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  • from: 岐阜のすーさん

    2007年12月14日 05時07分58秒

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    したいこととしなければならないこと

     わがままだなあと思う子どもを見ていると「したいこと」はするけれど、「しなければならないこと」がなおざりにされていると感じることが多い。
     ひょっとすると私たちは、子どもたちに「したいこと」より「しなければならないこと」を強いていることの方が多いかもしれない。そして、「しなければならないこと」が目の前にぶら下がっていると「がまんしなさい。」と子どもに投げかけているかもしれない。また、これが規範となって子どもたちの生活を作り出しているようにも思う。

     ここで考えたいことは、この「したいこと」と「しなければならないこと」との向きである。
     全く反対の方向ならば、「しなければならないこと」へ向けるには相当のエネルギーが必要となる。指導する側にも指導される側にもかなりのエネルギーが必要となる。逆に同じ方向を向いているとそのエネルギーは少なくて済む。

     学校生活を始めた1年生の初期には、どの子も自分を認めてもらいたくて夢中になって「先生、先生」「ぼくは」「私は」と訴えてくる。
     この子どもたちの姿を「うるさい」と捉えると「静かにしなさい」「順番にききます。」などと一方的にこちらの願いを強いることになる。そして、ルールを守らない子どもを叱ることになる。かなりのエネルギーが必要となる。
     しかし、「みんなの意見を聞きたいけど・・・」という立場をとって、「聞きたいけど、一度にみんなの意見が聞けないので困っている。」と子どもたちに投げかけると、子どもの方から「順番にしよ。」「手をあげよ。」などと自分の願いを実現させる最良の方法を提案してくる。
     どちらも同じような挙手をする時のルールを作り上げるのであるが、後者の方が少ないエネルギーでルールを作ることができる。

     「したいこと」をいかに「しなければならないこと」の向きにしていくかが腕の見せ所となる。

     近道は、どうも子どもの思いに寄り添うところから始めることのように思う。
     しかし、なかなかそれができない。どうしても我が出てしまう。時間がないとか、こちらに都合があるとか、できないいいわけを作ってしまう。最悪の場合は、力でねじ伏せることにもなる。
     自分の力のなさを感じるところでもある。

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