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  • from: 庵主さん

    2010年07月23日 08時19分07秒

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    奥の細道行脚。第十六回「等栽」

    【おくのほそ道】

    等栽(とうさい)

     福井 まで三里ほどというので、夕飯をしたためて宿を出たものの黄昏の路
    に足元はおぼつかぬ。ここに等栽 という古なじみの隠士がいる。いつの年で
    あったか、江戸に来て私を訪ねてくれた。かれこれ十年以上も前のこと。い
    かに老いさらばえて しまったものか、はたまた亡くなってしまったのでは、
    と人に尋ねれば、まだ生きており、どこそこにいると教える。市中ひそかに
    引き込んで、みすぼらしい小家に、夕顔、へちまが茂ってかかり、鶏頭、箒
    木が戸口を覆い隠す。さてはこの家にこそと門を叩くと、わびしげな女が出
    てきて、
    「どちらからいらっしゃった道心のお坊さんでしょうか 。あるじは近所のな
    にがしというもののところに出かけています。ご用がございましたら直接お訪
    ねになってください」
     という。等栽の妻とわかる。まるでいにしえの物語のような風情かな、とす
    ぐに訪ねあてる。その家に二晩泊まって、名月 は敦賀の湊に、と旅立った。
    等栽、ごいっしょにお送りしましょう、と着物の裾奇妙にからげ、これぞ旅路
    の枝折とうかれ立つ。


    【奥細道菅菰抄】
    福井まで三里ほどというので(中略)黄昏の路に足元はおぼつかぬ

    福井は、越前の城下で都会の地である。
    黄昏は日の暮れかかる時をいう。和訓の意味は、日の暮れかかる時、物の影確
    かに見えず、人を見ても「たれか」、「かれか」、とわからぬおぼろげなさま
    をいう。

    ここに等栽という古なじみの隠士がいる(中略)いかに老いさらばえてしまった
    ものか

     等栽は、もと連歌師。福井の桜井元輔という者の弟子で、等栽は連歌名であ
    る。俳名は、茄景というとか。元輔は宗祇の門人で、「さてはあの月が啼たか
    ほととぎす」という句を詠んだ者と言い伝える。
    隠士は隠者というのと同じ。士は『玉篇』に、「古今に通じ、然らざるを弁ず
    る。これを士という。数は一に始まり、十に終わる。孔子のいわく。一を推し
    て十に合わするを士という」とある。つまり、才芸などのある者を、あまねく
    士といったものと思う。(日本で俗に、士の字をさぶらひと訓じて、武士に限る
    ように見なすのは、和訓の偏った読み方による誤りである)

    老いさらばえては、『徒然草』に、「むく犬の老さらぼひて」とある。註に荘
    子を引用し、髐の字を「さらぼひ」と読ませている。痩せて縮んだ様子である、
    という。俊成の歌に、「山陰に老さらぼえる犬ざくら追はなたれてとふ人もな
    し」と詠む。

    道心のお坊さんでしょうか

    道心は、元は心に道徳のあることをいった。出家には限らぬ。後世には、ただ
    賤しい僧をさす名のみとされた。むろん、これも仏道執心の意味では、根拠の
    ない話ではない。

    坊は、防と同じ。つつみ、と訓ず。(土手のこと)ゆえに、これを借りて、長く
    続いた家居の名とする。(長屋などの類)僧の坊号は、衆寮より来ている。(こ
    れもまた、長く建ち並んだ家のことで、一の坊二の坊などという)中国で市井
    を坊と呼ぶのも、また店が長く建て続いているためである。○現在、隠者など
    の別号に、坊の字を用いるのは、ひどい誤りである。せめて房の字を使っても
    らいたい。房は、閨房と連用して、閨(ねや)などの形態なので、庵号の意味に
    用いてもあながち間違いとはいえぬ。坊号は、何町、何長屋というようなもの。
    独居一屋の称には使えない。

    名月は敦賀の湊に、と旅立った(中略)旅路の枝折とうかれ立つ

    名月は、林道春徒然草の註に、「八月十五夜の月を賞玩すること、おおよそ李
    氏唐朝より盛んとなった。古楽府の孀娥怨曲は、漢人が中秋の月が出ぬゆえ作
    る、とあるので、漢の世にも楽しんだのであろうか」という。また、欧陽?、
    翫月詩の序文に、「八月十五夜のことをいう」とある。(長文ゆえここに記さ
    ず)古今、月を愛でる詩歌は枚挙にいとまがない。

    つるがは、元角鹿(つぬか)と書いた。以下、言い伝え。「崇神天皇六十五年、
    任那(みまな)の人来る。その人、額に角あり。越前笥飯の浦にいたって居るこ
    と三年。ゆえにその処を角鹿と名づく」という。今は、敦賀と書く。笥飯も今
    気比とする。海を気比の海と呼ぶ。(敦賀はすなわち敦賀郡の浦で、けいは、
    つるがの古名である。古歌が多い)越前の大湊で、若州小浜侯の領地である。
    『方角抄』、「我をのみ思ひつるがの浦ならば帰る野山はまどはざらまし」。
    『万葉集』、「気比の海よそにはあらじ蘆の葉のみだれて見ゆるあまのつり
    舟」。(気比の名のことは下にくわしい)

    枝折は、刊・栞等の文字を用いる。『尚書』の益稷に、「山に随って木を刮
    す。禹貢、山に随って木を栞す。周伯温がいわく、行うところの材木に、そ
    の枝を斫り、道の識しと為すという也」と。これは、迷いそうな道の傍らの
    木を押し削り、あるいは枝を折って、地面に立てるなどして、後から来た人
    の道しるべとすることで、日本では普通、これをしをりとも(しをりは枝折り
    )、たつきともいい(たつきは立木)、歌に、たつきもしらぬ、と詠んでいるも
    のである。現在、通行人の迷いそうな道の傍らの木の枝に、紙などを結び付
    けておくのが、この遺風。しをりの歌は、前段むやむやの関の解説にある。
    また、「みよしのの去年のしをりの道かえてまだ見ぬかたの花をたづねん」
    西行。

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