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from: 庵主さん
2026/06/22 19:00:03
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from: 庵主さん
2026/06/22 11:39:06
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2026年6月『現代語訳 梁塵秘抄』発刊
【言の葉庵】水野聡訳による、古典翻訳シリーズ最新作『現代語訳 梁塵秘抄』がPHP研究所より発刊されました。


・書名 現代語訳 梁塵秘抄
・編・訳 後白河法皇編纂、水野 聡訳
・価格 2,145円(税込)/1,950円(本体価格)
・出版社 PHP研究所
・発売日 2026年6月17日
・本文ページ 208ページ
・判型 四六判並製
・ISBN 978-4-569-86121-0
●PHP研究所 ホームページ
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-86121-0
●AMAZON ホームページ
https://x.gd/m6iog
梁塵秘抄は、平安時代末頃、後白河法皇自らが編纂した今様の歌謡集である。
今様は当時の流行歌謡で、上は皇族・貴族から、下は遊女や傀儡、農民、漁師にいたるまで、あらゆる階層の人にもてはやされた。その歌の内容も、神仏鑽仰をはじめとして、恋歌、親子の情、出世願望、博奕、労働歌、衣装の流行、わらべ歌、虫の歌、名所めぐりなど、実にさまざまである。どの歌にも作者の等身大の思いが込められ、千年経っても人の心は変わらない、と実感させらる。むしろ現代の流行歌よりも、感受性、想像力、創造力では、より豊かなのでは......とさえ思う。知恵や共感力、ユーモアは決して古くはならないからだ。
本書は、梁塵秘抄より百首を選び、それぞれに〔原文〕〔現代語訳〕〔鑑賞ポイント〕を付した。原文の良さが失われぬよう、かつ自然な現代語としてスラスラと読めるよう、工夫を凝らした現代語・新訳として提供する。
梁塵秘抄 巻第一 長歌/古柳/今様/ 梁塵秘抄 巻第二 法門歌仏歌/法門歌雑法文歌/四句神歌 神分/四句神歌 仏歌/四句神歌 僧歌/四句神歌 霊験所歌/梁塵秘抄口伝集 巻第一 梁塵秘抄口伝集 巻第二 までを収録。
口伝集では、後白河法皇がどのように今様に傾倒し、どのように習い、集めたのか、ひとりの人間としての情熱が生き生きと立ち上がる。
遊びをせんとや生まれけむ――『現代語訳 梁塵秘抄』は、今様を通して中世の人々の深遠な「人生観」に迫る一冊である。
(AMAZON商品ページのPHP研究所 書籍案内文より)
「今様」とは直訳すれば「現代風」、すなわち流行歌謡のことです。
千年前に貴賤問わず大流行した今様は、鎌倉以降衰退し、ほとんどどのよう歌われたのか現代では不明となってしまいました。しかし法皇の高貴な身分でありながら、この今様を熱烈に愛したのが、後白河法皇です。
今様の担い手である傀儡女や遊女等と交わり、自ら歌唱を習得し、秘伝を相伝されます。そして当時民間に愛唱されていた多くの今様を収集し、自ら編纂したのが『梁塵秘抄』です。現在、残されたのはそのごく一部のみですが、全二十巻5000首以上収録されていたとも考えられており、もしも全巻現存すれば、万葉集にならぶ堂々たる歌謡集となっていたはずです。
今も折々に口ずさまれる「遊びをせんとや生まれけむ」、「我が子は二十に成りぬらん」、「舞へ舞へ蝸牛(かたつぶり)舞はぬものならば」、「仏は常にいませども」などの高名な今様歌が、どのような節と囃子で実際に奏され、白拍子がどのように美しく舞ったのか、と想像すると、平安時代の流行への興味は尽きません。
「詩を作り、和歌を詠み、書をものする人々は、それを書き留めれば、後の世までも朽ちはしない。歌唱の悲しさは、自分が死んだ後、残らないということである。それゆえ、われ亡き跡に後の人々に見てもらうため、これまでなかった今様の口伝を作り遺した」
と、後白河法皇は別伝である梁塵秘抄口伝集で述懐しています。
帝王がなにゆえ、庶民の流行歌にかほど耽溺したか、その秘密を探り当てるため、梁塵秘抄より珠玉の今様歌を百首よりすぐり、それぞれに意味はもちろん拍や調子も考慮した現代語訳と、時代や文化的背景を案内した鑑賞ポイントもセットで収録しました。
平安時代の人々の息遣いを間近で感じていただけたら、と思います。
(訳者 水野聡)サークルで活動するには参加が必要です。
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from: もずやさん
2026/05/05 16:56:20
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from: 庵主さん
2026/03/11 18:27:25
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日本文化のキーワード 第十二回 「縁」

「良縁に恵まれる」「ご縁がなかった」「縁を切る/結ぶ」...。
ぼくたちが漠然と、運や出会いのようなものと考えている「縁」。今回の日本文化のキーワードでは、「縁」について歴史や仏教思想からひもといていきたい思います。
1. 縁の定義
・由来
縁という漢字は、糸篇に彖(タン)という音符から成り立っています。もともとは織物の「ふち」を意味していた言葉で、そこから転じて、「よる」という意味をもつようになりました。
・読み方:
音読み: エン
訓読み: ふち、へり、よる、えにし、ゆかり、よすが(寄す処の意から)
・意味
(1) つながり・関係性
人と人、物と物、事と事の間の関連性を指します。偶然や必然、見えない力による結びつきを表すことが多いです。
(2) きっかけ
物事が始まる原因や理由、機会を意味します。
(3) 物の端・へり
物の周りの部分や境界線を指します。例えば、「縁側」や「皿の縁」などです。
・ことわざ
金の切れ目が縁の切れ目
釣り合わぬは不縁の基
躓く石も縁の端
袖振り合うも他生の縁
縁は異なもの
縁と月日の末を待て
一樹の陰一河の流れも他生の縁
木に縁りて魚を求む
縁は異なもの味なもの
縁の下の舞
縁なき衆生は度し難し
縁の下の力持ち
2. 仏教の「縁」
さて以上は、辞書にみられる一般的な語義ですが、ぼくたちが普段感じている「ご縁」の定義は仏教由来のものが多いのです。
仏教における「縁」とは、物事が生じるための間接的な条件やきっかけを指す言葉です。すべての現象は、直接的な原因である「因」と、それを助ける「縁」が合わさって結果として現れるという「因縁生起(いんねんしょうき)→略語が縁起」という考え方が根底にあります。
・因と縁
(1) 因と縁の関係
結果(果)が生じるには、種(因)だけでなく、水や光のような助けとなる条件(縁)が必要です。
例えば、あなたの成功は、才能(因)だけでなく、指導者や仲間、環境(縁)があって初めて成り立ちます。
(2) 縁の広がり
「縁」は人とのつながりだけでなく、すべての物事のつながりにも使われる東洋的な考え方です。
私たちが今存在していることも、両親という「因」と、空気、水、食べ物、そし多くの出会いや出来事という「縁」の集合体であるとされます。
私たちの人生は、無限の縁の網目に支えられていると考えることもできるのです。
・人と縁
人には縁の深い人と浅い人がいます。
愛する人だけでなく、苦手な人や敵対する人も、実は深い縁で結ばれているとされます。
「袖触れ合うも他生の縁」ということわざがあるように、偶然の出会いも、過去からの深い縁があると考えられています。
・縁への気づき
私たちは多くの縁に恵まれていながら、それに気づいていないことが多いかもしれません。特定の人や事柄に執着しすぎると、身近な新しい縁に気づけなくなる可能性もあります。
「良い縁」「悪い縁」と区別するのではなく、自分を取り巻くすべての事柄が「縁」そのものであると理解することが大切です。
・釈迦の縁
仏教の根本的な教えである「縁起」も、「因縁生起」の略であり、すべての物事には原因があり、つながりがあるという考え方です。
(1) 縁起の思想
お釈迦様が悟りを開かれた内容の一つであり、この世の現象は原因や条件が相互に関係し合って生まれるという真理です。すべての存在が互いに関わり合って存在していることを示します。
(2) 十二因縁
人間の苦しみや迷いの原因を12の段階で追究した釈迦仏の基本的な教えです。無明(根本的な無知)がすべての苦悩の根本原因となり、それが次の段階の縁となって次々と繋がっていくとされます。
3. 歎異抄の縁
それでは歴史上の偉人たちが、「縁」をどのようにとらえていたかを、以下にその著書・言葉からご紹介していきましょう。まずは、親鸞の『歎異抄』から「業縁」がどのように抗いがたく人を動かすかを見てみたいと思います。
第十三条
故親鸞聖人は、
「兎や羊の毛先についた塵のような罪も、宿業によらないものはありません」
と、おっしゃいました。
またある時聖人が、
「唯円房は、私のいうことを信じますか」
と、おっしゃったので、
「信じております」
と、お答えしたところ、
「それでは、私のいうことに違うことはあるまいな」
と、念をおされました。慎んでうけたまわりますと、
「それでは人を千人殺してほしい。しかればおまえの往生は決定しましょう」
と、おっしゃったのです。
「仰せではございますが、わたくしの器量では千人はおろか、ひとりの人も殺せようとはとても思えません」
「ならばなぜ、親鸞のいうことに違わない、といったのですか」
「これでわかるはずです。
なにごともわが心のままになるのであれば、往生のために千人殺せ、といわれればためらわずに殺せましょう。しかし、たったひとりでも、殺す業縁※がなければ殺すことはできません。
自らの良心に従って殺さないのではなく、また、殺すまい、と思っても百人、千人の人をも殺してしまうものなのです」
と、おっしゃられたのは、私たちが自らの良心を良いと思い、悪心を悪いと思って、本願の不思議によって救われることを弁えていないからなのです。
(『現代語訳 歎異抄』親鸞(唯円著)水野聡訳 PHPエディターズ・グループ 2008)
※業縁とは
「業」とは私たちの生活行為のことです。身体的動作や言語活動や意思のはたらきをいいます。そして、それはすべて縁に随って起こっているので「業縁」といいます。さまざまな行為が縁のなかにあるのですから、私たちのことを「業縁的存在」といいます。
(宮本亮環(新潟県 榮恩寺)ラジオ東本願寺の時間より)
4. 世阿弥の「因果」
因とその結果である果について、世阿弥は「因果の花」という秘伝を『風姿花伝』で説きました。因と果を結び付ける縁を、ここでは「時の運」、「男時・女時」とたとえ、舞台の成否の謎を解明しようとしています。同書より、以下本文を抜粋してご案内します。
因果の花 (第七別紙口伝)
一. 因果の花を知ることすなわち極意である。すべてのものみな因果である。初心からの芸能の数々は因である。能を極め、名を得ることは果である。されば稽古にあたる因をおろそかにすれば、果を得ることは難しい。これをよくよくわきまえること。
また時の運とは恐るべきもの。去年、盛りであれば、今年花がないことを悟るべし。時には男時、女時というものがある。どのようにしても能にはよい時があれば、必ずまた悪い時もある。これは人智の及ばぬ因果というものだ。これを心得て、さほど重要ではない申楽の立合い勝負に、あまり主張も立てず骨も折らず勝負に負けようとも心にかけず、手も束ねて、少な少なと能をする。観客もこれはどうしたことかと興醒めでいる所へ、大事の申楽の当日、やり方を変え十八番の能を、精一杯力を入れてやって見せるのだ。これで観客に意外の気持ちが生まれ肝要の立ち合い、大事の勝負に必ず勝てるというわけだ。これが珍しさの大きな効果である。前回悪かったという因果が、今度はよい方に廻るのだ。
さて男時、女時とはすべての勝負に必ずどちらか一方が色めいて、いい感じになるときがある。これを男時と心得る。勝負の回数が多く長くなれば、双方へ移り変わり、移り変わりするものである。ものの本には「勝負神といって勝つ神様、負ける神様それぞれがご自分の勝つ部屋、負ける部屋を定め守っておられる。弓矢の道ではこれを第一の秘事となす」とある。敵方の申楽がよく出で来れば、勝つ神様はあちらにいらっしゃると心得、まず畏まるべきだ。これは時の間の因果を司る二神にてましませば、双方へ移り変わり、移り変わりなさるのである。
(『現代語訳 風姿花伝』水野聡訳 PHPエディターズ・グループ 2005年)
5. 親子は一世 夫婦は二世
「親子は一世、夫婦は二世」ということわざがあります。これは人と人とのご縁、つながりの深さを表したもの。親子は現世だけのつながりのため一世、夫婦は前世と今生、あるいは今生と来世にわたる二世の縁で結ばれている、とする信仰です。
そもそも血縁のない夫婦が、親子よりも深い縁でつながっている、とみたのは、他人ゆえより深く信頼し、互いに支えあう長きにわたる関係からきたものかもしれません。中国やアジアの「赤い糸伝説」も同様の民間伝承です。
さてこの「夫婦二世」の強いきずなは人間だけではなく、鳥類にもみられるという逸話があります。ある寺で起きたキジの夫婦の悲しい物語です。
以下、臨黄ネットホームページのブログよりご紹介します。
・キジの儀式
先頃、『朝日新聞』の「こころ」の欄 (昭和62年3月25日夕刊)に千葉県仏母寺の住職、安井玉峰さんの随筆が紹介されていました。
「ある日、お寺の壁にドスンと雄のキジがぶつかり、ひん死の重傷を負ってしまいました。キジの雌がコーコーと鳴いて雄の周りを回っているんです。雄は必死に首を上げようとするんですが、ついに力尽きてしまいました。
痛ましさに胸がいっぱいになり、キジのそばにしゃがみ込みました。が、あんなに警戒心の強い雌キジが、今はもう私のことなど意識になく彼の周りを回っています。そのうち彼女は彼のくちばしの付け根を軽くコツコツとつつき始めました。
コーコー。「起きなさい」といわんばかりです。それでも、なんの反応もないと、こんどはトサカやほおの毛をくちばしでくわえて持ち上げようとするではありませんか。
が、黒いひとみは閉じられたままです。ついに、彼女は彼の体に駆かけ上がり、必死にコーコーと鳴きながら、ひとしきり激しく頭をくわえてひっぱりました。キジの情愛とはこれほどのものかと、彼女の姿が涙で見えなくなりました。
......彼女はやっと事の次第を納得したのか、離れては近寄り、それを数回繰り返して、去って行きました。放心して見つめる私が、なきがらを始末してやろうとすると、彼女が戻って来たのです。3メートルほど離れてじっとこちらを見ています。
と、今度は決心したかのように、彼のそばにつかつかと力強い足取りで近づき、二度、三度、彼のくちばしをつつき、声も出さず、振り返りもせず、去って行き、戻ってきませんでした。
...この夫婦は今生の別離をしたのです。はかなかった、短い一生の...。彼女は真心をささげて、別れのあいさつをしたのです。命がけで」
(臨黄ネット「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 (唐詩選)」2005.04.01)
https://rinnou.net/language/619/
■言の葉庵HP【日本文化のキーワード】バックナンバーリンク
第十一回 読み人知らず
http://kotonohaan.cocolog-nifty.com/blog/2024/08/index.html
第十回 鬼
https://blog.goo.ne.jp/kotonoha-anshu/e/56b63fb1822682dcb79c04bc6c67803c
第九回 歌 ~古今和歌集 仮名序にみる和歌の世界
http://nobunsha.jp/blog/post_233.html
第八回 仕舞い
http://nobunsha.jp/blog/post_224.html
第七回 間
http://nobunsha.jp/blog/post_206.html
2017年02月25日
第六回 切腹
http://nobunsha.jp/blog/post_135.html
2013年01月21日 16:00
第五回 位
http://nobunsha.jp/blog/post_122.html
第四回 さび
http://nobunsha.jp/blog/post_92.html
第三回 幽玄
http://nobunsha.jp/blog/post_50.html
第二回 風狂
http://nobunsha.jp/blog/post_46.html
第一回 もののあはれ
http://nobunsha.jp/blog/post_42.html
※「侘び」については以下別稿参照
[目利きと目利かず 第三回]
http://nobunsha.jp/blog/post_25.html
[目利きと目利かず 第四回]
http://nobunsha.jp/blog/post_28.htmlサークルで活動するには参加が必要です。
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from: 庵主さん
2025/12/31 18:35:58
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【日本語ジャングル】 日本人はなぜ“コツコツ”が好きなのか。

【言の葉庵】メールマガジン(まぐまぐ)専用コンテンツ、「日本語ジャングル」。これまで、オフィシャルブログ【言の葉庵】では定期的に発信していませんでした。
今回より、まぐまぐメールマガジン以外でも、言の葉庵各姉妹ブログでご紹介していくこととしました。
これまで、日本語に関連する「いろは歌」「五七調」「敬語」「辞世の句」「標準語」「役割語(造語)」などのテーマにて展開してきました。
今回は、日本人が昔より教育・啓蒙の指針として好んできた、いわゆる"コツコツ系"のことわざ・故事成語・慣用句にハイライトを当てて、その起源・由来・意味内容などを探っていきたいと思います。
まずは、現代日本から始め、徐々に歴史をさかのぼって、最後は古代中国へとタイムマシンでご案内していきましょう。
さて、まず"コツコツ系"成語の定義ですが、条件は2つあります。
一つ目は小さなことをコツコツと努力すること。そして2つ目は、それを長期的に継続すること。この2つが合わさって、はじめて大きな成果へとつながっていくのです。
教育や成長、自己実現はすべてここから始まります。地球や自然などマクロな視点からはSDG'sの実践ともいえるでしょう。
最初は現代日本から。イチロー選手のコツコツ系名言をご紹介します。
1.小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただ一つの道。
(2004年、メジャーリーグ年間安打記録を破った際の記者会見より)
誰にも真似のできない偉業を達成した、イチロー選手ならではの説得力に富む名言だと思います。
次に、ぼくたちが日常的に耳にする現代の慣用句をいくつか見てみましょう。
2.塵も積もれば山となる
3.石の上にも三年
4.継続は力なり
まず疑問に思うのが、コツコツと努力を続けるのが、一体どのくらいの期間か、というもの。それは目指す目標や成果によるのですが、ことわざ、慣用句として「石の上にも三年」が定着していますね。忍耐の限度の目安としたものですが、三年間我慢しても一向に先が見えぬ場合、そこでいったん再考するというのは人間に与えられた人生の残り時間を考えると、「ほどよい」のかもしれません。
次は、江戸時代末の二宮尊徳の至言です。
5.積小為大 (せきしょういだい)
(『報徳記』富田高慶著)巻第一の「小を積めば、則ち大と為る」より。
二宮尊徳は金次郎の通称で知られた江戸末期の農政改革家。貧しい農家より身を起こし、少年期に川の氾濫によって、家も田畑もすべて失います。が、ある時捨てられた苗を開墾した荒地に作付けしたところ、秋には一俵の籾を収穫したと伝えます。ここから尊徳の仕法の根幹を為す「積小為大」の思想が生まれました。コツコツと村から村へと農政指導(仕法)を続け、生涯に北関東と東北の廃村600ヵ村を復興再生させたのです。
次は、中国漢代の故事成語です。
6.点滴穿石 (てんてきせんせき)
(『漢書』枚乗伝)
(読み下し文)
書の上りて呉王を諌む「太山の霤は石を穿つ」
(しょのたてまつりて、ごおうをいさむ。たいざんのりゅうはいしをうがつ)
霤は、雨だれ、またはしたたりのことです。
太山は、中国山東省にある標高1,545mの名山「泰山」の異表記。古くから信仰の対象とされ、歴代の皇帝が国家統一を天に報告する「封禅の儀」を行った聖地として知られています。
ぽとりぽとりとしたたる山の水滴が、何十年、何百年とかけて、ついには巨石にも穴を穿つ、という意味。出典は『漢書』枚乗伝です。呉王を家臣が諫めた書からの言葉ですが、これは謀反を企む王を抑止するためのたとえで、小さな悪事もやがて大きな災いを招く、という意味です。他の慣用句や成語とは異なり、小さな積み重ねを否定的に表現したところがこの句の特徴です。
さて古来、小さいこと、わずかなことの比喩として「毛」という言葉が中国、そして日本で使用されてきました。たとえば「毛ほど」は、文字通り「毛の先ほど」のわずかな量を指します。非常に小さいこと、些細なことを表現する際に用いられました。
・使用例
「毛ほども疑わない」:全く疑わない
「毛ほども知らない」:全く知らない
「毛ほども考えていない」:全く考えていない
この「毛」は度量衡でも単位として用いられますが、長さでいえば一毛は約0.03mm、重量では一毛が3.75mgに相当します。吹けば飛ぶほどの微細な存在です。
自分自身をこの吹けば飛ぶような軽くて、小さな存在として表現したのが、中国前漢の歴史家、『史記』の作者である司馬遷です。その書簡の中で使用した「九牛の一毛」が故事成語として広く知られています。
7.九牛の一毛(きゅうぎゅうのいちもう)
(白文)
假令僕伏法受誅 若九牛亡一毛 與螻螘何異 而世又不與能死節者比
(読み下し文)
假令僕の法に伏し誅を受くるも、九牛の一毛を亡なふが若し、螻螘となんぞ異なる。
而して、世も又能く節に死せる者と比さず。
(現代語訳)
もしも私が、法に従って罰せられたとしても、多くの牛の中から一本の毛を失ったようなもので、虫けらみたいなものです。結局、世間も節を守って死んだものと比べもしないでしょう。
(司馬遷 報任少卿書(『漢書司馬遷伝』『文選』所録)
司馬遷は、友である李陵を弁護したため武帝の怒りに触れ、宮刑に処されました。当人にとっては死にまさる恥辱だったのですが、世間は些事としか思っていないであろうと自らを突き放して書いたもの。九牛とは多くの牛の意味。一毛とは、その多数の牛の中、一頭の牛の毛一本という意味。ここからわざわざ取り上げる価値や、重要視する必要がないような些事を「九牛の一毛」と言い表したのです。
しかし司馬遷はこの苦難を乗り越え、ついに家の悲願である歴史書、『史記』を成しました。
8.千里の道も一歩から
『老子』第64章
(白文)
合抱之木、生於毫末、九層之臺、起於累土、千里之行、始於足下。
(読み下し文)
合抱(ごうほう)の木も毫末(ごうまつ)より生じ、九層の台も累土(るいど)より起こり、千里の行(こう)も足下(そっか)より始まる。
(現代語訳)
一抱えもある大木も毛先ほどの芽から生まれ、大きな建物も土台を盛ることから始め、千里の道のりも足下の一歩から始まる。
「毫」はもともと毛の意味で、日本の「毛」と同様に非常に小さな単位を表します。長さでいえば一毫は約0.03mm。一毛と同じです。よって前句の毫末は毛先一本ほどの新芽から、巨木が成長する。つまりそれを後句の足下(一歩)と千里とに対比させて、非常に些末なものを積み重ねることで偉大なものが成り立つ、というたとえとなっているのです。
9. 山の一毛をも毀つ能わ不らん
『列子』湯問篇:「愚公山を移す」より
列子は、戦国時代(紀元前5世紀 - 紀元前221年)の鄭の道家思想家、列禦寇(れつぎょこう)のこと。その書を『列子』といいます。『漢書』芸文志には列子について、「荘子に先立ち、荘子これを称う」(荘子の前の時代の人で、荘子は列子を称賛した)とあることから、道家では「老子→列子→荘子」という系譜になっています。
『列子』は『荘子』と同じく、道家の深い真理をわかりやすい民間のたとえ話として構成しており、この「愚公山を移す」の段落も、コツコツ系の代表的な寓話となっています。二つの高山に家をはさまれ、往来をふさがれ困り果てていた90歳の愚かな老人。しかし一念発起し、家族と力を合わせてこれらの山を自分たちで取り除こうとした途方もない逸話です。
まずは、読み下し文と現代語訳にてご案内しましょう。
(読み下し文)
太形、王屋二山は、方七百里、高万仭。本は冀州之南と、河陽之北に在り。北山の愚公なる者、年且(まさ)に九十、山に面し而居る。山北之塞、出入之迂に懲りる也。室を聚め而謀りて曰く、「吾与汝力を畢して険しきを平らげ、指して予南に通じ、漢陰にとどかん。可なる乎」と。雑然として相い許す。其の妻、疑いを献(さしはさん)で曰く、「君之力を以て、曽ち魁父之丘も損つ能わ不らん。太形、王屋の如きは何なるか。且つ、焉んぞ土石を置(す)てん」と。雑(うから)曰く、「諸を渤海之尾、隠土之北に投げん」と。遂に子孫を率いて荷を担える者三夫、石を叩き壌(つち)を墾(ひら)き、箕畚(キホン)もて渤海之尾に運ぶ。隣人の京城氏之孀妻(やもめ)に、遺せる男有り。始めて齓(かけば)なるも、跳びて往きて之を助く。寒暑節(とき)を易え、始めて一たび反りたり。河曲の智叟、笑い而之を止めて曰く、「甚しきかな汝之恵まれ不る。残せる年の余力を以て、曽ち山之一毛をも毀つ能わ不らん。其れ土石の如きや何とせん」と。北山の愚公長く息して曰く、「汝心之固なる、固さる可から不。曽ち孀妻のおさなき子にも若か不。我死に之くと雖も、子の存有り焉(なん)。子又孫を生み、孫又子を生み、子又子有り、子又孫有り、子子孫孫、匱(つ)き窮(きわま)る无き也。而るに山増すを加え不、いかんぞ而て平なら不らんや」と。河曲の智叟、以て応うる亡し。操蛇之神之を聞きて、其の已ま不るを懼るる也、之を帝に告ぐ。帝其の誠に感じ、夸蛾氏(コガシ)の二子に命じて二山を負い、一を朔東にうつし、一を雍南に厝せしむ。此れ自り冀之南、漢之陰、隴(おか)の断(けわし)き无くなりぬ。
(現代語訳)
太行山と王屋山の二つの山は、七百里四方で、高さが一万仭。もとは冀州の南、河陽の北にあった山である。
北山の愚公は当時、九十歳になろうとしていた。太行と王屋、二つの山の南に住んでいたため、険しい山で北側をふさがれ、往来に大きく迂回しなければならないことに悩んでいた。
そこで愚公は一族を集めて、相談したのである。
「みなで力を合わせて山を平らにし、予州の南へと道路をつくる。そして漢水の南岸まで道を通したいと思うが、どうだろう」。
一族はみなもっともだとして、賛成する。しかし、愚公の妻は疑っていう。
「あなたの力では、小さな丘でさえも崩すことはできません。ましてや太行、王屋のような大きな山をどうすることができましょうか。その上、山を崩した土はどこに捨てるのですか」。
みなは、「崩した土は渤海の端や、隠土の北の方に捨てましょう」といった。
ついに愚公は、子や孫たちを引き連れ、土や石を運ぶ者三人で、石を打ち砕き、土地を切り開き、箕(み)やもっこを使ってそれらを渤海の端の方へまで運んでいったのだ。
愚公の隣人である京城氏の未亡人に子がいて、ようやく歯が抜け替わるぐらいの年齢になっていた。その子も喜び勇んで手伝ってくれた。冬が過ぎ、夏が去って、みなはいったん家に帰ることにした。
黄河のほとりに住む利口な老人が、あざ笑っていった。
「あんたの愚かさはどうしようもないな。老い先短い身では、山の土1ミリさえ取り除くことはできまい。ましてや、あれらの土石をどうすることができよう」。
愚公は深くため息をついて、
「あんたの頭の固さこそ、なんとしたことか。あの未亡人の幼子にも劣るぞよ。
たとえわしが死んだとしても、子は残る。その子はさらに孫を生み、孫はまた子を生む。
その子にはまた子ができ、子にはまた孫が。と、子子孫孫、尽き果てることはない。
一方、山の方は今後増えることも高くなることもない。どうして平らにならぬことがあろうか」
といった。黄河の利口な老人は、返す言葉もなかった。
山の神はこの話を聞き、愚公が山を崩してしまうのではないかと心配し、天帝に報告した。
天帝は愚公の誠に感じ、怪力の神である夸蛾氏の二人の子神に命じて、太行と王屋の二つの山をそれぞれ背負わせて、一つは朔北の東部に移し、もう一つは雍州の南部に移させたという。
こうして、冀州の南から漢水の南側にかけて、険しい山はなくなったのである。
(現代語訳 水野聡 2025年12月)
逸話のあらすじ:
物語の主人公の愚公は固有の人名ではなく、愚かな老人の意です。同様に智叟も名前ではなく、賢い老人という類型名です。
山に囲まれた愚公が、邪魔な二つの山を子や孫とともに切り崩そうとある日決心します。それを見た智叟が「お前のような老いぼれに、どうしてこのような大きな山を崩せるものか」と笑う。しかし愚公は「わしが死んでも子があり、子が死んでも孫がいる。子々孫々と代を重ねれば、いつか必ず山は平らになる」と答えました。この愚公の決意を聞いた神(天帝)が彼を哀れに思い、一夜にして山を動かしたという話です。
意味の転換:
「山の一毛をも毀つ能わ不らん」は、老人には大山のほんの1ミリさえ崩すことはできまい、と愚公の無力さ否定する意味合いで使われています。しかし、これが子々孫々と時を経て、一毛(わずかなこと)が原因で、大山(大きなもの)さえ崩すことができるという、正反対の教訓的な意味合いを持つ成語へと変化したものと考えられるのです。
まさに「コツコツ系」の信念と誠意が山をも動かした、というのが同話の核心でしょう。
道家思想の背景:
コツコツ系と聞けば、ぼくたちは勤勉さを奨励する儒教的な思想を想像するものです。が、「8.千里の道も一歩」は老子、「9. 山の一毛をも毀つ」は列子。ともに道家の思想から生まれた成語です。
道家の思想は、「道」や「無為自然」など、人間と宇宙(自然)との合一(調和)を説きます。愚公の物語も、大きな自然(山)とちっぽけな人間の関係を描いたもの。愚公が「子々孫々」と語るように、道家思想には悠久の時間の中で物事が刻々と変化していくという壮大な時間の概念があります。この永遠にも等しい長い時間の中では、たとえ目に見えぬほどの微小な存在であっても、それが代々積み重なり、影響を及ぼすことにより、とてつもなく大きなものへと変化生成していくことが可能です。
コツコツと愚公の一族が何十世代にもわたって山を平らにしたのであれば、儒教的な教訓説話となるのですが、『列子』では、天帝と山の神が一夜にして2つの山を移動してしまいます。人間も困るが、崩されてしまっては山も困るからです。古代の神々が直接人間と接する道教的な結末となっており、そこがコツコツ系を生真面目に説教する思想哲学ではなく、民衆に面白おかしく受け入れられてきた老荘哲学の寓話の底力ではないでしょうか。サークルで活動するには参加が必要です。
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