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タイ王国の普通・?・常識・?、そして今・昔

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  • from: てらちゃんさん

    2008年02月23日 12時37分33秒

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    映画「ナレースワン王」

     このサイトを立ち上げての1発目は、僕が大好きな「ナレースワン王」について書きました。
    http://www.c-player.com/ac70247/thread/1100051833494
    僕は、この映画を劇場では観ていません。理由はタイ人による通訳が無いと解らないからです。
    「王室言葉」が出てきて、通訳して「普通のタイ語」に変えてもらわないと理解出来ません。
    なので、この映画は、DVDとVCDを買い、自宅でタイ人による通訳付きで観ました。
    映画をスタートさせ、解らない台詞が有ると1時停止させ、タイ人に訳してもらい、またスタートさせて観ました。1本観るのには6時間ぐらい軽〜く掛かりました。
    そこまでしても観る価値が有る映画だと思います。

     この映画は、全3部作からなる映画で、昨年1部と2部が公開されました。
    予定では、3部も昨年公開予定だったのですが、タイらしく遅れて未だに公開されていません。
    この映画の公式サイトは、http://www.kingnaresuanmovie.com/index_eng.php です。

     今回は、第1部の内容についてご案内します。
    注)この映画を観ていない方で、映画の内容を先に知りたくない方は、読まないで下さい。

    第1部(エピソード1)

     第1部の幕開けは、仏暦2106年(西暦1563年)、ホング・サーワディー(現ミャンマー)が今のタイ西部のメーソート辺り?から東に侵略し、カム・ペーング・ペット、スコータイを破り、ピサヌローク(ナレースワンのお父さんのマハー・タムマラーチャー王の国)に戦を仕掛ける所から始ります。
    そして、ピサヌロークが破れ、属国?になり、人質としてオング・ダム王子(のちのナレースワン)を差し出します。人質を預かりに来た部下が、オング・ダムの威厳に負け?、ミャンマー式ワイをし、ブレーング・ノーング王(ミャンマー王)の元に連れていかれます。
    ホング・サーワディー軍は、更に南下し、グルング・シー・アユタヤー国(現アユタヤー)に侵略を続けます。この当時の防衛戦は、城から大砲を使うようです。
    そして、このアユタヤー戦からブレーング・ノーング王は、オング・ダムを同じ象の上に同行させ、戦を見させます。(敵国の王子なのに大変気に入ったようです)
    オング・ダムのお母さんは、グルング・シー・アユタヤー国王の4番目の子供です。
    なので、アユタヤーは、オング・ダムにとっては、母方のお爺ちゃんの国になります。
    アユタヤーも負け、ブレーング・ノーング国王は、1時ホング・サーワディー(ミャンマー)へ、オング・ダムを連れて戻ります。
    ミャンマーでのオング・ダムの待遇は、馬をあてがわれ、10人ぐらいの従者を引き連れています。
    そして市場見物に、1人で行きアイティング少年(のちのラーチャ・マヌー)と出会い、この少年が飯泥棒をし、捕まり袋叩きに合い、オング・ダムが助けます。
    そしてこれからオング・ダムに付かず離れずの生活をし始めます。
     出家しお寺に預けられ、そこで、マニージャン少女と出会い、マハー・テンカンチョング和尚の元で、修行・学業・武術を学び始める。
    お寺に闘鶏用の鳥ガイ・サヤーム(シャモ・タイの闘鶏鳥)が現れ、拾い、闘鶏をさせ勝利しお金を手に入れる。
    和尚に見つかり、百叩きの刑?に処されるが、和尚が痛み止めを処方し与える。
    (厳しさと優しさを持ち合わせる和尚のようです)
    怒られたにも関わらず、2度目の闘鶏をしようとし、オング・ダムが止めに入りますが、アイティング少年から、「この鳥は、今は戦争捕虜だが、勝てば自由になれる」の言葉で、心変わりをし、闘鶏させる。また、和尚に見つかり百叩きを受けるが、「ミャンマーの闘鶏鳥に勝ちたい!」で、和尚は、マーク(キンマ):樹の葉の噛みタバコに近い物?をオング・ダムに与える。
    そしてミャンマー王宮の闘鶏鳥との対決。国王も観戦。オング・ダムの宿敵ミャンマー国王の孫マハー・ウパラーチャーの鳥との対決。しかし、その鳥のヒズメ?(踵)には、剣が仕込んである。
    第1回戦国王の孫の鳥が勝利し、インターバルでオング・ダムが鳥に「お前にはサヤーム(タイ)の血が流れている。勝たなくてどうする」みたいな事を言い、第2回戦で奮起し勝利する。
    (自分とこの闘鶏鳥が同じ立場でミャンマーに居るので勝って自由になれ!と言う事を含んでいるようです)
    勝利のご褒美として、この闘鶏鳥は自然に帰される。

     オング・ダムの叔母さんがぺチャブーンで、拉致され、ミャンマーに連れて行かれ、ミャンマー国王の前で自殺(胸を1突き)する。(妾の為?)
    これに怒ったアユタヤーが反撃し、退治にミャンマー王子とオング・ダムの父親が派遣される。
    戦争中の2112年(西暦1569年)母方のお爺ちゃん(アユタヤーの国王)が死去する。
    そして宿敵のミャンマー国王の孫にその事を冷やかされる。
    アユタヤー国王の世代交代で第2子のマヒントラーティラートが国王になり、反撃を続け、戦況が芳しくないのでミャンマー国王みずから立ち上がり退治を始める。
    しかし、アユタヤーの反撃が酷く、攻略出来ないでいる。
    アユタヤー側から内通者(裏切り者)が出て、城門を敵軍に開かせ、一気にアユタヤーは敗戦する。
    勝利の祝い?時に新アユタヤー王をひざまずかせ、オング・ダムのお姉さんを妾にし、ミャンマーに連れて行く。その時にお姉さんは、アユタヤーの「土」を持って行く。
    ミャンマーに着いた後、戦勝褒美があり、裏切り者の褒美は1人で持てないほどの宝石箱。
    ミャンマー国王の従者が手伝い、宝石箱を持っている手に大きい釘を箱ごと打たれ、前の池に落とされる。
    ミャンマー国王も勝利したとはいえ、裏切り者は許さないようです。
     妾の輿入れの儀式の行列に、オング・ダムがお姉さんの名前を呼びますが、お姉さんは答えてくれません。
    ミャンマー式化粧を強制的にさせられた初夜に、仏壇に供えられた「土」をミャンマー国王が尋ねますが、
    「アユタヤーの土」と聞いて寝所から下がります。
     アユタヤー王(オング・ダムの伯父さん)が体調を崩し、オング・ダムが呼ばれ見舞いに行きます。
    そこで、アユタヤーを甥っ子(オング・ダム)に託します。(多分新アユタヤー王には子供がいません)
    ミャンマーに戻り、お寺に棺おけのような箱が運び込まれ、厳重に鍵をしますが、オング・ダムとアイティングは、窓から侵入し、長い鉄砲と武器を見つけます。
    和尚に見つかり、また100叩きの刑を受けます。
    お姉さんがマニージャンを教育?花嫁修業?をし始めます。
    王宮に和尚を呼び、ミャンマー国王は、「オング・ダムとマニージャンの待遇」を相談します。
    (この和尚は、ミャンマー国王が最も信頼するお坊さんのようです)
    中国正月?で、アイティングが拉致され、オング・ダムが助け、川に落とした暴漢が泳げないので助け、オング・ダムに従うようになります。
    この暴漢などの沢山の手下を連れ、当時のミャンマーの首都?から逃げます。

     ここまでが1部の内容です。オング・ダムの少年時代の話です。
    映画の内容を書いてどうするんだ?と思われる方もいらっしゃると思いますが、日本でこの映画が吹き替えで放送されるか解らないし、タイ語ではほとんどの方は理解出来ないと思います。
    この文章を読んでから、タイ語の映画を観ると非常に解り易いと思い書きました。
    僕は、この1部を10回ほど観ていますが、まだまだ解らない所が有ります。

     この映画で1番難しいのは、「人の限定」です。顔と名前が一致しません。
    名前も同じ人で沢山出てきます。本名・チュー・レン(あだ名・家族内での呼び方・親友同士での呼び方など)・立場名?などが出てきて名前が統一されていません。
    そして人物の家族構成も解りません。親が誰で、子供が誰が解りませんです。
     台詞で最初に「カー・・・」と随所に良く出てきますが、この言葉は、目上から目下へ話す言葉です。

     この映画では、「間違い探し?」が面白いと思います。
    オング・ダムの名前を「ナレースワン」と最初に呼ぶのは、マヒントラーティラート王(叔父さん)です。
    最初の命名者???でもその後もオング・ダムで呼ばれ続けます。
    「タイ」と言う言葉が出てきますが、この当時にはまだ「タイ」と呼ばれていませんでした。
    「サヤーム」は、使われていたか?微妙な所で、調べても解りませんです。

     戦争で、「火薬を使う大砲」が良く出てきますが、西暦1563年でタイでは、沢山有ったようです。
    日本では大阪城攻略の時に使われたのが初めて?だったのかな???
    日本で使われ始めた年代と比べてみると面白いかも?

     写真は、第1部(エピソード1)のDVDです。
    この表紙の真ん中がオング・ダム少年(のちのナレースワン王)、向かって左が、アイティング少年(のちのラーチャ・マヌー)。右の少女がマニージャン役です。
    このDVDの定価は、449バーツで、タイ語の字幕が入っています。

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