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  • from: Infophysさん

    2012年04月03日 03時48分20秒

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    dual(双対)な二つの構造体はなぜか引き合う。

    電子と陽電子の間の引力や、
    男と女の惹かれ合い、
    自分の好きな顔の女の子を見たときに自分の気が引かれていく現象
    黄金比(白銀比や青銅比も本質的に同様)を見たときの気持ちの良さ
    など

    これらの「現象」は、たぶん皆、duality(双対性)が関わってます。
    陰陽五行説もまんざらばかにできません。

    陽と陰は、例えば凸と凹に模式化できそうです。
    南方熊楠も尊敬していたというライプニッツが形而上学叙説に書いていたと思いますが、世の中はすべて適合性を求めて動いているようです。
    つまり、
    すべての存在は互いの立場や状態からみて、
    相対的な意味でより適合的な状態を目指して動いている
    という見方だと思いますが、
    これは、個人個人の言動や様々な物体の運動を見ていてもそう思えます。
    しかも、色々な立場の人にとって都合のよい、つまり、適合的な状態に対しては、競争・競合が生じます(最近の(?)哲学者レヴィが、ヴァーチャルとは何か、という著作のなかでそこを書いてます)。

    自然や社会に対してより適合的な存在ほど優れた存在だという見方もあり得なくはありません。ここからは僕の勝手な解釈ですが、
    この適合性の高さこそ、徳であるという気がするのです。
    徳という字の意味は「直き心」だそうです。素直な心とでも言うのでしょうか。老子道徳経に書かれた徳の意味とは、大道廃れて仁義あり、と
    彼(実在性は怪しいのですが)がいっていることとも関係しそうですが、
    自分が努力してやるような徳は真の徳ではなく、そもそも人間には努力しなくても素直な心や真心によって、社会をうまくまわしていけるような徳を持っているということらしいのです。孔子の立場からすればそんな都合のいい話があるはずがない、ということになりそうですが、
    実際素直で真心溢れる社会ではよそよそしい仁義礼智などは必要なかったのかもしれません。文明的になればなるほど、そういうそういう劣った習慣が必要になったとも言えそうですね。大道が廃れるとはそういう意味だと僕は思ってます。
    科学者の卵としての僕の見方ではありますが、
    この直き心で、社会が成り立ったり、正常な生き方ができるというのは
    結局は自己組織化のことをいっているのだと思うのです。
    しかも、ぼくはこの自己組織化は先ほどの適合性を目指す運動の現れだと思っています。つまり、知識のような情報的な存在でさえも、この法則からはぐれていないのだと思うのです。
    知識が自分に理解され吸収されるときのことを思い出してください。
    数学のなども典型例になりますが、ある公式を理解しようと思ったとき、
    それまでに習ったことの積み上げがなければなかなかそれを理解することはできません。つまり、自分がその知識に対して適合性を持っていないため、それを知りたいと思わないどころか、学校のような恣意的に教え込もうとする機関で押し付けられでもしない限り、縁がありません。
    ところが、そこまでに習ったようなことを、例えば自分で積み上げていたとしましょう。そのときの自分の知識体系の構造が凹だするとその次に凸が欲しくなるのは自然だと思います。つまり、凹という不安定な存在のムズムズ感が、自我に次の凸を欲しがらせてしまうわけです。で、自分は色んな手を尽くしてその凸が記述されている箇所を探しあて、または、さまざまな思考過程を経てその凸を見出だす努力をします。
    つまり、本質的には凹の不安定性が凸を呼び寄せたようにも見えます。
    知的欲求が少ない場合でも、なんか気になってる、という感覚があるわけです。ぼくはこれはカオスがコスモスを求めている状態のように見えるのです。カオスとコスモスが出会うときクリエイティブな現象、つまり、この場合は理解したときのスーっとした気分が生じます。クリエイティブであると同時に、annihilative(アニヒレイティブ:消滅するような)な現象ですね。
    逆に、自分がその状態にあると、向こうからその知識がやって来ることさえあります。適合的な情報に自分が偶発的に遭遇して、ハッとすることがあります。偶有性というか共時性(シンクロ二シティ)とでもいいましょうか。
    だから、真の統一理論は、この適合性を中心に語られるべきだと思ってます。電子と陽電子はそうかもしれない。しかし、重力はどうか。質量やエネルギーのような陰でも陽でもない存在が引き合うのはなぜか。じつはここにはレヴィのいう競合が働いていそうです。これも適合性を目指す運動の一種ですが、できるだけコンパクトにまとまった方が、多くの存在が狭い時空間に入ることができます。そういう意味の適合性なんだと思います。たもえ、凸と凹が構造的な違いがなかったとしても、少しずつは集まろうとしたでしょう。ちょっとつかれてきたので、またにします。この辺はぼくも未だよくわかっていません。

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