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  • from: 岐阜のすーさん

    2008年07月29日 05時34分35秒

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    心の広さ

     きっと無理だろうなと思いつつ、相手がこちらの願いを受け止めてくれた時、「あの人は心の広い方だ。」と感じることがある。無理かもしれないという思いが、受け入れてもらえたことへの感謝の言葉としてこんな言葉として現れることがある。
     先日、ある講演に一人の聴講者として参加していた。その講演を聴き、今まで抱えていた疑問を解決できるチャンスだと感じた。家に帰ってからその方が開設しているHPにメールアドレスを発見し、返事が来るかどうかは不安であったが、早速抱えている疑問をメールにし投げかけて見た。
     70近いその方だが、その日のうちに返事がきた。
    「何と素敵な方なのだろう。」、「よくも私のような一聴講者に」、「お忙しいのにわざわざ」などと、その方の心の広さに感激し、即感謝のメールを送った。
     しかし、これは自分の思い込みかもしれない。70近くになったその方が、HPを開設している。メールのやりとりもされる。講演を多く行い、出歩いておられる。とても精力的に動いておられるのだ。そこには、残された短い人生を大切に生きておられる生き方が見えてくる。伝えたい気持ちがあるからこそ、一人でも自分の思いを理解してくれる人(私)に反応されのかもしれない。
     心が広いと感じるのは、私自身だ。相手の行為に対して可能性が低いと思っていたにも関わらず、自分によい働きとなって現れたことへの感情がそんな思いにさせたように思う。
     相手の行為は自分次第でどのようにでも受け取ることができる。それは、相手の意思とは別だ。きっと心の広い人間になりたいという私の思いが、あり得ない行動と感じる行為にそれを感じたのだと思う。
     子どもたちの行動を教師として見る側にある私たちである。ひょっとすると自分の都合のよい窓から子どもを見ているのかもしれない。子どもの思いとは別の窓から子どもたちを見ているのかもしれない。
     子どもの行為の裏にある思いをじっくりと味わい、できるだけ子どもの思いに近い窓から子どもを眺めてみたい。それが、子どもに合った生かし方になるように思う。

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