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  • from: 庵主さん

    2010年11月11日 19時49分22秒

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    能面・能装束入門 第六回

    ■能装束

    能に用いる扮装(ふんそう)の総称。狭義には演能用の布製品であるが、広義には演者が身につけるもので、能面を除くすべてをさし、烏帽子(えぼし)、冠、仮髪の類も含まれる。能では衣装とはいわず、かならず装束と呼称する。


    ・能装束の歴史

    世阿弥-禅竹の伝書『人形図』を見ると、室町時代の能装束は、日常の衣装の流用、リアルな扮装程度だったと推定される。『風姿花伝』には、女に扮する場合の注意として「いかにもいかにも袖の長き物を着て、手先をも見すべからず。帯などをも弱々とすべし」とあり、今日の装束・着付とはあきらかに様子が違う。

     このように初期の能装束は質素なものであった。室町時代末期から、貴族や権力者が鑑賞するようになったため、徐々に絢爛豪華になっていく。唐織などの豪華な能装束が製作されるようになったのは、室町末期から桃山時代にかけて。特に豪華絢爛をこのんだ豊臣秀吉以降、格段と能装束の華美化は進んだとされている。
    今日舞台でみる能装束の様式は、演出の固定化された江戸中期にほぼ完成された。現存最古の能装束は、観世宗家に伝わる足利義政拝領のもので、秀吉より下賜された法被をはじめ、江戸時代の徳川家、井伊家、細川家ほかの大名家所有の装束も多く保存されている。

    ・能装束の特徴

    能装束は第一級の日本の伝統工芸作品であり、その美術的価値も高い。能装束に用いられる技術は織物が主体で、それに刺繍(ししゅう)、箔(はく)押しが用いられ、染めはほとんど用いられず、後世の友禅(ゆうぜん)染めなどは、まったく能装束に導入されなかった。

    代表的な唐織は、金銀箔の糸を加えた豪華なもので、すべて織りで模様を浮き出してある。西陣織の技術の発達と、能を愛した大名たちの財力によるものである。

    男の役や強い神、鬼などの着る狩衣(かりぎぬ)、法被(はっぴ)、側次(そばつぎ)、半切(はんぎり)(半切(はんぎれ)とも)などは金襴(きんらん)や錦(にしき)が多用され、かつては中国からの輸入裂(ぎれ)が用いられた。

    有職(ゆうそく)の装束をそのまま流用したものに、貴人の指貫(さしぬき)や直衣(のうし)、男の平服としての素袍(すおう)、官女の着る緋長袴(ひのながばかま)がある。ごわごわした袴である大口(おおぐち)、腰に結んで前に垂らす腰帯(こしおび)、男の役にも女にも用いる長絹(ちょうけん)は有職の転化したものである。長絹や、能独特のデザインとされる舞衣(まいぎぬ)、あるいは単(ひとえ)狩衣、単法被には、絽地金襴(ろじきんらん)や顕文紗(けんもんしゃ)が用いられる。ダスターコート風の無地の外衣である水衣(みずごろも)も、能独特のものである。

    織り方で「しけ」「よれ」の区別があり、また縞(しま)物もある。金銀の箔で模様を摺(す)り出した摺箔(すりはく)、刺繍と箔で文様をつくる縫箔(ぬいはく)も、主として女性の役に用いる。摺箔の三角の鱗(うろこ)の連続模様は、鬼女の性を表す決まりになっている。

    なお、能の装束の絹に対し、狂言は麻を主材としている。足袋は能役者は白、狂言役者は薄い黄をはく。

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