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  • from: 物理屋さん

    2009年12月07日 21時02分18秒

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    Re:理解

    ◎どうも、物理屋です。
    こちらには久しぶりに来させていただきました。


    ◎理解についてお話しされているようですね。興味深いです。
    「百聞は一見にしかず」... なるほど実際に体にしみこませた経験は知識にも勝るのかもしれませんね。知識はきちんと理解して初めて経験と呼べるものでしょう。私はふと、この関係は理論と実験と似ていると感じました。と言いますのも、「理論」と「実験」明らかに相反している両者ですが、時間的な相違がない。つまり2つで1つといった感覚でしょうか。


    ◎そんな理解や経験ですが、今夜はその境界線について考えてみたいと思います。

    『理解』〜それは意識して行うもの
    ・理解して行うこと
     勉強、読書、特殊技術の習得、状況の整理など

    『経験』〜それは自然と行っているもの
    ・自然に身につくこと
     母国語の上達、常識の学習、生活に必要な知識など

    「意識して何かをする」こと(以下「前者」)と、「自然と何かをする」こと(以下「後者」)。両者の違いはまず言語という形で現れてきます。前者の方は明らかに言語での表記が容易であり、反対に後者の方は言語では表現が困難なプロセスを辿っています。まさに「言葉にならない」作業であると言えます。後者の例として、先ず私の頭に浮かぶのは、漁村に住む人々が自然と“捕りやすい漁の仕方”を身に付けていることなどです。これは人類学の分野では「自然知」などと言われているそうなのですが、これも実は「理解」をしていると言えるのかもしれませんね。

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