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  • from: さん

    2025/11/26 16:25:37

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    【博物館・航空機】2018年の三菱みなとみらい技術館@横浜  その3

    さて、航空機の模型。
    さすがの三菱重工さんも、街中のビル街に実機を並べるわけにも行かないようです。しかも、借りで作った機体ともなれば、実機を持つわけにも行かないのでしょうか。いや、持ったら維持費が貯まんないんでしょうね。

    でも、航空機はカタチに性能が表れているので、模型を見てると楽しいんですが、そこに答えを与えてくれない展示は、科学博物館としては悩ましいところですね。まだ、そんな専門博物館員もいないし、それを求める観覧者もいない。うーん、鶏玉子、ニッポンの教育のまどろっこしいところですよね。保護者が頑張る?


    F-86F。ブルーインパルス初代でしたね。初回の東京オリンピックで世界で最初に会場の空に五輪を描いたことも有名です。もちろん世界で最初にゴジラと戦いました。



    F-104は超音速戦闘機。最後の有人戦闘機とまでいわれました。1960年前後の戦闘機のカタチの代表となりました。いまなら、社会現象ですね。キングコングやもちろんゴジラとも戦いました。



    MU-2。あまり知られていない日本製最初のビジネス機。正面から見ると妙に愛くるしい顔つきと、衣紋掛けのようなまっすぐな主翼が特徴です。そんな外見とは裏腹に、ビジネスジェットに迫るなかなかの高速でアグレッシブな飛行をすることも有名だそう。なめてかかったオーナーがよく事故を起こしたので欠陥品呼ばわりされましたが、欠陥がありませんでした。ホントにじゃじゃ馬な設計だったようですね。操縦講習会を開催して事故は収まったそうです。
    講習会がクラブのようになって、中古機もマニアに人気があるそうです。




    MU-300。当時最速の日本初のビジネスジェット機。設計も狙い所も良かったんですが、初めてなのに全部自分でできる、って思ったのが裏目に出て、アフターサービスに不備が出ました。日米貿易摩擦もやや影響してか、MAIは大赤字で解散、機体をビーチクラフトに売却しました。結局、ビーチジェット400と名を変えたMU-300は、空軍(T-1A ジェイホーク)にも採用されてバカ売れ、いまはホーカー400としてなおアップデートして販売中です。コクピットウインドウが円筒側面形で個性的です。



    三菱F-1。元は複座の高等超音速ジェット練習機T-2 でしたが、思いのほか性能が良いと言うことで、単座戦闘機化されました。でも、支援戦闘機なので、F-4EJや制空戦闘機 F-15 の陰に隠れてゴジラとは戦ってないと思います。レギオンには攻撃して無事帰還しました。制空戦闘機でカイジュと戦うより、支援戦闘機で戦う方が良いと思うんですが。。。



    F-4EJ。二人乗りの万能戦闘機、ファントム。日本はライセンス生産で、対地攻撃能力はついていませんでした。長年使用している内に、対地対艦攻撃能力の付与から近代化を行って、つい最近(2020年3月)まで使用されていました。


    局地戦闘機 J2M 雷電。日本機としては個性的な図太い胴体です。出力の悪い空冷エンジンを積んでなお、前面投影面積の不利を機体でカバーしようとした結果のカタチです。機首から尾部まで、滑らかな曲線で構成された結果、操縦席には幅広のキャノピーが着いています。フェアレディZのようなシルエットです。そう、前部にはエンジンがどっかり収まっています。



    陸軍向け四式重爆撃機 キ-67 飛龍。アイランドホッピング作戦が進行して、日本も爆撃を本土からせざるを得なくなりました。陸軍なのに海の上を飛んで太平洋の島で敵艦隊を攻撃する必要ができました。三菱はおもんばかって、長航続距離の爆撃機を作ったのが、飛龍です。陸軍爆撃機の伝統で、搭載少なめ、逃げ足重視、で、目を見張る高速でした。そのほか性能や操縦安定性などもよく優秀だったため海軍からもお呼びがかかり、爆撃、雷撃、強強度、派生型も開発されました。でも、最後は特攻機に使用されましたが、その戦績は多くは残っていません。




    キ83。試作双発戦闘機。速度性能は国産最高速だったそうです。


    A7M 烈風。幻の決戦機。困窮した日本海軍は、そこそこ性能のよかったA6M零戦の改修に明け暮れて、新型戦闘機を開発する間がなく先送りになってジリ貧でした。終戦の年になって量産が始まりましたが、資材不足に人材不足、さらに中部地震やなんやで配備できなかった遅すぎた名機です。




    キ2 九三式軽爆撃機。ユンカースK37双発軽爆撃機のコピー。映えあるキ番号の初号機、キ1 九三式重爆撃機は劣化大型化爆撃機になってしまいましたが、こちらは改造で速度性能も向上したようです。




    試製秋水。海軍の略符号はJ8M、陸軍のキ番号はキ200です。ドイツから受け取ったMe-163の資料を参考に開発。伊29が米ソードフィッシュに撃沈されたため、航空機で渡った資料は三面図程度しか資料が入手できず、日本独自の開発技術を流用、一度は離陸、上昇したもののエンジン停止で不時着失敗し大破。エンジンの再供給が間に合わず終戦までに完成はできなかったようです。


    シコルスキーS-61。 海上自衛隊HSS-2 対潜哨戒ヘリです。日本では1963年末の初飛行、翌年3月に納入されて以降、HSS-2A、HSS-2Bが制式化され、2003年まで運用されました。南極観測隊には2008年まで使用されました。

    シコルスキー S-55 。日本でノックダウン組立、ライセンス生産が行われたベストセラー級輸送ヘリです。機首のこんもりしたところにエンジンが収納されて、機内が広く使えます。海上保安庁の所属機がゴジラの現れた大戸島に向かいましたが、ゴジラに踏み潰されてしまいました。空自で救難機、ほか、各自衛隊で多用途に使用され、民間にも販売されました。後期の生産機は、ローター接触事故に配慮して、テールブームが途中から5度下がっていて水平安定板が逆Vにしたもの(H-19C)があります。この模型は初期型のようですね。


    A6M 零式艦上戦闘機 52 型。言わずと知れた、旧日本海軍の初期の主力戦闘機。木の葉のようにひらりと機動する軽戦闘機。無理な軽量化は、パイロットの防御や火災防止がなかったためで、アメリカの研究によって弱点が晒されてしまいました。

    後方のJ-BACIは、朝日新聞の神風号(九七式司令部偵察機試作2号機)に対抗した毎日新聞のニッポン(九六式陸上攻撃機)です。



    零式観測機。複葉ながら金属製機体で機動性も空力性能も良く、二式水戦並みに強かったというが、操縦者の質も高かったのかもしれない。しかし、速度も速く、撃墜にも大いに貢献したようです。本業の観測機としては、戦艦が主砲を撃たなくなった時代になったので低調だったようです。




    陸軍100式司令部偵察機。III型は、機首からガラス張りの流線型をした機体形状。迎撃されることなく偵察情報を持ち帰るために、速度重視の設計です。I、II型は、仔犬の鼻先のようになっていました。


    総じて、三菱の設計は、速度いのち!というわけではないでしょうが、空力に対するこだわりがそういう結果を生み出していたのかもしれませんね。製造中止になったMH-2000も機体が美しく速そうなカタチでしたし、プロジェクト中止になったMSJも空力に配慮されたカタチでした。運用を見てみたかったものです。でも、空力設計による速度性能が良いということは、コスト、工数、時間や不具合、維持費も増加する可能性が高くなって、製造コストがかかってしまってる可能性も秘めているような。

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