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  • from: 岐阜のすーさん

    2009年11月30日 05時26分37秒

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    どんな評価も受け入れる

     人にどのように見られているのか、気にならない人はいない。そして、その評価に踊らされている自分がある。
     これって本当に自分らしいの?と問いかけてみる。
    例えば、子どもに注意をした後、子どもから「先生、それを言うと生徒から嫌われるよ。」と言われた時、何と答えるだろう。子どもに好かれたいと思っていると、ちょっと言い方を変えようかなと考えたり、何を言っているんだと思ったりする場合は、まさに子どものその言葉に踊らされていることになる。しかし、「へー、そうなんだ。」と言った子どもの見方がわかったと喜ぶ姿勢があれば、これはちがう。全く子どもの言葉に踊らされていない。私の指導で「嫌いだ。」と思う子どもがいてもいい。私が指導するのは、子どもに好かれたいからする指導なのではない。必要だと思っているからする指導なのだ。それよりも、大事なことは、その指導で子どもが変化したかどうかということだ。「痛いところをつかれた。」、「嫌だ。」と思っても受け入れる子どもであれば、指導が生きたことになる。「私は、あなたを愛しているから、きっとわかってくれるはずだ。」「あなたを絶対に不幸にはしないから。」と自分の指導に信念と誇りをもって子どもの指導に当たる。ただ、それだけのことだ。子どもとの信頼関係は、その1つの指導で変わるわけではない。日頃の信頼関係を作り出す営みがあっての1つの指導だ。だから、信頼関係が築けていない上でのこの言葉と受け止めれば、対応は異なる。子どもに行った指導よりも「そうか、相手との信頼関係が築けていないかもしれないな。」と思って、その信頼関係を築く営みをすることになる。子どもはその時々の指導に反応し続けているだけなのだ。その反応に振り回されないで信念に基づいた揺るぎない自分で臨みたい。
    だから、指導に対する自分への問いかけが必要となる。
    ・この指導は、本当にその子のための指導なのか。(願う姿)
    ・この指導は、何のために必要なのか。(指導の意図)
    ・指導技術を磨く必要はないだろうか。(指導する能力)
    ・指導の仕方は、これでよいだろうか。(指導の方法)
    ・指導による周りへの影響を考えているだろうか。(指導の場)
     ここには、保身はない。ただ、子どものためなのだ。愛がこれらを支えている。足りないと気づけば、磨くだけだ。言葉に踊らされることではない。

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