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  • from: 庵主さん

    2011年11月08日 20時34分31秒

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    上手は下手の手本、下手は上手の手本(風姿花伝)

    能に限らず、あらゆる分野で「ものごとを学ぶ」ということは、どういうことか。650年前の世阿弥の言葉が、とかく知れば知るほど視野が狭くなるわれわれに深い気づきを今も与え続けてくれます。
    ぼくも、日頃うまく行って得意になっている時ほど、何度も読み返している『風姿花伝』の名段落をご紹介します。


     質問  能においても人それぞれ得手不得手というものがある。ことのほか劣ったシテであってもある方面では上手に勝る芸をもつ者がいる。これを上手が真似しないのはできないからであろうか。また、真似してはならないので、しないのであろうか。
    (質問者:世阿弥)


     回答  一切のことに得手といって、生まれながらにして与えられたよい面があるもの。位は格上ながら、その面についてのみ及ばないということはある。しかしこの場合もまた上手とはいえどもほどほどの上手の範囲ではある。まことに能と工夫を極めつくした上手であれば、どのような芸であろうとできないということなどあろうか。つまりは能と工夫を極めつくした上手が万人に一人もいないということになろうか。いない理由は、工夫がなく慢心のみあるからである。そもそも上手にも悪い面があり、下手にもいい面が必ずあるものだ。ただこれを見分けて指摘する者もなく、本人も自覚していないということか。上手は名を頼み技能にかくされ自分の欠点が見えなくなっている。下手はもとより工夫せず欠点も見えないので、たまたまある長所にも気付かない。されば上手も下手も互いに相手に尋ねるべきだ。反面能と工夫を極めた者はこれを悟るものである。
     いかに下手なシテであっても良いところがあると気付けば、上手もこれを学ぶべきだ。これが一番の方法である。もし良いところに気付いても、自分があんな下手から何を学ぶのだと思い上がる。この心にしばられて自身の悪いところをも無視するようになってしまう。これがすなわち極め得ぬ心となる。また下手にも上手の悪いところが見えた場合。あんなに上手なのに欠点があるものだ、ということは初心の自分にはさぞかし欠点も多いはずと悟り、これを恐れ人にも尋ね工夫をする。これが良い勉強良い稽古となって能は早く上達するだろう。かたや自分はあのように悪い芸などするはずがないと慢心を持てば、自分の長所をも全くわきまえないシテとなってしまう。長所を知らねば短所もよしとしてしまうもの。こうなるといくら年季を積んでも、能は上がらない。これすなわち下手の心というものである。さればたとえ上手であっても、思い上がりは能を下げる。いわんや根拠のない思い上がりはなおさらのこと。よくよく公案し考えることだ。上手は下手の手本、下手は上手の手本とわきまえ工夫すべし。下手の良いところを、上手が自分に欠けている芸域に取り入れることはこれ以上ない理想的な方法ではないか。人の悪いところに気付くだけでも自分の勉強になるというのに、ましてや良いところについては、言うまでもない。「稽古は強くあれ、しかし慢心はもつな」とは、まさにこのことである。
    (回答者:観阿弥)


    『現代語訳 風姿花伝』世阿弥著 水野聡訳
    PHPエディターズグループ 2005年
    http://nobunsha.jp/book/post_13.html

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  • from: 庵主さん

    2011年11月02日 20時43分44秒

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    犬猿の仲。織部と桑山左近

    『久重日記 坤』 寛永十七年卯月十七日

     寛永十七年四月十七日のこと。古田織部は桑山左近とは長年犬猿の仲であった。ある時忠興公が、織部邸へ茶に参る。相客の谷出羽守に加え、春田又左衛門も召し連れた。そこで桑山左近へ、
    「そなたも同道されよ」
     と誘う。左近は答える。
    「織部殿とはしっくりいかぬ。ご同道はいたしかねる」
     と、なかなか同意せぬゆえ、忠興公は無理強いして、
    「気が進まぬもわからぬではないが、たって一緒に参ろうではないか」
     といえば、左近もいう。
    「その儀ならば、それがしも同道の由、前もって織部殿にお知らせ願いたい」
     三斎(忠興)公、「それには及ばず」と左近を無理に連れて参ったものだ。ところが着いてみれば、織部は「よういらっしゃった左近殿」というし、左近も「お迎えかたじけなし」、などと互いに平気な顔。

     さてこの時、織部は風炉灰にことの他手間取っていた。あまりに時間がかかり過ぎるので三斎公は、
    「さてもさても手間のかかることよ。大方に置かれたならばよかろう」
     といった。織部の答えは、
    「何としてもこのたびはご両人のご前ゆえ、難しゅうござって」
     というばかり。さて、炭を仕廻うに際し客衆が寄って拝見しようとすると、織部は勝手へ入り、障子を閉てた。三斎公は、
    「さても見事な炭。風炉の内、このようにも作れるものかな。これでも難ありといえようか」
     と、左近へ振り返ると、
    「さてもさても見事なることかな。まったく驚き申した。織部殿の数奇一段と上がり、ことの他立派な宗匠となられたものよ」
     と左近が答えると、障子の内で織部は、くつくつとふき出し、笑いはじめる。左近もつられて笑い、私も笑い、ついに全員大笑いしたものだ、とお話なさったという。

    現代語訳(能文社 二00九)


    ※松屋久重は、戦国〜江戸初期の重要な茶書『松屋会記』の編纂者。奈良の塗師、松屋当主。古田織部は、織部焼で高名な千利休、第一の弟子。利休亡き後、天下の宗匠として徳川将軍家の茶頭を任ずる。細川忠興、桑山左近は、ともに戦国武将であり、千利休門高弟である。相客の谷出羽守は、信長・秀吉に仕えた戦国期古兵者、丹波国山家藩初代藩主。春田又左衛門は細川家家臣。

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