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  • from: orimasaさん

    2011年01月24日 10時13分01秒

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    日本周遊紀行(69)高知 「山内一豊と千代」

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     日本周遊紀行(69)高知 「山内一豊と千代」   、


    山内一豊の妻 千代は、土佐・「はちきん」の起源になっている・・? 、

    戦国期、土佐及び四国一帯を治めていた長宗我部氏の居城は、現在の桂浜に沿った高台にあたる「浦戸城」であった。
    往時は、ここが土佐の中心であり、地元で四国土佐の人物はといえば坂本龍馬を指すと思うが、地元の人は、実は「長宗我部元親」(ちょうそかべ もとちか)を指す場合が多いと言う。(理由は後ほど・・、) 

    長曽我部氏は、泰氏の後裔と称している。秦氏の一族でとりわけ著名な秦河勝は、聖徳太子の信頼に応えて多大な功績を挙げ、恩賞として信濃国を賜っている、泰氏は信濃に住して豪族に成長していった。
    平安末期の「保元の乱」、更には、鎌倉初期に起った「承久の乱」に、幕府方に味方した信濃の秦氏の子孫・秦能俊がその功により土佐国の地頭となり、長曽我部郷に移ったとする説が有力とされる。
    長宗我部氏の初代とされる秦能俊が土佐に入り、はじめて居住したのは長岡郡宗部郷(宗我部郷)であり、能俊は地名をとって宗我部氏を称したが、長岡郡の一字をとって「長宗我部」と名乗ったという。 

    長宗我部能俊の子孫は、官領・細川氏(土佐の荘園主)の庇護のもとに次第に勢力を拡大、戦国時代には大雄・長宗我部元親を輩出する。
    元親は土佐を統一し、勢いで四国制覇を成し遂げる。 しかし、中央で制覇を確実なものとした秀吉や家康に刃向かったため、次第に没落していく。 
    江戸期には、新興の山内武士団により圧迫されながらも、長宗我部の残存武士団は一領具足という半農民などに身分を変え、後に郷士となって幕末に坂本竜馬などの志士を生み、明治の革命を起こす原動力にもなる。 このあたりが歴史の妙味でもあるが。


    関が原の合戦後、長宗我部氏に代わり徳川家康によって土佐一国を拝領したのは山内一豊であり、遠州・掛川からの移封し、1601年(慶長6年)に土佐へ入国した。
    初め浦戸城入城であったが1603年、新城の普請工事を突貫で挙行、領民を総動員してこれに当たらせ、完成したのが現在の高知城である。
    高知城は掛川城にそっくりだといわれる。
    一豊が掛川城から高知へうつり、城を築くときに「掛川のとおりに築城せよ・・!」と命を下した。 現在のお城は、宝暦3年(1753年)に創建当時の姿のまま再建され、250年後の今日まで本物の城の持つ偉容を保ち、「南海道随一の名城」と呼ばれる優美な姿を残している。


    山内一豊は戦国期の武将で、織田信長に仕え、その後豊臣秀吉に仕えている。
    小田原の役の後、遠州掛川6万石となり、関ヶ原合戦では徳川家康につき、土佐24万石を拝領している。
    妻の内助の功により、駿馬を買って信長の好意を得、出世する話は有名である。 その内助で知られる妻・千代ではある。
    戦国時代の女性は「主人の無事を祈り、家を守る」という重大使命があり、特に重職にある妻は「陰の参謀」とまで言われ、これが夫の出世に多大な影響を及ぼしているのである。 
    山内一豊は案外、真面目で凡庸な武士であったらしく、妻・千代の陰の力、思考力、洞察力、行動力が有ってこそ、一豊を大名たらしめたともいわれる。 

    裁縫が得意な千代は、小袖を仕立てて秀吉に献上した。 所謂、小袖外交もその1つであるが、関が原合戦の直前、秀吉子飼の大名が西に付くか東に付くか思案している時、妻・千代は書簡を夫・一豊に送り、更に一豊は家康に差し出して、家康側(東側)に付くことを宣言する。 秀吉子飼の大名達もこれに倣ったという。 
    合戦後、家康は「この度の合戦の功は、第一に一豊にあり・・!」と評されて、土佐一国を賜ることになるのである。
    無論、妻の陰の力と愛があったわけで、家康も当然承知していたのであった。 


    高知の女性を称えるのに「はちきん」という言葉があるという。
    男勝りに働く女性を意味する言葉で、俗っぽい言い方をすれば、「 男には弐金付いていて、4人で八金である」。 つまり、「はちきん」というのは男4人分の仕事をする女性を表す。 この女性のはしりが「一豊の妻・千代」であると言われる。

    ところで、山内一豊の妻 千代は、「千代紙」の名前の起源になっていることは、その真偽はともかく余り知られてない。 
    一豊が未だ50石どりの貧乏小武士だったころ、千代は不要になった小袖を切り込み、四角い破切れにして縫い合わせ、継ぎ接ぎ小袖として着用していた。 周囲の女どもは、始め妙に眺めていたが、意外とそれが洒落てて見た目も綺麗に映った。
    その内評判になり、やがて秀吉の妻・ねねや信長の妹・お市の方、そして秀吉自身にも創作、縫い合わせして進呈したというが・・?。 
    この歯切れの形や色柄(今で言うパッチワーク)が、和紙にも普及し、これがやがて千代の名を付けて「千代紙」になったという。


    因みに、「千代紙」と「色紙」について
    分類すると千代紙は和紙、色紙は洋紙である。 日本古来の紙はむろん和紙であり、「千代紙」の折り紙は日本の伝統技術であり、千代紙自体、日本の伝統的な図柄として和服にも使われる事が多かった。 
    洋紙が導入されるに及んで、和紙では比較的高価であり、厚薄の不揃いで折り目がつきにくい理由て次第に、単色の洋紙の「色紙」、折り紙が普及していったという。

    風合いを楽しむ和紙・千代紙は障子紙や「色紙・しきし」等に使われている。  
    因みに、和紙の効用として、埃を吸い取る(微小な隙間が、微弱電気を帯びてプラスのほこりを吸い取る)、湿度を調節する、臭いを吸着する、UV (紫外線)をカットする、目に優しい、和紙の服はいい、和紙の寝具等々・・。 
    起源としては他に有力なのが京都で、千代紙のことを「京紙」とも称し、京都の伏見宮あるいは閑院宮の千代姫が愛好されたので名付けたという説もある。信憑性についてはどちらでもよいが、一豊の妻の「千代紙」が納得性があるかもしれない・・?

    2006年、NHK大河ドラマ、司馬遼太郎原作の「功名が辻」・「山内一豊の妻」が放映された。
    主人公・千代は、夫の立身出世を支えた「内助の功」の人物として有名。一豊が織田信長に仕えていた頃に、嫁入り支度のお金で夫のために馬を購入。心を込めて手入れをしたその馬が信長の目に留まり、夫の出世を助けたエピソードで知られている。
    千代に仲間由紀恵、一豊に上川隆也。

    一豊の家臣に武田鉄也演ずる「五藤吉兵衛」がいる。 先代から一豊のいわば守役として幼い時から仕え、放浪時代にもつき従ってきた。
    賤ヶ岳(秀吉と柴田勝家)の合戦直前、伊勢亀山城攻めの際、主・一豊に手柄をとらせようと奮闘、壮絶な最期を遂げる。 
    この吉兵衛の子孫が高知市内に在住で、古風格な居を構え現在、高知城近くで本屋を営んでいる、と噂できいたが・・?。

    次回は、土佐の“いごっそう”・龍馬



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