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  • from: あるさん

    2011年07月21日 01時36分25秒

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    外来の心

    ここ数日間、なんだか何をどうしたら良いのだろうかという、戸惑いの想念が心の中を渦巻いていました。

    それが少し落ち着いて収まって来た時に、これまでの人生を振り返る反省というか率直な、自分への批評が浮かびました。

    結局の所自分は何一つ、やりとげていない。

    まるで心が何かにコントロールされているように思えるほど、心を制御出来ない。

    昔は気力が充実して、興味を持ったら何でも真剣に突き詰めて、それなりに自分の満足出来る結果を出せていた。

    それが今は、何事にも倦怠感が先行して全く気力が湧かず消耗しきって人生に希望が持てない。

    一体、いつの間にこんなことになってしまったのだろう?

    仕事のし過ぎで疲れきってしまったのだろうか?

    確かに毎日何時間も残業すれば疲れも溜まるけど、昔は仕事自体が楽しくてそんなのへっちゃらだったはずなのに。

    気力が枯渇しきって、もうほんと、かろうじて生きてるといった感じです。

    おそらくもう何年も前からこんな状態だったけど、なんとかごまかして見てみぬフリをしてきたのかなと思います。

    そんなことをここ数日間考えながら読んだ本の中に、その答えが出てきました。

    カルロス・カスタネダさんの「無限の本質」という本です。

    それによると人間は捕食されているそうです。

    正確には、様々な生命体の中でも人間だけが持つ特殊なエネルギーがあって、それが食べられる。

    その仕組みは、捕食者がまず人間に心をセットする。

    人間が本来持つ心とは別の心で、捕食者がエネルギーを食べるために都合のいい心。

    それは「外来の心」と呼ばれるそうです。

    詳しいことは忘れましたが、矛盾、恐怖、自己中心など、そういうパターンで思考するよう綿密に計算され尽くし設計された心。

    その心がエネルギーを捕食者に渡す役割をする。

    子供のころはエネルギー満タンで光り輝いていた人間ですが、大人になるとギリギリあるかないかの少量しか残っておらず、それでも殺さない程度にギリギリ、食べ続けるそうです。

    そしてまたわずかに新しく生産されたエネルギーをギリギリまで食べるという仕組みで人間は養殖されている。

    確かそんなような仕組みだと思います。

    これが比喩的な表現なのか真実なのかはまだ分かりませんが、ものすごく納得してしまいました。

    そして幸いにも、その仕組みを見破った昔の賢者は対抗策を残してくれました。

    それは修練だそうです。

    心の対話を止めて、沈黙するのが良いそうです。

    するとエネルギーが変質して、捕食者の口に合わなくなって、食べられずに済むようになるとか。

    そしてそれを必要な期間行うと、やがて「外来の心」はあきらめて逃げて行くらしいです。

    そこからがまた過酷なことになるとか書いてあったような気がしますが忘れたので再度読んでみます。

    ともかく、沈黙の瞑想を毎日やってみようと思います。

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  • from: あるさん

    2011年07月14日 03時39分50秒

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    自由かどうか

    自由についての考えが浮かびました。

    自由とは自己責任のことだなと思いました。

    都合が悪くなると他人を責める気持ちが沸き上がって来るうちは、私は自由じゃないです。

    出来事であれ生物であれ、そのものを見ていないのが今の自分だということを忘れがちです。

    そのものを見ることがまず最優先かなと思いました。

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  • from: あるさん

    2011年07月09日 03時51分47秒

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    失敗の理由と対策

    なぜ実現出来ないことがあるのかについて、別な角度からの考えが浮かびました。

    これまでは肉体と現実世界を分離させて意識していました。

    厳密に言うと、肉体は自分だけど世界は自分ではない、という意識です。

    その状態で目標を持つとします。

    例えば、サイコロで1の目を出そうという目標を持ってイメージを持って振れば、確かに現実に反映します。

    その時、「外側に働きかけている」という意識状態なのですが、その意識状態が及ぼす別の作用に気付いていません。

    それは、「肉体と世界は分離しているのだから、ある程度は自在にコントロール出来る肉体と違って、現実世界では思い通りにならない場合がある」、という作用を及ぼしています。

    だから実現出来ないという状況が実現されるのかなあと思いました。

    目標を実現させるためには、肉体と現実世界が分離しているという思い込みをまず捨て去らねばならないかもしれません。

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  • from: あるさん

    2011年07月08日 02時47分47秒

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    心と現実

    ここ数日間、心と現実の関係について観察していました。

    心の状態が現実に影響を及ぼすのか?をテーマに観察しました。

    どうも私は目標を持つと、いつも現実が逃げて行くような事態になってしまうことが多い。

    きっと何か影響しているに違いないです。

    現実が心に影響を与えるのは誰でも理解できます。

    しかし逆はどうなのか。

    先人たちが言うように心が現実を作り出すなんてことが本当に可能なのか。

    確かに、心の中で例えば、水を飲みたい気持ちになったとき、水を飲んでいるイメージが浮かんでそれを実行する決心をして、肉体を動かします。

    私はこの割りと簡単な目標実現を軽視していたようです。

    肉体がそもそも現実世界の一部なのだから、私たちは心によって現実を、少なくとも現実世界の一部をある程度は自在に動かしていると言い切っても良さそうです。

    ではなぜ実現出来ない時があるのかについて、仮説が浮かびました。

    「こんなことぐらいなら出来て当たり前」に思っていることが、実現される、という説です。

    そこで、ある実験をしてみました。

    サイコロを10回振り、1の目が何回出るか?

    ある程度の高さからサイコロを落として、床に落ちた時にできるだけ跳ねて転がるようにし、意図的には目を出せないようにします。


    普通に確率で考えれば1〜2回出るのが「当たり前」です。

    実際にそう思いながらやると、予想通り、1〜2回出ます。

    1回も出ない時もあります。

    次に、心が現実に影響を与えるかもしれないという前提で、1の目が出た場景をイメージしてから同じように振ると、確率が上がります。

    10回のうち、3〜4回出ます。

    たまたまかもしれないので何度かやってみたのですが、一振り毎にイメージしてから振ると、やはり3回は最低でも出ます。

    3〜4回でストップしてしまうのは、それ以上は難しいという疑いの念があるからかもしれません。

    よくよく考えれば、心や意志、思考などの内面的な世界と外界的な現実世界は、元は同じモノから出来ています。

    お互いに影響し合うのは当然と言えば当然です。

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