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  • from: 岐阜のすーさん

    2008年01月28日 05時25分43秒

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    「誰かが」でなく「誰が」

     「学級の仲間だから,誰かが助けてくれる。」という言葉は,助けてもらう側からすると「本当に助けてくれるのか?」という不安は拭いきれない。「誰が」助けてくれるのかが,はっきりしていると安心できる。また,いつでも助けてくれる仲間がいれば,安心できる。
     これは,子どもに任せて自然にできるようになることではない。それまでの見届けがいる。(癖になるまで)
     自分ができたら,次にしたいことへ向かう子どもが多い。自分しか見ていなければ,できない仲間を見つけることはできない。できた子ができていない子を気遣うためには,「みんなできたかな?」という気遣いがそこにはある。これは教師の姿勢にかかっている。
    「できたら,次は何するの?」と聞かれた時に,「ちょっとまって,できていない子はいないかな。できていない子を助けてあげて。」と言うか「できたら,次は○○して。」と言うかで違う。
     全員が揃うまで待つ姿勢が学級になければ,次から次へと進み,どんどん差が広がっていく。
     学級で授業を進めるということは,個別に授業を進めることではない。自分ができたら,次に進むのではなく,できたことを確かにすることである。仲間の考えを聞いたり,説明したりしながら自分に自信をつけていく必要がある。その時に仲間の力が必要となる。
     自分勝手な仲間の話ならば聞こうとは思わない。自分を助けてくれる信頼できる仲間だから,耳を傾ける。日頃の積み上げは大きい。「誰かが」でなく,「誰もが」になっている学級ならば,信頼できる仲間になっている。その前に「誰が」助けてくれるのかを実感できなければ,助け合おうとする構えはできない。

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