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  • from: orimasaさん

    2009年02月28日 12時12分37秒

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    日本周遊紀行(160) 知覧 「映画になった特攻隊員」



    石原慎太郎氏が作った映画・『俺は、君のためにこそ死ににいく』・・、

    2001年、「ホタル」という映画が上映された。
    小生は残念ながら観ていないが・・、(後日、ビデオで観ました)当時、富屋食堂(実名)は若者達に、母親のように親しまれていた山本富子(鳥浜トメ役:奈良岡朋子)が経営していた。 ここは、少年たちの自由に出入りが出来る憩いの場であり、彼女は何くれと無く彼等を面倒見た。 彼らは食堂の主人を「カアさん・・!」と自然に呼ぶようになった。 或る日、韓国出身の金山少尉(実名・宮川三郎役:小澤 征悦)に出撃命令が下った。その夜、富屋食堂で彼が自国の唄・「アリラン」を歌い、「私が亡くなったら、明日この時間にホタルになって帰ってくるという」と言い残し、戦地へ旅立った。 翌夜、何時ものように富屋食堂には、若い特攻隊員たちが集まっていた、この時、予告した時刻に一匹のホタルが食堂に入ってきた、皆シーンとホタルを見ていた。
    そして画面は現代に替わる・・、鹿児島の小さな町・・、 山岡(高倉健)は病弱の妻(田中裕子)とともに静かに暮らしていた。 特攻隊の生き残りである山岡の脳裏には、折に触れて戦争当時の悲しい思い出が甦る。 志半ばにして命を散らした若者たち、引き裂かれた恋、この物語の中心に位置するのが富屋食堂であり、その女主人であであった。 ある時、この女主人(カアさん)から金山の遺品を届けるのと慰問のため、山岡に故郷の韓国へ行くようにお願いする。 やがて、彼はさまざまな思いを胸に、金山の故郷の韓国を訪れる。
    幾つもの傷を心に負った生き残り特攻隊員の出会いと運命を描いた、東映50周年記念製作で、主演、高倉 健、田中裕子を始めとする充実のキャスト、監督・降旗康男である。
    鹿児島湾、桜島、開聞岳や青森の八甲田山など、美しい日本の四季の移ろいを交えて 丁寧かつ重厚に描き出す。 物語のクライマックスは韓国の魂が息づく伝統の村・ 河回(ハフェ:金山少尉の実家)の地に高倉らがロケーションを敢行。 富屋食堂の主人・鳥浜トメを演ずるのは名女優の奈良岡朋子、そして、ここ特攻記念館も脇の役目で登場している。
    映画「ホタル」が平成13年夏に上映されて以来、知覧を訪れる人が急増したといわれる。

    記念館の前には、『慟哭の誓い・・この鎮魂、慰霊、慟哭のなかに、我ら国を超え、民族を超え、世界人類永遠の平和をここに誓う』と歌った、堂々たる歌碑もある。 
    当時、運輸大臣・石原氏(現東京都知事)が当館を訪れ、その後、鳥浜トメ氏を尋ねている。 彼はトメさんの感動的な話を聞き、身を正したという。 拝見した古いアルバムは、ほとんどの写真が剥がされ、黒い台紙が残るのみであった。それは戦後、知覧を訪れた遺族に乞われるまま、貴重な写真を分け与えてしまったからである。そして、「ここにこうして残っているのは、韓園と台湾出身の方々のものばかりです 」・・と。
    その際、石原氏はトメさんを「国民栄誉賞」に推薦したそうであるが、時の首相・宮沢氏の無理解により賞の授与には至らなかったという、石原都知事は“タカ派”の国会議員として知られるが・・、記念館を見学し、鳥浜トメ氏のに会って、現状日本を政治家としてどう感じたか、興味のあるところである。
    その後、石原氏は2007年5月、『俺は、君のためにこそ死ににいく』という映画を、脚本・制作総指揮して製作している。 太平洋戦争末期、知覧で飛行訓練を受けていた美しい青春が、特攻のために無残にも散っていった物語で、そこには、陸軍飛行兵や母親のように慕われていた鳥浜トメ氏、そして特攻隊員となった青年達を描いている。

    ところで、館内に掲示されている1036もの遺影は、60年間続いた平和日本に安堵しているのであろうか・・?。 何時々々までも、この館が人々にノーモァー戦争を、そして憲法9条の遵守を呼びかけ、平和を希求する館であって欲しいとは思うが、尚言えば、現状、半ば平和ボケしている「日本の実情」をどう感じているか・・?も、気になるところではある。 館内にいると次第に、何か心が閉ざされた、やや陰鬱な気分になるのは先日の訪館の時と同じであった。会館から出て公園の緑と空の明るさを見て、気持ちも元に開放されるのである。
    車へ戻る、今はまだ十数台の数であるが、この大きな駐車場は平日でも大型バスを連ねて、ほぼ満車状態になるというし、まして休日などは見物客で大混雑するという。 少々、穿った(うがった)見かたをすれば、知覧特攻平和会館は確固とした反戦・平和理念の施設で、特攻隊に関するあらゆる資料を集めて、その本質を追求するところではあろうけれど、昨今、記念館や資料館の建設ラッシュにも見られるように、むしろ特攻をネタにした観光施設の色合いが濃い所と言えなくもないと思ったが・・?。
    近隣の武家屋敷へ向かう道々、整列に並ぶ「特攻灯篭」を見て上の孫は「あれ、ナーニ・・」と問われて、適当に返事はしておいた。 ただ、初め見た目は「珍しさ」もあったが今、冷静に見て、由緒ある神社仏閣が控えているならともかく、たかが(・・?)記念館でここまでやるか、という感触も否めなかった。いっその事、実際に特攻神社なるものを創建してみてはどうか・・?、(不遜な考えに無礼もうし候)
    だいぶ上空も明るくなって、一部には青空も見えている。“麓”と言われる「武家屋敷跡」に着いた。 孫達は道端の清流に悠然と泳ぐ鯉の群れに嬌声を上げている。
    小生は先刻頂いた案内書を元に、武家屋敷の路地へと案内した。皆は個々別の屋敷前に佇む庭園の見事さに驚嘆していた。尤も、この地域は別名「武家屋敷庭園群」とも言われる程なのである・・。

    次回は、その「麓」について

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