新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

寺子屋 素読ノ会

寺子屋 素読ノ会>掲示板

公開 メンバー数:21人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: 庵主さん

    2010年12月06日 23時45分39秒

    icon

    茶人列伝 第五回「織部と遠州」

    利休なき後、天下の茶匠は古田織部、後に小堀遠州へと移っていきました。
    ともに利休茶をそのまま移すことなく、新しい時代を切り拓くべく独自の茶を創作した「作意」の人。
    今回は、織部・遠州の人となりをしのぶ逸話を拾いました。

    ■古田織部

     利休、各々昼の参会の席にて、
    「勢多の橋の擬法師(ぎぼし)(擬宝珠)の中に、形(なり)のみごとなるが二つ有り。見分くる人なきにや」
     とたかたる。
     その座に古織居られたるが、俄(にわか)に見えず。何(いず)れもあやしむ所に、晩方かえりまいられたれば、休、
    「何の御用候えつるぞ」
     といえば、
    「いや、別儀も候わず。彼のぎぼうし、試(ためし)に見分け申さんため、はや打ちにて勢多へ参り、只今かえり候也。さて、二つの擬法師は、東西のそこそこにてや候」
     と問われたれば、休、
    「いかにもそれにて候」
     と答う。一座の人々、古織の執心、ことに感じ申されき。

    〔ひとこと〕
    美を追求せずにはいられない業。それは、師にも弟子にもついには悲劇を招いてしまいました。たかが、ぎほしひとつ。つかれたように瀬田へ馬を疾走させる、夕闇の織部の姿に"数奇の鬼"をありありと感じさせる逸話です。

    ■小堀遠州

    雲山といえる肩衝、堺の人所持したるが、利休など招きて、はじめて茶の湯に出だしたれば、休、一向気に入らぬ躰(てい)也。亭主、客帰りて後、
    「当世、休が気にいらぬ茶入、面白からず」
     とて、五徳に擲(なげう)ち破(わ)りけるを、傍(かたわ)らに有りける知音の人もろうて帰り、手ずから継ぎて茶会を催し、ふたたび休にみせたれば、
    「是でこそ茶入見事なれ」
     とて、ことの外(ほか)称美(しょうび)す。よて此の趣き、もとの持ち主へいいやり、
    「茶入秘蔵せられよ」
     とて戻しぬ。その後、件の肩衝、丹後の太守※、値千金に御求め候て、むかしの継ぎ目、ところどころ合わざりけるを、
    「継ぎなおし候わんや」
     と小堀遠州へ相談候えば、遠州、
    「此の肩衝破れ候て、つぎめも合わぬにてこそ利休おもしろがり、名高くも聞こえ侍れ。かようの物は、そのままにて置くがよく候」
     と申されき。

    古織、全き茶碗はぬるき物とて、わざと欠きて用いられしことあり。

    ※丹後の太守 京極高広(慶長4年1599年〜延宝5年1677年) 丹後宮津藩の第ニ代藩主。

    〔ひとこと〕
    貴重な唐物名物を眉ひとつ動かすことなく、無慈悲に打ち割る、紹鴎、利休、織部。師から弟子へ、数奇の系譜がたどれる逸話です。しかし「当世、休が気にいらぬ茶入、面白からず」は、かの天正19年2月28日、美の終焉を予期させる不吉な予言ではなかったでしょうか。

    ■織部と遠州

    桑山左近、宗易へ露地のしつらいよういかが、と尋ね申され候時、

     樫の葉のもみぢぬからにちりつもる 奥山寺の道のさびしさ

    この古歌一首にて御得心候えとなり。

    附たり
    遠州公も、去る人のもとへ庭の心入れ是にて御合点候えと御つかはし候発句、

     夕月夜海すこしある木間かな

    古織は、山のあらわなるをきらいて、木間よりみゆるを、山に天井張りてよし、といわれしなり。遠州、古織の意にかなうものならし。

    〔ひとこと〕
    桑山左近と織部は、利休門下において犬猿の仲といわれる険悪な間柄。しかし、茶の湯の場では、こんな心温まるエピソードがあります。
    http://nobunsha.jp/blog/post_93.html

    茶庭に露地をしつらえ、たんなる庭を一期一会の精神的な修行の場とした利休。
    利休は露地石について「渡りを六分、景気を四分」とし、織部は「景気を六分、渡りを四分」としました。渡りは歩行、つまり機能性。景気は景色、美的風景。利休はあくまで機能に根ざす美を露地庭に追求した。織部は機能重視主義の「山のあらわなる」を嫌いました。てのひらにおさまり、点てやすく、また服のよい楽茶碗ではなく、茶の場を独特の存在感で支配する「へうげもの」の織部茶碗を創作したのです。そして、遠州は織部の美を受け継いだが、美のため腹を切ることは決してありませんでした。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件