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  • from: orimasaさん

    2008年08月02日 16時34分19秒

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    日本周遊紀行(131) 「横浜(2)」


    開港記念館

    日本周遊紀行(131) 「横浜(2)」


    横浜開港・・、
    <font size="2" color="#0000FF">江戸期の「横浜」の中心は、東海道の宿場として神奈川宿それに保土ヶ谷や戸塚が賑やかであったにすぎなかったという。
    当時の横浜(横浜村)は、砂浜が広がる戸数100戸足らずの小さな漁村だった。
    19世紀半ばの幕末開港にあたって、港としては神奈川宿の湊が取り合えず開港場に指定された。 しかし、東海道に直結する神奈川宿・神奈川湊は避けるべきだとの合意で、対岸の横浜村に開港場を新設することを幕府の指令によって決まった。
    実際に開港したのは対岸の横浜村(現在の中区北側近辺)であった。
    港の工事は突貫工事の急ピッチで行はれ、これらの事業や初期の町作りを担ったのは、神奈川宿・保土ヶ谷宿や周辺の村々の人達の所謂、民間の人々であったと言われる。
    尚、港の成功の背景には、神奈川湊及び同宿によって培われた経済的基盤が存在したという。

    1853年,アメリカのペリーが来航して以来、日本は鎖国政策を取り止めて、神奈川(横浜),長崎,箱館(函館)を開港し外国との自由貿易が出来るようになる。 
    横浜港が開港した当時は、現在の大桟橋の付け根付近に2か所の波止場がつくらたが、船は波止場に直接に付けることができないので、沖に停泊し「はしけ」や「汽艇」とよばれる小さな船が陸との間を往復して荷物や人を運んだといわれる。

    1859年7月1日(旧暦:安政6年6月2日)、横浜港は開港し、貿易を開始した。
    開港に先立ち、幕府は横浜への出店を奨励する御触を出し、江戸の大商人や神奈川湊など江戸湾内の廻船問屋のほか、全国から一旗揚げようと意気込む商人が集まり、横浜は急速に発展した。

    その後の横浜港は、開港当初から昭和初期に至るまで綿花などの原料・鉄類・機械の輸入と、生糸・糸・絹織物の輸出を主とし、特に生糸貿易港として発展していく。
    更に、、京浜工業地帯の発展に伴い、鉄鋼・機械類・油脂の輸入と、機械類・金属製品・鉄鋼の輸入を主とする工業港となる。
    現在では、コンテナ貨物取扱や倉庫物流の拠点としても重要な役割を担っている。 
    横浜港は、日本有数の貿易港となり、東京港、川崎港と併せて京浜港群のスーパー中枢港湾として発展していくのである。
    尚、横浜市は6月2日を開港記念日としている。 そして、来年の2009年は開港150年にあたり、横浜市としては盛大に「開港記念祭」を計画しているとのこと・・。
     

    横浜湾岸道路から国道16号・保土ヶ谷バイパス経由、国道246にて、待望の我が家に到着した・・。
    時に、平成16年(2004)10月5日18時20分・・、
    突然の帰宅でカミさんもビックリ・・!!、直ぐにニッコリ・・!、「!お疲れさんでした・・」・・と

    次回最終(東日本編)は、 小生の地元「厚木」について、

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