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  • from: orimasaさん

    2009年06月30日 09時00分54秒

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    日本周遊紀行(205) 敦賀 「松原と神宮」




    写真:気比の松原
    写真:気比神宮大鳥居と本殿


    日本周遊紀行(205) 敦賀 「松原と神宮」

    敦賀半島の根元にあたる旗護山トンネルを抜けると、ここは既に敦賀である。
    更に、若葉町の交差点を左に折れ、ぶち当たったところが巨大な松原と素敵で静かな海が広がっていた。 砂の浜辺と壮大な松原は「気比の松原」と称した。 広大な広さの中に17,000本にも及ぶ各種の松が並び、夏には美しい浜辺で海水浴も楽しめると言う。
    普通、日本における海岸の松林はクロマツが多いと言われるが、気比松原では赤松が8割以上も占め、日本の白砂青松100選にも指定されていて三保の松原、虹の松原と共に日本三大松原として知られる。 1934年(昭和9年)に国の名勝に指定されている。
    リアス形のギザギザ若狭湾の西の端には、先ほど訪れた日本三景である松の名所「天橋立」があり、ここ、東の外れには、やはり松の名所、日本三大松原の「気比の松原」が在ったのは面白い・・!。

    敦賀は、若狭湾に突き出た敦賀半島の影響で、季節風の強まる冬でも日本海沿岸の中では比較的穏やかとされる。  古代より敦賀湾の静かな沿岸は天然の良港として栄え、又、近代以降は北陸と関西を結ぶ位置から鉄道や道路の要地ともなっている。 
    かつては北九州や出雲と並んで古代朝鮮との交通の要衝でもあり、古書には『上古(じょうこ・むかしむかい、かなりの昔)における敦賀の港は三韓(古代朝鮮)交通の要地にして、三韓・任那人(みまな、にんな)等の多く此地に渡来し、敦賀付近の地に移住土着したる者少なからず。其族祖神を新羅神社として祭祀せるもの多く、信露貴神社亦共一に属す』とある。 
    敦賀付近には新羅(シラギ)の宛字と思われる土地名や神社名が多く、例えば敦賀市の白木、神社名では信露貴彦(しろきひこ)神社・白城(しらき)神社・白鬚神社などがあるという。


    気比の松原から東へ2km程度、 そこは既に敦賀の市街地でもあり、その中心部に「気比神宮」が堂々と鎮座していた。 参道入り口には、高さ11mの朱色の大鳥居(重要文化財)が威風を放ち、奈良・春日大社の大鳥居、安芸の宮島・厳島神社の海上鳥居と共に日本三大木造大鳥居の一つに数えられる。
    主祭神は、伊奢沙別命(イザサワケノミコト、別名 気比大神、笥飯大神)、他に、相祭神として仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、日本武尊(仲哀天皇の父)、素佐之男命、玉姫尊(神功皇后の妹)、武内宿禰(タケウチノスクネ)と錚々たる著名な神々が祭れれている。
    日本武尊の子とされる仲哀天皇と神功皇后は夫婦であり、その子が応神天皇で親・子の関係にあり、共に九州・宇佐八幡宮の主祭神でもある。

    主祭神である「伊奢沙別命」の名義は不明であるが、神代より現在地に鎮座している地主神とされ、現在の天筒山(てずつさん・標高170mで金ヶ崎と連山をなし岬に突き出ている)に天下った神で、山域には神霊蹟もあるという。 北陸道や日本海の海上交通の要地であるこの地において、古くから北陸道総鎮守として崇敬された神とされる。

    次回、気比神宮・祭神


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  • from: orimasaさん

    2009年06月29日 09時58分56秒

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    日本周遊紀行(204) 三方 「三方五湖」



    写真(資料):三方五湖俯瞰と久々子湖


    日本周遊紀行(204) 三方 「三方五湖」

    国道27号の丹後街道から三方町、三方五湖へ向かった。 
    先刻から若狭湾の入り組んだ入り江を見慣れた来たため、五湖の一角を眺めても入り江と錯覚してしまうほどである。
    先般、身内親戚等と北陸旅行した際に五湖を訪れているが、周辺には展望ロードがついていて五湖を見下ろすのに最適地といわれる「梅丈岳」という高所から若狭湾や五湖の自然景観を眺め、その眺望の良さを充分堪能したのを覚えている。
    そんな訳でもないが、今回は一湖でも二湖でもいいから美景を眺めて済まそうと思った。国道より小浜線の気山という駅の手前から左へ逸れて、立派な地方道をゆくと名前は知らないが一つの湖畔に達した。 すぐ横が小高い園地になっていて湖面が一望できる、右はるか前方は大きく開けて、若狭湾の大洋を示しているとすれば、ここはあるいは「久々子湖」なのかも知れない。 久々子と書いて「くくこ」と読みたいが、湖(こ)を合わせる
    と「くくここ」となって何か妙な読み方になってしまう。 実際は、「くぐしこ」と称するらしい。 
    湖面は微風に揺られて微かに小波が立ち、遠くの周囲は緑の小山に囲まれ、実に茫洋として気持ちがいい。  
    なにか頼りなげになってしまったが・・、    

    『 若狭なる 三方の海の 浜清みい往き 還らひ見れど 飽かぬかも 』

    と万葉集 にも詠われている景勝地である。
     
    五湖の関連性・・、
    久々子湖や日向湖は直接外海とつながっていて、塩水混合湖、即ち、汽水湖になっているが、奥まった三湖も現在では人工的につながっているという。 水月湖、菅湖は半汽水湖になり、最奥部の遠く離れた三方湖は完全淡水湖であるという。
    久々子湖は昔は大きな若狭湾の入江であったが、東に流れる耳川によって海に運ばれた土砂が入江に堆積し、入口が殆ど塞がれてしまったことで久々子湖(潟)が誕生した。 対して他の湖は、地層の変化によってできた天然湖である。 
    即ち、五つの湖は海水・汽水・淡水とそれぞれに違った水質や水深を持ち、また同じ汽水湖でも日本海に直接つながっている久々子湖と奥にある菅湖や三方湖、中間の水月湖ではそれぞれ海水と淡水の割合が違っている。 そのため梅丈岳(三方五湖レインボーライン展望台)から見える景色は、五つの湖がそれぞれに違った青色をして見えるという。 形成過程の異なる五つの湖は、濃さの違う青色に見えるので「五色の湖」とも呼ばれている。
     
    三方湖、水月湖は、色鮮やかな新緑や紅葉を湖畔の水面に映し出し、自然と調和していて家並みや湖を囲む低い丘陵、湖畔沿いの梅林など、緑豊かで穏やかな風情に満ちている。 又、隣町の美浜町にまたがる久々子湖は、単調な砂浜と松林の続く久々子海岸、松原海岸に接している美しい景勝地で、北端の岳山から日本海と三方五湖を眺めることがでる。 
    外洋に直結している日向湖は、以外にも周囲には急峻な山をめぐらし、あたかもすり鉢の底に水をたたえたような形である。 日向湖北岸には山と湖にはさまれた狭い湖岸の山の陰に、細く長い日向集落が軒を連ね、漁村風景の趣が感じられる。
    それぞれの特性を持つ三方五湖は、若狭の景勝地として国の指定の「若狭湾国定公園」の代表的な地域である。

    車を進めながら気が付いたが、湖の湖畔には延々と梅ノ木が、しかも奥行き深く植栽されていた。
    梅林は三方五湖周辺全体に植えられていて、スケールの大きさは五湖周辺だけで7万本もの白梅の木(白加賀という品種・・?)があるという。
    梅の植栽は江戸末期、旧西田村の豪農・助太夫家と平太夫家の庭に、偶々(たまたま)、梅の木を植えたことから始まったといわれる。 この梅は、両家の名にちなんでそれぞれ「助太夫梅」や「平太夫梅」と呼ばれ、品種改良を経て「紅映(べにさし)」、「剣先(けんさき)」などの名を付け、福井の地に定着したという。

    又、湖畔に割烹や小料理店の「ウナギ」と書いてある看板が多く目立つ。
    ウナギといえば浜名湖の養殖が有名であるが、同じ汽水湖の三方五湖も条件としては同様で、やはり地域の特産、名物なのであろう。
    しかし、昔から梅干しとウナギは食い合わせが悪いものと言われていたはずだが、相反するものが同じ場所にあるのはなんとも奇妙である。 だが実際、食い合わせが悪いというのは迷信であり、梅干しもウナギも真夏を乗り切るためには欠かせない、スタミナ食でもある。

    次回は敦賀


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  • from: orimasaさん

    2009年06月27日 09時38分56秒

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    日本周遊紀行(203) 小浜 「小浜とオバマ」

    .

    小浜・神宮寺の「お水送り」、そして、それに連なる奈良東大寺・二月堂の「お水取り」の行法の目的は、本尊に懺悔し世界の平和や人類の幸福、五穀豊橈を祈ることであり、祈りの内容は年によって異なるという。 近年の例では、核兵器の廃絶や地球環境保全、阪神大震災からの復興などが祈られたという。 
    「お水取り」は春の季語、関西では春の訪れを感じさせる行事でもある。


    若狭の社寺建造物群は、一地域としては例のない程、多数に亘り存在している。
    その主要素として神仏習合の形態や景観を多く残し、周辺の山、信仰集落と一体となって伝えている遺産群である。 これらは在来、古来の万神信仰とともに渡来、外来の仏教を認め、お互いの対立を抑えた調和の思想でもある「神仏習合」を可能にした神社、仏閣は日本を代表する遺産であり、「世界遺産」にも匹敵するものとして捉えられる。
    この度、福井県と小浜市は、これらの遺産群を世界遺産暫定リストの登載を目指し、「世界遺産暫定一覧表記載資産候補提案書」および「継続審議の検討状況報告書」等を文化庁に提出することとし、提案名称は「若狭の社寺建造物群と文化的景観」、即ち、神仏習合を基調とした中世景観を世界遺産としての提案、登録を目指しているという。


    終わりに、小浜に関して最近話題になったこと・・、
    先ず、時の人、米国大統領・オバマ氏がまだ選挙活動を行っていた2008年初頭、同じ名前だということで小浜市はオバマ氏を積極的に応援していたというのはマスコミ等でも取り上げられた。 そして、新米国大統領になったオバマ氏から小浜市の市長宛にお礼の手紙が届いたという。 
    小浜市はオバマ氏を応援することで市の宣伝になると考え、小浜市の歴史や風景などが移っているDVDや特産品をプレゼントしたらしい。 それに対して大統領は直筆で、「支持の励ましをありがとうございました」とし、更に、「貴殿の地域は、豊かな文化と古い伝統そして自然で美しい環境のある街だと理解している・・、貴方の友人・バラク・オバマ」と返事があったようである。 Yes we can・・!!

    ワシントンのホワイトハウスで行われた日米首脳会談で、小浜市がバラク・オバマ米大統領に贈った特産の「若狭塗箸」が麻生太郎首相から渡されたという。 小浜市長は「日米親善の“かけはし”として贈られたことはこの上ない喜びです」と話している。
    塗り箸は同市に本社を置く若狭塗り箸メーカー「兵左衛門」が製作とのこと。

    そして、NHK連続テレビ小説・『ちりとてちん』が、2007年10月から2008年3月まで放送されたことは周知である。
    舞台となるのは小浜市で主人公・和田喜代美(貫地谷しほり)が同市出身で、物語の大きなテーマとなるのは「伝統の継承」である「若狭塗箸」の家業と落語とを題材にしている。     主人公の父や祖父のような塗箸職人(塗箸は小浜市の名産品である)や、主人公が入門する落語の世界などの伝統を受け継ぎ、それに従事する人々の姿が描かれている。
    NHKの連続テレビ小説が効を奏してか、近年の環境問題から、割り箸をやめて自分の箸を持ち歩くという「マイ箸運動」が静かなブームとなっていて、若狭塗箸が再び脚光を浴びているともいう。
    若狭塗箸は、貝殻や卵殻を色とりどりの色漆で塗重ねて模様を作り上げるというのが特徴で、江戸初期、小浜(現在小浜市)の豪商が国外から入手した漆塗盆を漆塗職人・松浦三十郎が模して作ったのが始まりと言われている。 後に、小浜藩主の手厚い保護のもと、その技法が完成し「若狭塗」と命名された。 特に塗箸は有名となり、現在では国内生産塗箸の8割が若狭塗であるという。

    小浜は、世界遺産に匹敵するほどの伝統的遺産群を連ね、尚克つ、伝統技能を今に伝える大した街なのである。

    次回は「三方五湖」


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    2009年06月26日 10時01分28秒

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    日本周遊紀行(203) 小浜 「“お水送り”と“お水取り”」







    写真:神宮寺本堂と本堂横の霊水・閼伽水と名札
    写真:鵜の瀬の清流と「お水送り」の神事



    日本周遊紀行(203) 小浜 「“お水送り”と“お水取り”」

    その神宮寺本堂の手前に霊水の井戸・「閼伽水」というのが、風格のある家屋に護られて巌(いわお)と共にあった。 この「霊水の井戸」は、若狭・神宮寺の「お水送り」の行事に利用するという。
    この「お水送り」というのは、三月に奈良・東大寺の二月堂で行われる「お水取り」の行事に使われる聖なる水のことらしい・・?!。


    「お水送り」の行事とは・・?、 
    先ず、8世紀(752)年にインドの渡来僧・実忠和尚(じっちゅうおしょう)が「東大寺・二月堂」建立の際に、修二会(しゅにえ)という法要を実施したのが始まりといわれる。 
    え・・ッ・!、東大寺は「お水取り」ではなかったの・・?、
    この行法は東大寺の二月堂の本尊・十一面観音に向かって、僧侶たちが世の中の罪を一身に背負い天下泰平、五穀豊穣、万民快楽などを願って祈りを捧げ、代苦者、つまり一般の人々に代わって懺悔(さんげ)の苦行を勤めるものである。  
    この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われているが、もとは旧暦の2月1日から行われていたので、二月に修する法会(ほうえ)という意味をこめて「修二会」(しゅにえ)と呼ばれるようになった。又、二月堂の名もこのことに由来している。
     
    これら一連の行法を、俗に「お水取り」とよばれ、11人の僧侶・「練行衆」が選ばれ執り行われる。 奈良期の開祀以来一度も途絶えることがなく、平成16年(2004)で1253回を数えることになるという。
    これは実際に現在でも行われている行法であるが、これには伝承もある。 
    昔、実忠和尚が、東大寺二月堂・修二会の行法中、全国の「万の神」である一萬七千余の神名を読み上げ参集を求められた所、若狭の国・「若狭彦神社」の遠敷明神(おにゅうみょうじん)だけが魚釣りに出かけていて遅刻してしまったという。 諸神に其遅刻を咎められ、そのお詫びとして本尊に供える「香水」を若狭から送ると約束した。 そして、若狭神社において毎年3月2日、奈良東大寺・二月堂へ「お水送り」の儀式を行うことになったという。
     
    境内にある井戸から霊水を取り、遠敷川(おにゅうがわ)の「鵜の瀬」と呼ばれる場所から霊水を流す。 こうして流された霊水は地下水脈を通って、奈良東大寺までたどり着くと信じられている。 東大寺・二月堂の下にある「若狭井戸」は若狭の「鵜の瀬」から導かれたものとして、その名が付いている。
    遠敷川の上流部、神宮寺の更に奥の下根来というところに「鵜の瀬」という名所があり、夏になると子供がこの地で水と戯れるほどの清麗な流水がながれ、環境省の名水百選にも選ばれている。

    現在行われている実際の「お水送りの」神事は、残雪が未だ見られる春まだ早き3月2日、先ず神宮寺本堂で「修二会」が営まれ、神宮寺・遠敷明神宮前では、弓打ち神事など祭事が行われる。 夕刻からいよいよ「お水送り」の始まりで、神宮寺本堂の回廊から大松明を左右に振りかざす達陀(だったん)の行と言うのが行われ、大護摩(ごま)に火が焚かれる。 白装束の僧侶らを先頭に、大護摩からもらいうけた火を手に、三千人ほどの松明行列が、2Km上流の鵜の瀬へ向かう。 
    鵜の瀬で護摩が焚かれると、いよいよ送水神事の始まりで、白装束の住職が祝詞を読み上げ、竹筒からお香水(こうずい)を遠敷川へ注ぐ。 そして、このお香水は10日かかって東大寺・二月堂の「若狭井」に届くとされており、よって奈良のお水取りは 3月12日に行われるのである。
     
    過ぎる頃、東大寺・二月堂の「お水取り」は、3月12日の真夜中、すなわち13日の早朝、3時頃に行なわれる行事であることは周知である。 
    この「若狭井戸」からの「お水取り」の行法は、一度も欠かされたことがない行法、所謂、「不退の行法」であり、根本香水の入った水壷は、1200数年前からの香水を入れるための壺ということになる。
    行事は、朝早くより多くの信者や群衆で溢れ、後はテレビの映像でお馴染みのとおり、11本の松明が次々と上堂・二月堂の欄干に集まった群衆に火の粉を浴びせかける。 
    天をも焦がす勢いの大松明に歓声だけが夜空に響く最も華やかな、水と炎の祭りの一大ページェントである。
    この東大寺・二月堂の「お水取り」は、春の到来を示す行事ともいわれ、春の季語にもなっている。

    『 水取りや 氷の僧の 沓の音 』  芭蕉(野ざらし紀行)
    (厳しい余寒に耐えて修二会の行を修する衆僧の、内陣を散華行道するすさまじいばかりの沓の音が、氷る夜の静寂の中にひときわ高く響きわたる。)

    因みに小浜は、市内に点在する数多くの文化遺産から「海の正倉院」とか、或は「海の有る奈良」とも呼ばれているが、「お水送り」、「お水取り」という神事で、小浜と奈良は1200年の時を経ながら直接繋がっていたのである。
     
    次回、更に小浜・オバマ


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    2009年06月25日 09時45分37秒

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    日本周遊紀行(203) 小浜 「神宮寺と神仏習合」

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    日本周遊紀行(203) 小浜 「神宮寺と神仏習合」

    ところで、一般に神宮寺(じんぐうじ)とは、日本において神仏習合思想に基づいて神社を実質的に運営していた仏教寺院のことである。
    日本に仏教が伝来した6世紀中頃の飛鳥時代には、当然、神道と仏教はまだ統合される事はなかったが、奈良から平安期になり仏教が一般にも浸透し始めると日本古来の宗教である神道との軋轢が生じながらも、神社の境内に寺院(神宮寺)や僧形の神像が造られるなど、神々への信仰の中に仏教が浸透していった。
    又、神々が仏法を守護する神として仏教の下に取り込まれる(宇佐八幡宮が大仏造立に積極的に協力するなど )という形にもなった。 そこから“神は仏の仮の姿”であるとする「神仏習合思想」が生まれ、寺院の中で仏の仮の姿である神(権現)を祀り、営まれるようになった。 
    日本では千年以上のもの間、神と仏の複雑な混淆・折衷が続けられてきた結果、神仏両宗教という日本の歴史的風土に最も適合した形へと変化し、独自の習合文化を生み出した。 即ち、 神仏習合のはじまりが神宮寺の出現であり、越前国・気比大社の神宮寺や8世紀初頭の若狭国・若狭神社の神宮寺の建立はその先駆けをなすものでもあった。

    早い話が、神社の霊、御魂は過去に偉大な功績を残し、その後に、記念としてその者を奉るに過ぎず、時々、お祭りをしてやればそれで良かった。 そこには、尊大ぶった教えや、思想、哲学などは無く、通常はただジッと鎮座してれば良かったのである。 
    しかし、仏教というという新しい教えや、思想なるものがいきなり入り込んできて、どうじゃ・・!こうじゃ・・!と人の心の中の説教をしはじめる。 人々はおろか神社宮司から神社の御霊にまで影響するようになり、神々が「私は迷っている、ぜひ仏法を聞きたい」などとも言って、神というものが仏教に取り入れられ、「権現」、「明神」といった、神性の仏になってしまったのである。 
    「八幡大菩薩」などといって、神仏がごちゃごちゃになってしまったのがいい例で、これが所謂、神仏習合思想である。 そして有力な神社にあっては、神宮寺が併設され、寺僧が神に対して仏事で仕え、お経を上げるのである。 つまり、神職より、僧の方が位が上がってしまったのである。 これを一般に「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」と言われて、これはなんと、凡そ1000年以上もの間、明治の神仏分離政策まで続くのである。

    別当寺(べっとうじ)とは、神仏習合が許されていた江戸時代以前に、神社に付属して置かれた寺のことで、神前読経など神社の祭祀を仏式で行う者を別当(社僧ともいう)と呼んだことから、別当の居る寺を別当寺と言った。 神宮寺(じんぐうじ)、神護寺(じんごじ)、宮寺(ぐうじ、みやでら)なども同義である。
    奈良時代には、伊勢・大神宮寺、越前・気比神宮寺、常陸・鹿島神宮寺、豊前・宇佐比売神宮寺、出雲大社別当寺・鰐淵寺など、日本の主要な神宮を取り込んでしまう。 その後も、寺院は寺領を拡大し、鎌倉期においては読経・教義そっちのけで武僧集団まで造ってしまうのである。
    そして戦国期、新風を吹き込みながら台頭してきた織田信長が寺僧の武力化、政治介入など余りの傍若無人さに業を煮やし、比叡山の焼き討ちや一向宗徒の撃破などで、一時的には退けることになる。 しかし、信長の偉業・・?は、明治維新の神仏分離、廃仏棄捨の其と比べれば、まだ可愛いものであった。
      
    元来、仏教が日本に伝わって以来、その形は日本の神々を取り入れ、神仏習合という独特の宗教文化を形作った。 近年、一般に日本人は無宗教であると言われるが、実際は神仏信仰は生活のすみずみにまで浸透していて、盆や正月の年中行事のほか、占い・祭礼・お守り札などの多様な民俗信仰の形を現代においても継承している。
    これは日本特有の折衷文化、融合文化であるが、しかし、世界的に見ると異宗教間や他宗教同士では融合することは有り得ず、歴史的にも宗教戦争など宗教界あげて、又は国を挙げて他宗教を排し、合い争うのが常道だった。
    これらの折衷文化は、日本人特有の特異(得意)な特性かもしれない・・!!。

    次回は、「神宮時・お水送り」


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    2009年06月24日 09時30分31秒

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    日本周遊紀行(203) 小浜 「若狭一の宮と神宮寺」




    <img
    写真:若狭彦神社(上社)と若狭姫神社(下社)
    写真:神宮寺本堂と仁王門周辺


    日本周遊紀行(203) 小浜 「若狭一の宮と神宮寺」

    海神(綿津見神:ワタツミノカミ)の娘、豊玉姫を祀る若狭姫神社と、豊玉姫の夫、彦火火出見尊(ヒコ・ホホデミ:山幸彦)を祀る若狭彦神社は、二社あわせて「若狭一の宮」と呼ばれる。 
    祭神二神は海彦・山彦の神話の登場人物でお馴染みで、二人のあいだには鵜萱草葺不合尊(ウガヤフキアエズ:日向・鵜戸神宮)が生まれ、ウガヤの子、つまり両神の孫が神武天皇である。
     
    若狭彦神社は畳、敷物の神ともされ、現在はインテリア関係者の信仰も厚いという。
    この訳は、豊玉姫が産気づいたので海辺に産屋を作ろうとし、茅草のかわりに鵜の羽を葺(ふ)こうとしたが、葺き終らないうちに豊玉姫が産気づいたため、その子の名を「ウガヤフキアエズ(鵜茅葺き合えず)」と名付けられたという、つまり鵜の羽の葺物、敷物の伝説に元ずいたものであろう。
    若狭姫神社は安産・育児に霊験があるとされ、境内には子種石と呼ばれる陰陽石や、乳神様とよばれる大銀杏などがある。 
    創建は、社伝によると和銅7年(714年)に両神が示した白石の里に上社・若狭彦神社が創建された。 そして下社・若狭姫神社は、養老5年(721年)上社より分祀して創建されたとある。 延喜式神名帳では「若狭比古神社二座」と書かれており、現在、祭事は下社・若狭姫神社で行われているという。
      
    両神の鎮座する道に沿った更に奥まったところに、小浜・若狭地方でも随一と言われる古刹・「神宮寺」がある。 714年(若狭神社と同一)の創建と古く、鎌倉初期には若狭神社の別当寺(神社に付属した寺院で、神仏習合説に基づいて神社に設けられた神宮寺の一つ)であった。 若狭随一の木造本堂が雄大な姿で座して居る。
    若狭神宮寺は五木寛之の百寺巡礼の20番目にも記述されているほどの古寺である。
    この寺の面白いところは、神仏を合わせ持っているのが特長てあろうか。 山門や本堂には注連縄が飾られ、本堂内でも仏像と並んで若狭彦、若狭姫をはじめこの地にゆかりの神々の名が書かれた「神号」が祀られているという。 参拝も神仏両用で、柏手を打って神様仏様を拝んでも良いらしい。
    江戸末期までは三重塔など二十数の御堂が在ったとされるが、明治政府による神仏分離令、その後の廃仏毀釈の嵐で殆どを破壊されたが、しかし、本堂、仁王門など一部の建物は生き抜き、今でも神仏を合わせ拝む習俗が残っているともいう。
    ところで、小浜の市街地や周辺地域に古い寺や神社が多いのは、朝鮮半島にも近く大陸の人や文物がこの地を経由して、鯖街道、御食の道を100キロほど先の奈良・京都へ運ばれたことと関連があるかもしれない。 

    次回、神仏習合について・・、


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    2009年06月23日 08時44分12秒

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    日本周遊紀行(203) 小浜 「後瀬山」


    写真:空印寺(元、若狭の守護・武田家守護館)


    日本周遊紀行(203) 小浜 「後瀬山」

    「鯖街道」は、現在の国道27号線の上中町より303号線、367号線となり、所謂、若狭街道と呼ばれる国道を、比叡山系から比叡山山麓、大原を経て京都に達する道である。 運ぶ人達は『京は遠ても十八里』と歌いながら寝ずに走り、歩き通したという。
    尤も、広義には「鯖街道」とは福井方面から海産物を運んだ街道全てを指す場合もある。
    尚、小浜では当時のルート(福井県小浜-京都市出町柳間76キロ)を走り通す「鯖街道マラソン」というのが毎年開催されているらしい。 ルートの大半が未舗装路であり高低差も大きいことから別名、ウルトラ山岳マラソン鯖街道マラニック(マラソン+ピクニック)とも呼ばれるとか・・。
      

    『 かにかくに 人は言ふとも 若狭路の 後瀬(のちせ)の山の 後も逢はむ君 』
      
    と、古く、坂上大嬢(さかうえのおおいらつめ・大伴家持の妻)が、「万葉集」に詠んだ後瀬山(のちせやま)は、小浜の市街地のすぐ南にある山で、標高168メートルの比較的低い山というより丘である。
    この後瀬山に戦国の世に相応しい山城が築城されたのは、大永2年(1522年)のことで、
    当時の若狭国守護・武田元光が、全国的にも飛躍をみせ、海外との貿易も視野に入れた小浜湊を望み、山麓に往来する丹後街道を掌握する要衝の地に、この城の縄張りを行ったとされる。
    城主は、築城した初代・若狭武田氏から八代元明へと継承されたが、戦国期、1568年(永禄11年)8月に越前朝倉氏の若狭進攻によって武田・領国は失うことになる。 
    1573年(天正元年)に織田信長によって朝倉氏が滅亡すると、若狭を任されたのは丹羽長秀だった。 若狭武田氏が滅亡後は、織豊系武将の丹羽長秀、浅野長政、木下勝俊が相次いで入城し、後瀬山城は若狭国を統治する拠点として存続していた。
    やがて、関ヶ原合戦後に入国した京極高次(若狭国小浜藩初代藩主)によって後瀬山城は廃城となり、新しく築城された「小浜城」(東の小浜湾の海岸を背に、北川と南川に挟まれた中州に築城、水城:現、小浜神社近辺)にその役目が引き継がれることになる。

    因みに、若狭武田氏は甲斐源氏武田氏と同族で、鎌倉政権発足時は甲斐守護であったが、「承久の乱」後に安芸の守護職も獲得、そして、元寇に際して初めて安芸に下国したとされる。
    武田元光は、1519年に父の元信が出家したため、家督を継承して第6代の若狭国守護となり、後瀬山城を本拠とした。
    「承久の乱」とは、鎌倉幕府三代将軍・源実朝の死が発端となり、1221年(承久3)に起こった鎌倉幕府と朝廷との争乱である。 皮肉にも実朝没後、源氏将軍の断絶を契機に、都では朝廷(後鳥羽上皇)が権威挽回のために乱を起こしたが、幕府側が勝利した事により、幕府は朝廷を含め当時の日本全国を掌握することになった。


    古来より日本海側の諸国の物資を京都へ運ぶ中継港として栄えた小浜であるが、室町期、若狭武田家の守護舘は現在の「空印寺」の境内あたりにあったとされる。
    空印寺は、若狭の守護・武田元光が守護館とした場所で戦国末期、小浜城を築城するまでは、この地が小浜の政治の中心地であった。 江戸期には、小浜藩・酒井家の菩提寺でもあった。
    城址である後瀬山からの眺望は、眼下に西流する北川と南川が一望のもとに眺められ、その南川の河口には、諸国の産物で賑わう天然の良港小浜湊が望める。

    こんな、小浜の豊かな風土と文化は、今日の町社会にも少なからず影響が残っている。 
    小浜西部地区の後瀬山周囲には、歴史的建造物や町並み保存地区が並び、数多くの歴史と由緒ある寺院が点在する、否、密集していると言ったほうがいいかもしれない。 
    著名な寺院が、その数合わせて50とも60ともいわれ、正に寺社だらけで、若狭の海のある小奈良、小京都といえる所以である。
    又、小浜には、現在も「四社参り」と称して由緒ある神社へ市民がお参りする習慣が続いているという。 氏神の「八幡さん」、火の神の「愛宕さん」、水の神の「瀧の天神さん」と「神明さん」 ・・・と、生活に密着した社宮がある。 
    更に、これとは別に小浜・宮の前地区には、神話時代からの伝説的神社、若狭の国の開祖神、総鎮守とされる「若狭一の宮」が鎮座している。

    小生は、ここを訪ねることにした。
    国道27より案内にしたがって山手の方向へ右折すると間もなく先ず、「若狭姫神社」があり、更にその奥に「若狭彦神社」が鎮座していた。 
    両神とも、山裾の静寂な田園地帯に建ち、鬱蒼とした鎮守の森に鎮まっていて、神霊を感ぜずにはいれないほどである。 若狭姫神社境内へ入ると、手水鉢に美しい水が溢れて、広葉樹の森を背に建つ拝殿脇には樹齢千年といわれる千年杉が聳えたつ。

    次回は「若狭一の宮」


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    2009年06月22日 10時04分20秒

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    日本周遊紀行(203) 小浜 「鯖街道」


    写真:小浜市内、鯖街道起点の路面表示


    日本周遊紀行(203) 小浜 「鯖街道」

    舞鶴を後にして、国道27号線、通称、丹後街道を行く。
    舞鶴から若狭へ抜ける半島を横切るようにして、若狭の小浜方面に向かう。 青葉山系のトンネルは既に京都府と福井県との県境に位置していて、抜けると福井県である。 その最初の町が高浜町であるが、暫く行くと若狭の素敵な海岸が広がっていた。 更に、大飯町(おおいちょう)の小浜湾もなかなか結構な海岸であり、和田の青戸の入り江などは鏡のように静かである。 それもその筈で、小浜湾が鋸崎、松ヶ崎といった両岬に挟まれた狭い湾口の奥に小浜湾があって、その又西側の奥へ細長く入り込んだ青戸入を形成しているためである。江をにある。 尤も、若狭湾そのものが日本海側では珍しい海と陸とが交互に出入りする、大規模なリアス式海岸になっているのが特徴である。
    若狭本郷の駅前を過ぎると、間もなく対岸を結ぶ巨大な橋が見渡せる。 静かな若狭湾が更に深い入江となっている青戸入江の付け根に架かっているのが青戸大橋で、海上橋が国道27号と大島半島の犬見崎を結んでいる。 かつて陸の孤島と呼ばれていた大島半島の大島地区と本土・JR線などを最短で結んでいる、生活には非常に重要な橋であろうことが伺える。


    静かな若狭湾に点在する各港は古来より良港で、鯖(サバ)などの魚介類の水揚げ地でもあり、しかも京都にも近いため丹後街道、若狭街道などは、いわゆる「鯖街道」とも言われていた。
    その最も良港の一つである、小浜湾の東に位置する小浜市に入って来た。
     
    小浜は歴史と伝統が息ずく町である・・、
    古代から日本海を隔てた大陸との交易が開け、日本海側屈指の要港として栄え、陸揚げされた大陸文化や各地の物産は所謂、鯖街道などを経て、近江、京都、奈良にもたらされた。 それらの証しとして小浜の大陸とのつながりは、市内に点在する数多くの文化遺産からも伺い知ることができ、即ち、「海の正倉院」とか、或は「海の有る奈良」とも呼ばれてる。

    小浜には「鯖街道基点の印」が今も残る・・、
    市内のいづみ町商店街内に、その起点プレートがある。
    ここが、鯖街道の始まりで、小浜から熊川宿、朽木を経て、京都へ18里、約70kmであった。

    『若狭湾で取れた鯖に、一塩して、夜も寝ないで京都まで運ぶと、ちょうど良い味になっていた』

    と古来よりいわれたという。 
    因みに、昔の鯖は今と全く比較にならないほど大量に獲れ、体形も大きく、一般庶民、特に都人にはに喜ばれたという。 このため鯖を担いで走る街道を、いつしか鯖街道の名が付けられたという。 しかし、鯖は一つの代名詞にすぎず、その他、多種の海産物などが運ばれたのは当然で、いわゆる北前船から陸揚げされた物資も盛んに輸送され、この中には日本海の塩も加わり、別名、塩の道でもあったという。 
    小浜は、鯖街道である“食の道”の他に政治の道、軍事の道、特に文化の道でもあった。 特に大陸文化の交流、渡来品も盛んで、室町時代には南蛮船が小浜へ”象”をもたらした史実などがあり、遠く南方との交流をも覗かせるという。

    近年、差別用語として余り使われなくなったが、つい最近までよく用いられた「裏日本」という言葉があった。 そのイメージは暗く、うら寂れた感じを伴い、日本海側地帯の特徴を表しているような錯覚さえも起こさせた。 しかし、雪の国・越後新潟の項でも記したが、この裏日本という用語は僅か百年ばかりの歴史しかなく、この日本海に面する越の国を含む一帯は、大昔より、まさに国土の表日本であり、しかも若狭地方はその正面玄関でもあった。

    次回も小浜の「後瀬山」


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    2009年06月20日 09時14分29秒

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    日本周遊紀行(202) 舞鶴 「引揚者と戦争難民」

    .


    一般に、満州からの集団引揚げは、1946年春から一時期の中断を含め、尚連続して行われていたらしいが、しかし中国内戦が激化したことや、その果てに中国大陸を支配した中国共産党政権が樹立することによって中断された。 
    日本政府はこの間、中国と国交を結ばなかったという背景もあり、1958年には集団引揚げは打切られ、家族には不明家族の死亡宣告を迫り、そして残留者保護対策の終息を図った。
     
    日中国交正常化から9年後の1981年頃より、再び、彼らの多くは日本での肉親を探し始め、やがて肉親探しよりも日本への帰国を目的とするようになった。 
    彼らが次第に中国残留孤児や中国残留夫人と呼ばれるようになり、帰国のための調査、面談が行われるようになったのは承知である。
    中国残留の人々は、私達(引揚者)とは異なった“次元”(一時、外地・中国での生活を強いられた人々)で大変な苦労をされた方々である。

    そのことについても一言記しておきたい・・、
    「満州国」崩壊と難民化:、主として拓務省および関東軍との関わりについてである。
    拓務省とは、1929年から1942年にかけて設置された省で、拓務大臣(たくむだいじん、拓相)を長とした行政組織である。 当時、外地と言われた日本の植民地の統治事務・監督のほか、南満州鉄道・東洋拓殖などの業務監督、海外移民事務などを担当した。
     
    中国残留孤児や中国残留婦人とは、「昭和の屯田兵」、「新日本の少女よ大陸へ嫁げ・・」などと強調、賛美されて満州への移住を勧められ人々である。
    戦時下の現地(満州国の開拓期)では、兵役のため召集(18〜45歳男子)された父や兄弟や夫からは切り離され、殆どは女性、児童、高齢者しか村には残っていなかったのである。 そんな中、内地では敗戦濃厚となっていた終戦間際、満州では突如としてソ連軍が侵攻してきてソ連兵や中国の現地民に追い立てられ、鉄道等の避難経路へのアクセスが困難な地域では、住民たちは戦争難民になった。 
    尚且つ、付近に駐屯していた関東軍がいたにも関わらず、満州国防衛はおろか、人民を放棄して撤退していく軍に置き去りにされ、主要避難所への集結をめざして徒歩による逃避行となった。 当然ながら逃避行の途中では攻撃・略奪・暴行による多数の被害者および自決者・落伍者を出し、たどり着いた難民収容所では飢え、寒さ、伝染病等に苛まれ、死ぬか生きるかという切迫した状況の下におかれた。 

    人々の中には現地人(主に中国人)に招かれたり、拾われたり、もらわれたり、買われたり、さらわれたりするかたちで妻あるいは養子として現地の家族へと統合されていった児童や女性もいた・・!。
    これら満蒙開拓民(中国大陸の旧満州、内蒙古、華北に入植した日本人の移民の総称)として渡満した人々が、そうでない人々よりもどれだけ「艱難辛苦の砂を食わされた」かを指し示す資料として、満州開拓史刊行会(1966:437)を参考にした数字が下記に表される。

    【開拓民と非開拓民の間における死亡者数等についての差異】

                           「全体」    「開拓民」    「非開拓民」
    終戦時在満邦人数(関東州を含む)  1550000人  270000人  1280000人
    敗戦に基づく一般邦人の死亡者数  176000人   78500人   97500人
    何人に一人が死亡したか        8.81人     3.44人     13.13人
    死亡指数(非開拓民比)          1.49       3.82        1.00

      
    『岸壁の母』 歌・双葉百合子 詞・平川浪竜 曲・藤田まさと  
    母は来ました 今日も来た 
    この岸壁に 今日も来た
    とどかぬ願いと 知りながら
    もしやもしやに もしやもしやに
    ひかされて

    呼んで下さい おがみます
    あゝおっ母さん よく来たと
    海山千里と 云うけれど
    何で遠かろ 何で遠かろ
    母と子に

    (台詞)
    また引揚船が帰って来たに、今度もあの子は帰らない…
    この岸壁で待っているわしの姿が見えんのか…
    港の名前は舞鶴なのに何故飛んで来てはくれぬのじゃ…。
    帰れないなら大きな声で…
    お願い…
    せめて、せめて一言… あれから十年……
    あの子はどうしているじゃろう。
    雪と風のシベリアは寒いじゃろう……
    つらかったじゃろうといのちの限り抱きしめて……
    この肌で温めてやりたい……
    その日の来るまで死にはせん。
    いつまでも待っている……

    悲願十年 この祈り
    神様だけが 知っている
    流れる雲より 風よりも
    つらいさだめの つらいさだめの
    杖ひとつ

    (台詞)
    ああ風よ、心あらば伝えてよ。
    愛し子待ちて今日も又
    怒涛砕くる岸壁に立つ母の姿を……


    .

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    2009年06月19日 09時39分50秒

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    日本周遊紀行(202) 舞鶴 「私的回想と引揚者」

    .

    ここで、勝手ながら小生の幼少時分の満州から引揚状況を、「記憶を振り絞って」思い出してみた・・、
     
    大陸、特に中国東北部を、戦中は通称・「満州」(満州国・日本の傀儡政権国家ともいわれる)と呼んでいた。
    1931年(昭和6年)に勃発した満州事変を契機に日本が占領し、翌1932年から1945年までは日本による傀儡国家(かいらいこっか)・満州国が建国された。 
    満州国は、清朝最後の皇帝であった愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ:映画、「ラストエンペラー」で知られる)が13年の間にわたって元首としていたが、1945年8月、第2次世界大戦終結直後にソ連軍が満州に侵攻、日本の敗戦と同時に消滅している。 尚、翌年の1946年には、ソ連は占領した満州地域は中華民国(現、中国)に外満州を除いて返還している。
     
    さて、私事であるが・・、
    親父が満州の「南満州鉄道」へ就職し赴任したのは昭和12年の頃であろう・・?、小生は昭和14年に満州・奉天(今の中国・瀋陽)で出生している。 満鉄職員ということで、比較的安楽で普通以上の生活をしてたらしく、中国人やロシア人を家へ招いては茶会や麻雀などを楽しんでいたようである。
    小生が物心ついた小学生入学当初、この頃から戦争の影響が次第に生活の中にも入り込むようになり、灯火管制など電灯に黒幕を被せて部屋を暗くして静かにしていたり、非常時の場合に備えて非常用具や防空頭巾などが手元に有ったのを覚えている。 又この時期、不幸にも実母と妹を病(結核)で亡くしている。 
    警戒警報や空襲警報が盛んに発令されるようになって、当時、鉄筋コンクリートの三階建ての官舎に住んでいた我々も、遂に地下の防空施設に避難するようになった。
     
    ある日、地下で待機している時、ズーン、ズシーンという地鳴りのような音が聞こえたかと思っているうちに、突然、物凄い爆発音がして地下室が振動し、上から物が落ちるほど揺れた。 親父が仕事で不在の中、小生は弟・二人で近所の人に抱きかかえられながら泣きじゃくっていたという。 
    警報が解けて表へ出ると、真向かいにあった床屋さんが大きな穴の中に屋根から真逆さまになって突っ込んでいて、大いに驚いた・・!!。 大人たちが「1トン爆弾が落ちた・・」などと話していたのを今でも記憶している。 
    それから後、数日間は静かな日々が続いたようだが、ある日突然、予想もしないことがおこった。
    親父が「ソ連が攻めてきたらしい・・!」といって官舎の人全員に呼びかけ、取るものも取り合えず駅まで誘導し、我らも防空頭巾を被って貨物列車に乗り込んだ。 後は、奉天駅から釜山(ふざん・プーサン)へ来たことは覚えているが、途中の長い道程(みちのり)は記憶が無い・・。
     
    建国当時、南満州鉄道(満鉄)は満州国が成立すると、日本から朝鮮半島、中国大陸へ向かう需要が急増していた。 
    東京、大阪方面からは、主要幹線である東海道本線、山陽本線が其々の地方を経由しながら下関まで行き、関釜連絡船で玄界灘を渡って釜山へ、更にそこから朝鮮総督府鉄道(鮮鉄)・南満州鉄道(満鉄)へと乗り継ぐルートが最速であり、これを弾丸列車と称していた。 中国大陸・満州へは奉天から新京(現長春)、大連、旅順などを結ぶ。
     
    以上のことから、親父が満鉄職員ということもあり、奉天から朝鮮半島を経て釜山へは重要幹線ということもあって、比較的容易に来れたようである。 因みに、親父の満鉄での業務は、旅客関係ではなく保安・保線関係の仕事であったため、比較的早めに解放されたらしい。 奉天〜釜山は、概ね東京から下関の距離で凡そ1100kmある。

    釜山からは貨物船に乗せられて(載せられて)舞鶴に向かったのであるが、船中の居場所は船底の貨物室で、人々はごった返し、筵(むしろ)の上に居たのを記憶している。 
    又、この時、小生が甲板付近で遊んでいる時、階段から転げ落ちて右腕を骨折してしまい、船医による応急処置をした後、東京の東大医学部で手術したが、あと数日遅れたら腐食して右腕を切断する羽目だったという・・!。 
     
    未だ3歳の弟と小生の幼少の二人を引き連れ、上陸してからは舞鶴からはるばる東京へ向かうのであるが、おまけに上の子(小生)は怪我で半病人の身であったことからして、親父の労苦が偲ばれるのである。 
    この間、東京・足立の親類(叔母・父姉)で厄介になり、その後、親父の実家である福島県の石城郡磐崎村白鳥(現、いわき市白鳥町)へ戻り、同村及び隣町の湯本町で敗戦の辛苦を味わいながら、少・青年期を過ごすのである。 
    幼少のみぎり、上陸した「舞鶴」という地名は確かながら、当時の詳しい様子等それ以外の事は残念ながら全く記憶に無い。
     
    子供時代にNHKで「尋ね人の時間」というのがあった。 
    どこで・・、何をしていた・・、誰々さんを・・、誰々さんが探しています、という内容を次々と読み上げていた。 この時、「旧満州」という言葉がよく出てきて、その頃は何とも思わず聞いていたが、今思うとあの頃は戦後の混乱期がまだ続いていて、あのような番組が相応に役に立っていたことが判るのである。 その番組も、気が付かないうちに無くなっていたが・・。
      
    次回は「引揚者と戦争難民」

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