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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年03月25日 05時21分10秒

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    大切な存在として認める

     子どもが好きでなければ、教師は務まらない。当たり前のことだけれど、なぜ好きでなければならないのか?
     人間であれば、誰でも好き嫌いがある。だから、嫌いな子がいても自然ではないかと思う人がいるかもしれないが、好き嫌いは、私たちが体験した人との関わりの中で作り上げてきた価値観でしかない。それは思い込みであって、真実ではない。私が嫌いな人は誰にとっても嫌いな人なのだろうか?そんなことはない。つまり、ある視点から私が見ているから嫌いだということであって、その人そのものねうちではない。あくまでも私がある視点で見たときの好き嫌いなのだ。
     子どもが好きだということは、個人的な私の好き嫌いとは違う次元の話になる。ここがとても重要だ。わがままでなかなかこちらの意図が伝わっていかない子であっても、好きだと言える自分かどうかなのだ。
     子どものもつ純粋性や可能性は、私たち以上のものだ。そして、子どもは、私たち以上に変化しやすい存在であり、守ってあげなければならない存在だ。そんな子どもが私の傍にいてくれるのだ。純粋性を失い欠けている私であったり、変化を嫌って今を大切にしようとしている私であったりする・・・・そんな私の傍にいて、刺激をくれるのが子どもだ。その刺激のおかげで自分を高めることができるし、自分自身を認めることもできる。また、思いやりをもったり、自分の至らなさに気づいたりすることもできる。これも子どもが傍いいてくれるからだ。
     欠くことができない存在として子どもが見えたとき、どの子も大切にしたい大事な存在となる。大事な存在だからこそ、好きになれる。(人を好きになるのは、その人が自分にとって大切な存在だと感じるからだ。反対に、自分にとって邪魔な存在ならば、排斥しようとするか、避けようとする。これは、日常的に自然に私たちがしていることだ。)
     好きな子や嫌いな子がいては、どの子にも同じように接することはできない。だからこそ、教師ならば子どもが好きでなければならないのだ。
     どの子も私にとって大切な存在として認めることができれば、子どもは大切にされる。逆もしかり。本当に子どもが好きな自分なのか見つめてみたい。そして、ここで大事にしたいことは、好きというのは、理屈ではなく、あくまで感情ということだ。感じることなのだ。子どもの前で立つと自然と微笑んでしまうのは、子どもが好きだからだ。子どもがそんな先生を見れば、好かれていると感じる。子どもに教師の好きだという感情が伝わるのだ。子どもそのものの存在を認め、子どもが好きだと心から言えるそんな教師でありたい。

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