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  • from: orimasaさん

    2008年05月16日 10時40分38秒

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    日本周遊紀行(110) いわき湯本Ⅷ・「追筆・長谷寺」

    日本周遊紀行(110) いわき湯本Ⅷ・「追筆・長谷寺」

    過日、平成19年の秋分の日(2007年9月23日)に先祖が眠る故郷・田舎の寺院(白鳥山龍勝寺)がある白鳥、いわき湯本を墓参のために訪ねた。 そして、その帰路、上湯長谷の「宇治山長谷寺」へ立ち寄った。
    県道・湯本-植田線の下湯長谷地区・スーパー「マルト」の信号を上湯長谷地区に向かって1kmほど行くと、そこに広い境内を構えた長谷寺があり、正面に大きく「長谷寺」と書かれた石柱が立っていた。

    思えば、この辺りは子供の頃よく遊んだ地域でもあった。 
    小さな丘の東方に「湯本第一小学校」があって、この学校は小生の母校であり、しかも住居は小学校のすぐ隣にあったのである。 又、寺のすぐ北方直近には「湯本第一中学校」があって、通学途上は小学校の校庭を横断して寺の境内の直ぐ横を通り、通学していたものであった。 
    寺院境内の様子は、昔日と今日とではおのずと様変わりしているとは思われるが、いずれにせよ小学校時代や中学の通学途中の道草によく遊び、ヤンチャをしたものであり・・、実に懐かしい地域なのである。

    今日は、彼岸の御中日ということも有って、墓参のための檀家衆の出入りも激しく車の交通整理員が2人も3人も出ているほどで、舗装された坂道の両脇には大きな駐車場もあるが、ほぼ満車状態であった。
    昨今、われ等の生活状態も豊かになったのであろうか・・?、 気が付くことに何れの寺院の墓地、墓石も新調しているらしく、真新しく光り輝いているのである・・、無論、長谷寺の墓地も例外ではなかった。 
    同寺の主要な墓地・霊園は北面高所にあって、杉林の囲まれヒッソリと・・、と言いたいが、本日は彼岸ということもあって大勢の参拝者で賑わっている。  
    実は、小生は墓参に来たわけではなく、寺院本堂に参拝の傍ら、長谷寺の歴史に興味があって、それらに関して訊ねて来たのである・・。
     
    車を置いて本堂境内に向かう入り口に、これまた立派な石柱が立っていて、右に「宇治山・長谷寺」(うちさん・・)、左に「大同二年徳一大師開山」としてあった。 更に進むと左手の大きな堂宇があり、その正面の上部、横向き看板に「徳一大師開山1200年記念・・・」と記してあった。
    そうなのである・・、 本年は2007年、開山が平安初期の和暦の大同二年は西暦の807年に当たり、今年は実に限(きり)のいい1200年の開山記念の年なのである。 
    境内は古刹寺院の瀟洒(しょうしゃ)な面影を存分に漂わせていて、心が洗われる清楚な雰囲気を醸し出している。
    本堂に一礼を済まして横の寺務所を訪ねると、やはりというか、住職、若僧は秋の彼岸会などで不在であった。 家人に1200年記念法事の件や同寺院の縁起書、案内書なるものを訊ねたが要領を得ず、同寺の「観音立像」のパンフ一葉を有難く頂いて退所することにした・・。
    尚、1200年記念大法要は、本年11月初旬に行われるらしい・・。    


    <font size="2" color="#0000FF">「観音立像」の概要・・、
     『県重文(彫刻) 木造十一面観音立像 一体  本像は、別名長谷式十一面観音像といわれ、通常の十一面像と異なり、右手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、岩座に立つ姿であり、材質はカヤ材と判定される。・・・腕は豊満な丸みを帯び、・・肩から腰の衣文(いもん)、腰から下の裳(も)はゆるく反転してて彫が深く、重量感をかもし出す。天衣は仏体とともに木で、彫刀のさえはみごとであり、鎌倉時代末期の特色である写実味をかなり表現している。・・・なお、本像の胎内銘については昭和35年以降その読解に努力し、・・・それによると胎内の腹部・背部の内刳り(うちえぐり)部分と両肩の腕側継ぎ目、さらに足先の裏面から総計673文字の墨書銘が確認された。 造立は文保二年(1318年)。延べ38日で完成したらしく、・・・仏師は能慶。 また造立者は岩崎氏。同氏の隆義公が父、隆印の七回忌と祖先の供養を兼ねた。それらの人名は、岩崎氏系図の欠を補う。当地の地名「岩崎西郷内長谷村」も確認した。また「奥州東海道岩崎郡長谷村観音堂徳一大師建立所也」と徳一大師による堂宇建立を示す中世資料の所在を証左した。・・付記、いわき市常磐上湯長谷町堀の内  長谷寺所有。  「いわき市の文化財」「市史調査報告」より・・』
    と記している。

    概説すると・・、
    『現在の観音様は、鎌倉時代後期の作で文保2年(1318)いわきの豪族岩崎氏が同家の先祖菩提を念じて大仏師・能慶をして、カヤ材寄木造りの総丈約270センチの檀像を長谷寺に寄進したとする。
    観音様は右手に錫杖を持ち、岩座の台座に立つ典型的な長谷式の十一面観音である。 
    そして、衆生の苦悩の声を聞きつけると即座に台座より飛び降り、どんな地獄の底であっても杖をついて衆生に救いの掌をさしのべる、このような慈悲心溢れる姿で本堂中央に立っている・・。
    尚、観音像は難陀龍王(なんだりゅうおう:両手に宝珠を持つ八大龍王の筆頭)、雨寶童子(うほうどうじ:福を得て災を除くという。神仏習合によって日本で創造されたもので、難陀龍王と共に十一面観音の脇侍として祀られることが多い。)を両脇侍に従え、所謂、長谷観音三尊仏として多くの参詣者に拝まれている。』
     (平成19年:2007年9月下旬、 追加記載)


    次回は、 「いわき」



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