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  • from: 岐阜のすーさん

    2015年12月30日 20時17分43秒

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    レッテルを貼ると安心

    子どもに問題行動があった時に、その原因をいろいろ探ります。その原因がはっきりしない時は、不安を感じます。しかし、その原因が見つかると安心します。
    これは、脳のはたらきによるものです。
    空白の原理と言って、脳は、空白を嫌います。(NLPの基本がわかる本より)
    わからない状況(空白)は、自分でコントロールできないために、不安を感じることになります。わからない状況(空白)が埋まるとコントロールできるために、不安が解消されます。つまり、安心・安全を感じます。
    例えば、
    授業中に落ち着かない子どもがいた時、「どうもこの子には、障がいがあるのではないか。」と疑う事があります。「障がいがある」となれば、原因がはっきりして、その「障がい」に合った対応をすることができます。
    病気でも同様です。「咳がなかなか止まらず、これは、どうも風邪ではないみたいだ。」 と不安に思っている人が、病名を医師から聞くと安心します。処方箋があるので、安心な状態になります。
    親が「この子に合った趣味は何だろう。」と不安になっている時は、いろいろ興味ある体験を用意し、子どもに与えます。「趣味」がわかれば、その趣味を磨くように安心して支援することができます。
    このように私たちは、「人」や「出来事」に対して一旦レッテルを貼ると安心してしまいます。
    一旦安心した状態になると不安を感じないために、その安心した状態が当たり前になってしまいます。
    一番怖いのは、この安心した状態にどっぷりと浸かることです。
    例えば、「人」に対してです。
    「あの子は優しい子だ。」と決めると、「優しい子」の面をたくさん見つけることになります。そして、「優しい子ならば、こんな事はしない。」と枠をはめて見るようになります。
    そういう見方が定着していると、ある時、「あんな優しい子がなぜこんなふうになったの?」と裏切られたという事が起きます。
    元々優しい面ばかりでなく、違う面をもっていたにも関わらず、「優しい」という面があたかもその人のように見ていたために、裏切られたということになってしまいます。
    元々あったと考えれば、裏切られたことにはなりません。
    喧嘩をした子どもの「だって、〇〇さんが~したから。」という言い訳を信じて、対応していたのにも関わらず、後から原因が違っていたとわかり、子どもに「何で嘘をつくの?」と責める親がいますが、これも同じです。
    子どもの言葉を信じて行動したために、間違った対応をしてしまったことになり、「嘘」をつかれたと子どもを責めることになります。
    もし、子どもの言い訳に嘘があるかもしれないと疑いをもっていたら、対応が異なっていたかもしれません。
    このように私たちは、「人」にレッテルを貼り、一つの側面からいつも見ようとする傾向があるため、新たな側面を発見した時に動揺してしまいます。もともとその側面があったにもかかわらず、信じてしまっていたから、新たな状況に対して準備ができなかったのです。
    わが子の問題に関して、「わが子を信じなくて、誰が子どもを守るのか。」と言われるかもしれません。でも、子どもを信じるということは、子どもの言葉ではありません。子どもそのものの存在を信じることになります。
    私を一喜一憂させてくれるわが子です。よさと可能性を抱えたわが子です。そんな素敵な存在としてのわが子です。
    嘘をつかなければならなかった子どももわが子の一面です。もし、嘘をつかなければならなかった子どもの心も掴めなかった自分ならば、目の前の子どもを見る事なく、わが子が発した言葉に振り回されている自分だと気づくことになります。
    言葉はすべてではありません。ほんの一部でしかありません。人を信じることは、その人の言葉ではなく、その人になります。

    言葉だけに頼るのではなく、目の前の人をじっくり観察し、その言葉が表出された背景をきちんとつかむことがなければ、ただ、自分の安心・安全のために振り回されることになります。
    このレッテル貼りは、「出来事」でも同じです。同じ出来事でも見方によってはかなり異なる見方もできます。
    素敵な出来事であっても、当たり前の出来事に見えたり、それはあり得ない出来事にもなります。
    一つのミスを許さないという人もいれば、誰でもミスはすると許す人もいます。締切を守らない人を許さない人もいれば、仕方ないと許す人もいます。一つの面で、とらえているからこその判断になります。
    そして、もう気づかれたかもしれませんが、このレッテル貼りは「自分」に対してもやっています。
    「私は、ダメな人間だ。」と決めたからそのダメな自分で居続けることになります。「ダメでない自分」を疑っていないのです。「私は優秀だ。」と決めたから「優秀な自分」でないと許せないため、優秀な自分で居続けるための努力をしています。
    「私は、時間を守る人だ。」と決めたから、「時間を守る自分」で居続けようとします。
    大切な事は、可能性を広げるだけの器かどうかということです。誰もが安心・安全を求めていますが、本当に安心・安全だからいいのかと疑う自分も大事にしたいと思います。
    このようにレッテルを貼っても、疑って「人」や「出来事」、「自分」を見ることで、新たな見方ができるようになります。ゆとりをもった対応もこの視点が必要になります。
    疑うことは、自分の視野を広げることになります。
    信じつつも、どこかでほんの少し疑ってみる自分をもっていることがゆとりにつながります。そして、新たな可能性を生みます。
    今の安心・安全で満足してしまう自分はないだろうか、疑ってみませんか。

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