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  • from: 庵主さん

    2015年09月18日 09時01分55秒

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    【名言名句 第五十三回】 不易流行。松尾芭蕉

    わび・さび、あるいは、かるみ・しおりなどと表される、松尾芭蕉の句風。
    今日に連綿と続く、芭蕉の俳句の基調となる俳諧理念として、「不易流行」ということばがあります。
    これは今日一般的に、以下のように定義されています。

    〔不易流行〕 ふえきりゅうこう

    俳論用語。「不易」は永遠不変、「流行」は刻々の変化の意で、両者は「風雅の誠」に基づく点で同一であるとする孝え方をいう。
    俳詣は不断に新しく変化してゆくところに不変の本質があるという文学観と、俳諧の永遠不変の価値は「風雅の誠」を追求する不断の自己脱皮から生まれるという実践論から成り立っている。元禄二年(1689)『おくのほそ道』の旅行後、同年冬から門人達に説いたもので、『俳諧問答』『去来抄』『三冊子』などに祖述されている。
    宇宙の根源的主宰者である「造化」の、不変の恒常的原理を「理」、万物創成の創造力を「気」、その本体を「誠」とする宋学の考え方に基づき、俳詣の本質と俳諧作者のあるべき姿について論じたもの。
    (『芭蕉ハンドブック』尾形仂 三省堂2002年2月)

    芭蕉は、不易流行を弟子に説き、門弟たちがそれぞれの見解を書き残しました。
    しかし芭蕉自身、自らこの四文字の成語を書物に遺すことはありませんでした。
    ただ、以下のような紀行文や随筆から、不易流行の思想を読み取ることはできるかもしれません。

    月日は百代の過客にして往きかふ年もまた旅人なり。
    (『奥の細道』序文)

    倭歌(やまとうた)の風流、代々にあらたまり、俳諧年々に変じ、月々に新也。
    (『常盤屋句合』跋文)

    風雅の流行は、天地とともにうつりて、只つきぬを尊ぶべき也。
    (『三聖図賛』跋文)

    芭蕉の高弟の文には、より明確に師の教え、不易流行が語られ、同門へと伝えられていきます。

    蕉門に千歳不易の句、一時流行の句といふあり。是を二つに分けて教へ給へども、その元は一つなり。不易を知らざれば基たちがたく、流行を知らざれば風新たならず。不易は古によろしく、後に叶ふ句なる故、千歳不易といふ。流行は一時一時の変にして、昨日の風、今日宜しからず、今日の風、明日の用ひがたき故、一時流行とはいふ。はやる事をいふなり。
    (『去来抄』向井去来)

    師の風雅に、万代不易あり、一時の変化あり、この二つに究り、その本一つなり。その一つといふは風雅の誠なり。不易を知らざれば、実に知れるにあらず。不易といふは、新古によらず、変化流行にもかかはらず、誠によく立ちたる姿なり。
    (『三冊子』服部土芳)

    猿簑の選を被りて不易流行のちまたを分かち、新風に臨みても幽玄の細みを忘れず。
    (『風俗文選』森川許六)

    さて、不易流行の「易」は、〔えき〕と読むほかに、易わる=〔かわる〕と読みます。変わる、と同義です。

    中国の代表的な古典である、『易経』は占いの書というよりは、万物自然の変化をとらえ、予兆を見抜き、
    来たるべき将来を見通すための書なのです。よって古来帝王の必読の書とされてきました。
    そもそも、『易経』そのものの中で、「易」はどのように考えられ、説明されているのでしょうか。

    生生これを易という。
    (『易経』繋辞上伝)

    「天地は無窮の営みを続け、途切れることがない。またそこから万物が生じる。
    春夏秋冬は規則正しく巡り、冬が終われば、また新たな春がやってくる。
    同じ時は再び訪れることはない。
    生じるものは常に新たであり、またそこから新たなものが生じる。
    このような窮まりない変化を「易」という。
    我々人間も日々の変化あってこそ、生き生きと生きていける。」

    (『「易経」一日一言』(致知一日一言シリーズ) 竹村亞希子 致知出版社2009年2月)

    易、すなわち変化のダイナミズムの中で、生命は脈々と次代へ継がれていく、と古代中国では考えていました。
    現代の科学に置き換えれば、遺伝子の突然変異も、生命の停滞を打ち破るための〔神の一突き〕なのかもしれません。

    変化こそ、生命の源である。

    と思い至った時、日本の美と文化に〔神の一突き〕をもたらした、千利休の法号がまさしく、「宗易」であったことに気づかされるのです。

    王朝和歌の伝統をふまえつつ、詩の解体と精神の解放をもたらした、松尾芭蕉。
    東山文化の遺産を引き継ぎながら、まったく新しい侘びの境地を切り拓いた、千利休。

    「不易流行」は文化と歴史の壁を越えて、いまだ見ぬ未来を描いてくれるのかもしれません。

    ・【言の葉庵】エントリー
    http://nobunsha.jp/meigen/post_181.html

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