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  • from: 岐阜のすーさん

    2007年09月21日 05時31分12秒

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    子どもは揺れている

     年輪を重ねるに従って、人は落ち着いてくる。
     それは、時間が経つとともに振り子の揺れ幅が少なくなっていく様子に似ている。
     経験を積み、多くの人と触れ合う中で磨かれていくから揺れ幅が少なくなるのだと思う。

     自我が目覚めていない子どもならば、その揺れ幅は大きい。

    ・固定的に見ていると見誤ることがある。
    ・丁寧に見ていると新たな発見をすることがある。
    ・刺激をすると新たな揺れを生じることがある。

     教師は、学者であり、時には、医者であり、役者であり、易者であるとよく言われる。

     揺れの収まり所を予測したり、収まり所に導いたりする姿は、まさに易者である。

     「優しい子だね。」「元気がいいね。」「明るい子だね。」
    「思いやりのある子だね。」「発想がいいね。」などと子どもに声をかける。

     これは、
    ・「そんな一面もあるよ。」
    ・「そんな姿を発見したよ。」
    ・「そんな面が多く現れているよ。」
    ・「そんな姿が増えるといいな。」
    であり、
     「あなたはこんな子だ。」
    と断定したり、固定したりするものではない。

     当たるも八卦当たらぬも八卦ではないが、
    ・「見えていない面がまだまだあるかもしれない。」
    ・「本当の所は違うかもしれない。」
    ・「教師の前だから繕っているかもしれない。」
    などと常に揺れていることを前提に見ていると見誤ることは少なくなる。

     「裏切られた。」
     「こんなはずではなかった。」
     「信頼していたのに。」
    などという気持ちは、過剰に子どもに期待したり、固定的に子どもを見たりした結果から生まれてくる。見る側も揺れてしまう。

     子どもは揺れていると見れば、
    「そんな面も合ったんだ。」
    「新たな発見ができた。」
    と、揺れることなく冷静に見ることができる。

     子どもと一緒に揺れては易者にはなれない。

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