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  • from: 庵主さん

    2023年09月07日 11時27分47秒

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    名言名句 第七十六回 二宮尊徳 「樹木を植うるや、三十年を経ざれば即ち材を成さず」


    樹木を植うるや、三十年を経ざれば即ち材を成さず。 二宮尊徳『二宮先生語録』

    今回の名言は、今日のSDGsにもつながる「木を植える」というテーマです。
    尊徳晩年の弟子、斎藤高行が師の没後、その教えを筆録・編纂した『二宮先生語録』から、以下、原文(漢文読み下し文)と現代語訳をご案内しましょう。

    【原文】

    「樹木を植うるや、三十年を経ざれば即ち材を成さず。宜しく後世の為めに之を植うべし。今日用ふる所の材木は則ち前人の植うる所。然らば安(な)んぞ後人の為めに之を植ゑざるを得ん。夫れ禽獣は今日の食を貪るのみ。人にして徒に目前の利を謀らば、則ち禽獣と奚(な)んぞ擇ばんや。人の人たる所以は推譲に在り。此に一粒粟あり、直ちに之を食へば即ち止(ただ)一粒のみ。若し推して以て之を植ゑ、秋実を待つて食へば、則ち百粒を食ふも、猶ほ且つ余りあり。是れ即ち万世不易の人道なり。」

    (『二宮先生語録』巻一/六八(『二宮学派・折衷学派 (大日本文庫 ; 儒教篇)』小柳司気太 校 春陽堂書店 昭12)

    【現代語訳】

    樹木を植えたならば、三十年経たねば木材とはならぬものだ。つまりは後世のために木を植えるのである。今われわれが使っている木材は先人が植えたもの。それならばなにゆえ後の人のために木々を植えぬわけにまいろうか。そもそも鳥獣は今日の食物を貪るのみ。人として、いたずらに目前の利得だけを求めるならば鳥獣とどこが違うといえるのか。人の人たるゆえんは、推譲にあり。たとえばここに一粒の粟があったとせよ。そのままそれを食べてしまえば、たった一粒。しかしこれをとっておいて植え、秋の実りを待って食べれば、たとえ百粒食べたとしてもまだ十分に余りがある。これがすなわち万世不易の人道である。」

    (水野聡訳 2023年9月 能文社)

    二宮尊徳の独自の思想は「報徳思想」と呼ばれ、それは以下、四つの基本原理で成り立っています。

    【至誠】
    至誠とは、物事への取り組みを真心を持って誠実に行うこと。
    そして、真心は具体的に行動をおこさなければ意味がないと尊徳はいいます。これはすべての物事に対する基本的な態度であり報徳思想の根底の考え方です。

    【勤労】
    「至誠」の心を持って、私たちは「勤労」をする必要があるといいます。ただ生活の収入のため、あるいは自尊心のためだけに働くわけではない。大事なことは徳に報いること。そのために誇りをもって倦まずたゆまず自らの仕事を続けていくことです。

    【分度】
    「分度」とは、それぞれの収入の中で、適切な支出範囲を決めるということ。
    収入以上の支出をすれば、赤字になることは明白です。質素で倹約的な生活を実践し、収入の範囲外(分度外)を貯えることを勧めます。

    【推譲】
    推譲とは、分度で残しておいたものを自ら人に譲ったり、将来に残したりするという意味。またそれは、財物のみを譲るのではなく、精神的なものをも意味します。思いやりの心を持ちながら、人に譲るということを大切にしようと尊徳は説きました。

    これら四つの原理の内、尊徳の足跡をたどり、実績を評価する上で独自のものとされるのが、【分度】と【推譲】です。以下、『二宮翁夜話』から尊徳自身の言葉を引用します。

    「分度を守るを我道の第一とす。能此理を明にして、分を守れば誠に安穏にして、杉の実を取り、苗を仕立、山に植えて、其成木を待て楽しむ事を得るなり、分度を守らざれば祖先より譲られし大木の林を、一時に伐払ても、間に合ぬ様に成行く事、眼前なり、 分度を越ゆるの過恐るべし。財産ある者は、一年の衣食、是にて足ると云処を定めて、 分度として多少を論ぜず分度外を譲り、世の為をして年を積まば、其功徳無量なるべし。釈氏は世を救はんが為に、国家をも妻子をも捨てたり、世を救ふに志あらば、何ぞ我分度外を、譲る事のならざらんや」

    (『二宮翁夜話』福住正兄筆記 佐々木信太郎校訂 岩波書店 2017年)

    【分度】も【推譲】も元来一般名詞ですが、報徳思想による仕法の経済的な実践として展開されていったため、今日では尊徳の独自の用語とされるようになりました。
    また、理論と実践の関係から見れば、それらは仕法による廃村復興の一例一例の実践から生み出された言葉であり、思弁による哲学思想ではなく、土から生まれ、天と人が融合した普遍の智慧ともいうべきものです。

    さて、土から生まれ、人と地球に計り知れぬ恩恵を与えてくれる樹木は元来自然の里山に自生するものですが、用材としては人が植えたもの。いつ、だれが、何のために植えたのか。数十年前、あるいは百年以上前に先人が、子孫のための「贈り物」として種を蒔いたものです。
    人生八十年。一人の人間が一代で成せる事はまこと微々たるものです。植物でいえば、一つの花から生まれたたった一粒の種。しかし、その種が木となり花となり、実を結び、やがては広大な大森林、豊かな地球環境となっていくに違いありません。間違っても子孫へ負の遺産は残さず、たとえ小さなことでもいいので自分の持ち物をひとつかふたつ、まだ見ぬ未来の子供たちへ推譲せよ、と尊徳は教えたのです。

    推譲はまた、未来へ引き継ぐという観念から、茶の湯の"侘び"の精神とも結びついていきます。「し残すことが、まさに生き延びるわざである」と兼好法師が『徒然草』で述べたように、尊徳の分度外(余白)の推譲こそ、侘び茶が半世紀近くかけて追求し、実行してきたものに他なりません。

    ※参照URL
    【言の葉庵】名言名句第十五回 徒然草 「し残したるを、さて打ちおきたるは」
    http://nobunsha.jp/meigen/post_61.html

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