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  • from: orimasaさん

    2009年11月24日 13時54分06秒

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    日本周遊紀行(26)鯵ヶ沢 「鯵ヶ沢と津軽氏」




    日本周遊紀行(26)鯵ヶ沢 「鯵ヶ沢と津軽氏」


    日本海に出ベソのように突き出た半島を黄金崎といい、別名・舮作崎というらしい、難解な読みで(へなしざき)というらしい。 
    この岬には有名な「黄金崎不老ふ死温泉」があるが、こちらは別項「温泉と観光」で述べたい。


    夕日の町「深浦」の湾曲した入江を左にまわりこみながら更に北上する。
    時折、日本海の美しい海岸を見ながら、やがて津軽半島の付け根に当たる鯵ヶ沢に着いた。 

    港の周辺は、うらぶれた家並みが海岸伝いに続く。  
    鯵ヶ沢」は一見、古い町並みが軒を連ねる北国の寂れた街、という感じであるが。しかし、鰺ヶ沢は今でこそ普通の港町、漁港であるが、往時は大隆盛を極めたという。

    江戸期、津軽藩の城下町・弘前と並ぶ代表的な町としてその名を馳せた。特に御用港として北前船(きたまえぶね)の寄港地であり、 北は北海道から西は日本海の諸港を結び、関門海、瀬戸内海から大阪まで至り、交易港としての一世一時代を成した。

    鯵ヶ沢は、「商船70艘、御役船60艘、合わせて130艘」などと古書にも記されている。 

    しかし、明治期には青森港の発展、鉄道の普及などによって次第に港の勢いが衰え、後期になると交易港としての役目は終わったようである。 
    だが、大正期にはニシンの豊漁もあり、漁業の町として一旦、繁栄を取り戻したようだが。


    縄文期のころ・・、

    鯵ヶ沢町では、ほぼ全域から縄文時代の遺跡、遺物が発掘されているという。
    しかも、縄文の前・中・後期と層をなして出土している一帯もあることから、縄文時代から長く人々が暮らしていたものと考えられている。 
    すぐ近くの青森の「三内丸山遺跡」は余りにも有名になったが、いずれにしても津軽、陸奥地方は古代「縄文王国」が在ったことは確かなのである。
    (「三内丸山」の項で、更に「津軽と縄文」について記したい。)


    時代は大きく下って、15世紀の足利・室町時代・・、

    南部氏(平安末期、甲斐出身の南部光行が初代)が、現在の青森県から岩手県にかけての支配していた頃、南部氏の一族であった「為信」(南部・久慈氏といわれるが)が大浦城(岩木町、弘前より西へ5km程)の大浦氏に婿養子となって移り、大浦家の後を継いでいる。

    その後、為信は本家・南部家の内紛の間隙を縫って、たくみに津軽全体の支配に成功したといわれる。
    津軽全域の支配が完成したころから、「大浦氏」をやめ「津軽氏」と名を改めている。


    ところで、近世を通じて、津軽藩と南部藩は非常に仲が悪かったと言われる。(今でもそうらし・・?。)それは、津軽氏の前身大浦氏が、本家南部氏に“弓を引いて”独立したことが原因らしい。

    しかし、一般にいわれるように、大浦氏=津軽氏の独立は南部氏に対する謀叛とか反逆とかと云うものではなく、元来、津軽地方における領土権は未だ不確定だった時であり、南部氏が領有化したのはきわめて正当なであったともいう・・?。
    為信は、安藤氏(後述する)に対する西海岸一帯の守りのために、赤石川の中流域の種里城に入る。  
    このことが、鰺ヶ沢湊の発展の礎となる。


    為信は、豊臣秀吉の小田原参陣によって津軽領有地の本領を秀吉から安堵され、更に後の家康に仕えて近世大名として生き残ることになるが、為信はその頃、津軽の本拠を「弘前」に置いて町造りに精を出す。
    更に、「関ヶ原の合戦」においては軍功を挙げ、4万5千石の弘前城の津軽藩・初代城主となっている。 

    江戸時代に入り、「鯵ヶ沢」は津軽藩の御用港として全盛期を迎えるのである。 
    鯵ヶ沢で、今も盆踊りのとき唄われる「鯵ヶ沢くどき」や「鯵ヶ沢甚句」は、このころ船乗りたちによって伝えられたものだといわれる。 

    『鯵ヶ沢甚句』  青森県民謡
    西の八幡港を守る       鯵ヶ沢育ちで色こそ黒いが
    主の留守居は         味は大和の
    ノオ嬶ァが守る         ノオ吊し柿
    ソリャ妊ァ守る         ソリャ吊し柿
    留守居はノオ妊ァ守る    大和のノオ吊し柿
        ヤァトセ、ヤァトセ 

    何やら歌詞が意味シンの部分もあるようだが・・?、


    時代は更に、古代・平安期まで遡ります。  
     「岩木山」の東、弘前の北、津軽平野の中央に位置する「藤崎町」は、「前九年の役」の厨川(くりやがわ)の合戦で敗れた安倍貞任(あべさだとう)の次男・高星丸(たかあきまる)が逃れた地とも言われる。

    紀元後の有史以来、津軽地方は奈良、平安中期頃までは華々しい歴史上の表舞台には登場していない。
    その頃の陸奥、出羽は蝦夷(エミシ)の地であって、後に大和朝廷の支配に属するまでは。 

    九世紀頃の平安初期になって、東北蝦夷は概ね大和朝廷(坂上田村麻呂)により平定されるが、朝廷に帰服した陸奥・俘囚(ふしゅう)の長であった安倍氏の威令が津軽地方に及んだ後、歴史の表舞台に登場することになる。

    「俘囚」とは、朝廷の支配下に入り、一般農民の生活に同化した豪族、豪民のことであるが・・、俘囚長と称した安倍氏 、俘囚主を称した清原氏、俘囚上頭を称した奥州藤原氏などがこの地方に勢威を張り、権勢を振るうようになる。 
    即ち、安倍氏から藤原氏への変遷は奥州の役と言われる「前九年の役」、「後三年の役」の後のことである。


    この騒乱に敗れた安倍氏の子息が津軽に落ち延び、安藤高星(あんどうたかあき:後に安東と名乗る)と名乗って、やがて代々津軽地方を領する豪族に成長してゆく。 

    安東氏は、鎌倉期から津軽地方の支配を認められ、北条氏(鎌倉執権)を通じて鎌倉幕府の支配下にも組み込まれていった。 
    その後、鎌倉時代から南北朝時代を通し津軽・十三湊を本拠地とし栄えることになる。

    安東氏の支配地は、内陸部から得る利益は少なかったが、日本海に大きな交易網を形成しており、それによって巨万の富を得ることで栄えた「海の豪族」と称された。 
    さらにその勢力は津軽海峡を跨いで蝦夷地にまで及び、安藤康季は奥州十三湊・日之本将軍と称し、天皇もその呼称を認めていたということが知られている。 「津軽地方」が大きく飛躍した時代であった。 

    次回、そして話は十三湖・十三湊へ。



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