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  • from: Infophysさん

    2012年04月13日 12時10分41秒

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    僕らが悩まされるもの

    価値観というものは社会の構造が産み出しているものなのではないだろうか。

    職業に貴賎はない。っていうけど、貴賎という言葉自体が社会的な価値感覚なのであって、社会的認識においてはどうしても貴賎の意識が残ってる。

    科学者の見方とそうでない非専門家の見方の間に優劣があるか、という問にたいし、優劣そのものが社会的な感覚的産物なのだと言いたくなる。

    社会的に構造化され、それに対応する形で精神的に構造化されている価値や優劣。それに反駁しようとする必要はあるだろうか。そもそもそれは便宜的なものに過ぎないはずだ。

    しかし、自然と社会を単純に分離して考えることは、現代においては良しとはされまい。
    社会も広大な自然宇宙の一部としてみたとき、このような価値や優劣に本質的な意義が与えられてしまうだろうか。

    たぶんその逆なのだろう。自然との一体化の中では、それぞれの立ち位置の意義がただしく見出だされていきはしないだろうか。蚊やハエ、ねずみもサルも人間もさして差はなかったという結論に導かれようとしているような気配もある。

    確かに人間は知性の上で上位に立っているかもしれない。しかし、知に対する価値の置き方そのものが人間中心主義と言えるだろうから、その認識もまたどこか偏ったものなのかもしれない。

    現代的なフラットな社会の傾向はこのような流れで理解できはしないだろうか。

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