をつける一番の近道になる。ワークをして余分な時間を作るよりも授業に時間をかけたい。
     手だてではない。本気で聞いてほしいという教師の叫びが子どもを変えるのだ。手だてを講じたくなるのは、その本気がその手だてを生み出している。教師のこの本気の姿勢がうるさいほどの繰り返しの指導になっている。この時期に教師のこだわりを示さなければ子どもの聞く姿勢ばかりか、学級作りの文化を作り出すエネルギーさえ生み出すことができない。どの子も大事な学級の一人だから、一人も見捨てることはできない。何とかみんなに力をつけたい。そんな子どもへの愛情がこのこだわりを生む。

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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年04月21日 06時44分32秒

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    認め合う集団

    人から認められると安心できる。逆に非難されると不安になる。誰もが感じることだ。そして、互いに認め合える集団の中にいれば、安心していられる。安心できるから自由にものがいえるし、自由に動き回ることができる。学級はそんな場でありたい。それも、どの子もそれを感じる場でありたい。一部の子どもだけが安心できる場であってはならない。どの子にとっても安心できる場なのだ。
     自分を出すのが怖い、仲間から否定されるのではないかと恐れたり、恥ずかしいと思ったりする気持ちをもつ子どもがいるが、自分を解放できずにいるのは、安心できる場と感じていないからだ。閉じた心を開くには、仲間の支えが必要だ。仲間が「安心していいよ。」「大丈夫だよ。」と声をかけ、助けてくれる仲間でいてくれたなら、どれ程うれしいだろう。安心して心を開こうとする。この支え合う仲間作りが学級作りになる。個の能力はこの集団の力によって開花する。十分に力を発揮できるならば、それは認め合う集団になっているからだ。
     勝手で、人に迷惑をかけている子はある意味で自由に自分を集団の中で生かしている。しかし、それが他の子どもに制限を与えていることになることに気づいていない。それに気づかせ、どの子も自由に自分を生かすために誰もが最低守らなければならないルールを作ることが必要となる。それが学級のきまり(約束)となる。きまり(約束)だから守らなければならないのではない。そのきまり(約束)を守らないと仲間に制限を加え、自分を生かせない仲間が生まれてくる。
    例1 人が話をしているときに勝手に私語をしている。
     自分の好きな話をしているので一見自由に見えるが、それが、話し手から見ると無視しているように感じる。誰もが私の話を聞いてくれるから安心できるのに聞いてくれない仲間がいると不安になる。
    例2 廊下を走って遊んでいる。
     自分の思い通りに楽しんでいるので一見自由に見えるが、それが、廊下を使う他の仲間が邪魔だ、危険だと感じる。これが、安心して歩くことに制限を加えることになる。
     互いに譲り合い、助け合い、互いを認め合う仲間であれば、この程度のきまり(約束)は守ることができる。そんなきまり(約束)を一つ一つ作り上げる過程が学級の文化である。決して最初にきまり(約束)があるわけではない。きまりだから守りなさいでは安心できる自分を感じることはできない。制限を感じるだけだ。誰もが過ごしやすい安心できる場にするためにきまり(約束)を作っていくのだ。互いに認め合い、自由に自分を生かすためにどんどんきまり(約束)を増やし、挙手のルールや移動の約束、給食時間の過ごし方の約束など様々な細かい約束となっていく。それは、学級独自で作りあげる文化だから、外から見ていると見えないことが多い。その中にいる子どもたちだけが知っている。外から見えるのは、子どもたちの育った姿だ。このことから考えると互いに認め合う質の高い集団では、多くの約束事がある。勝手に決めた約束事ではなく、どの子も合意し、自分を生かすための約束になっている。そして、その約束事に守られて思う存分自分を発揮している。

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