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from: コナンさん
2026/09/12 22:51:03
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😒あす 9月13日は何の日? 乃木大将の日
乃木希典
日露戦争で大国ロシアを破った手腕が称えられるほか、
戦死した仲間を思う気持ち
捕虜となったロシア兵士を一人の人間として扱う人間性
が日本のみならず海外でも聖将として高く評価されている
乃木のぎ希典まれすけ大将。
その乃木大将が1912(大正元)年9月13日に執り行われた明治天皇の大喪の日、
夫人とともに自刃しその生涯を自ら閉じました。
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享年64(満62歳没)。
警視庁警察医員として検視にあたった岩田凡平は、
遺体の状況などについて詳細な報告書を残しているが、
「検案ノ要領」の項目において、乃木と静子が自刃した状況につき、
以下のように推測している。
乃木は、1912年(大正元年)9月13日午後7時40分ころ、
東京市赤坂区新坂町(現東京都港区赤坂八丁目)の自邸居室において、
明治天皇の御真影の下に正座し、
日本軍刀によって、まず十文字に割腹し、妻・静子が自害する様子を見た後、
軍刀の柄を膝下に立て、剣先を前頸部に当てて、気道、食道、総頸動静脈、
迷走神経および第三頸椎左横突起を刺したままうつ伏せになり、即時に絶命した。
将軍(乃木)はあらかじめ自刃を覚悟し、12日の夜に『遺言条々』を、
13日に他の遺書や辞世などを作成し、心静かに自刃を断行した。
夫人(静子)は、将軍が割腹するのとほとんど同時に、
護身用の懐剣によって心臓を突き刺してそのままうつ伏せとなり、
将軍にやや遅れて絶命した。
乃木は、いくつかの遺書を残した。そのうちでも『遺言条々』
と題する遺書において、
乃木の自刃は西南戦争時に連隊旗を奪われたことを償うための死である旨を述べ、
その他乃木の遺産の取扱に関しても述べていた。
乃木は、以下の辞世を残している。
神あがりあがりましぬる大君の みあとはるかにをろがみまつる
うつ志世を神去りましゝ大君乃 みあと志たひて我はゆくなり
また、妻の静子は、
出でましてかへります日のなしときく けふの御幸に逢ふぞかなしき
乃木の遺書には『遺書に記載されていない事柄については静子に申しつけておく』
旨の記載などがあり、乃木自刃後も妻の静子が生存することを前提としていた。
乃木の遺書について、署名は「希典」の花押のみであったとされる
乃木将軍の自刃に関しては、
『こゝろ』
著:夏目なつめ漱石そうせき
『興津弥五右衛門の遺書』
著:森もり鴎外おうがい
でも題材として扱われており、
自宅のあった赤坂(東京都)には乃木大将を祀った

鳥居・乃木神社
が建てられております。
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