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  • from: 庵主さん

    2010年09月19日 21時28分58秒

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    戦国武将と茶の湯「信長」第五回

    ■信長の茶会

     『今井宗久茶湯抜書』によれば、元亀元年(1570)四月、宗久が信長の御前で利休の点前により薄茶を賜ったことがわかる。また『津田宗及茶湯日記』『信長公記』によると、天正元年以降信長は狩り集めた名物を用いてたびたび茶会を催している。
    以下に、天正元年11月妙覚寺にて開かれた信長茶会の様子を紹介する。
     朝会である。客に松井友閑、今井宗久、山上宗二が招かれた。千宗易が濃茶を点てる。席は、三日月葉茶壷の口切の茶事。飾りはその三日月を床に、牧渓遠浦帰帆図を掛け、蕪なしの花入には信長が生けた白梅が匂う。囲炉裏に鎖で鶴首の茶釜を吊り、大覚寺天目、作物茄子茶入などの名物がそろう。

    会席料理
    ●本膳
    雉焼鳥 鯛青なます 塩煮の鯛大汁 飯 蛸
    ●二膳
    ニシ壺焼き 鮭焼き物 鮒(またはウド) 鱈汁 桶に鮨(または冷汁?)
    ●三膳
    かまぼこ 雁汁 かわらけ(土器)に入った温めた酒 うけいり(魚のすり身を入れた澄まし汁。鯛のすり身味噌煮とも) 白鳥の汁 (酒肴として)うずら十羽を刻み一人前五十ほどで盛る
    ●菓子
    きんとん ざくろ キンカン くるみ 美濃串柿(干し柿) 昆布 むき栗 椎茸 揚げ物(カヤの実の油煎り)
    今井宗久の点前で薄茶を喫した信長は上々の機嫌であったという。


    ■茶道具の下賜

     信長は武功をあげた家臣に対して、茶の湯興行の許可と、そのしるしとして名物を下賜した。
    信長騎下で粉骨砕身の働きをした家臣にその名誉が与えられる。しかし終生願いのかなわぬ生え抜きの将もいた。


    1.秀吉の書状

     天正九年(1681)。中国地方の経絡に一区切りをつけて、安土城に戦況報告のため伺候した秀吉に、信長は褒美として茶の湯許可とともに八種の名物道具を与えた。すなわち、雀の絵、砧の花入、朝倉肩衝、大覚寺天目、尼崎の台、珠徳の竹の茶杓、鉄羽の火筋、高麗茶碗の品々である。
     本能寺の変の後、信長の三男信孝の家老へ宛てた書状の中で、秀吉はこの時の感激を素直に表白している。

    「上様、重々預御褒美御感状、其上、但州金山御茶湯道具以下迄取揃被下、御茶湯、雖御政道、我等は被免置、茶湯を可仕と被仰出候事、今生後世難忘存候。たれやの御人かゆるしものにさせらるへきと存出候へは、夜昼泪をうかめ、御一類之御事迄あたにも不存候事」『豊臣秀吉書状』

     上様からは、たびたびご褒美、ご感状をいただき、その上但馬金山の支配とお茶道具までをも取り揃え、下された。茶の湯はご政道により並みのものには許されぬが、われらへは特別に許可され、茶の湯つかまつれ、と仰せ下されたのである。今生後生とも忘れることが出来ようか。上様を置いて、誰がこのような恩恵を下されようか、と昼夜思い出しては涙にくれ、御一類のことをかりそめにもあだに思うことはない。

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