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  • from: orimasaさん

    2008年04月18日 09時44分58秒

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    日本周遊紀行(104) 石巻・「北上川流域の盛衰」


    石巻へ来た、市街の中心を清冽な「北上川」が流れ注ぐ。
    この北上川は「旧北上川」と称している・・が, 一方、「新北上川」が追波湾に注いでいることは、先回(103・「牡鹿半島」)の項で述べた。
    「新北上川」は、旧北上川の流量調節や、農業・水運のため、昭和の初頭、津山(柳津)で分流し、旧追波川を改修、合流させ運河として造成したものという。
    北上川は岩手の中枢を流域とし、往時は水運文化として栄え、栄華を極めた地域である。  その流域には、一関、平泉、衣川、前沢、水沢、胆沢(いさわ)、江刺、金ヶ崎、北上、花巻といった、既に大和朝廷の古代から知られる地域名が多く並んでいる。 

    古代奈良期の頃は、この辺りは未だ東国・蝦夷といわれた処の中心で、蝦夷・エミシの棟梁である「アテルイ」という人物が古代東北を治めていたことは、東北の歴史に興味のある人は周知のことであろう・・。
    大和の国統一を計る朝廷は宮城・多賀城に根拠を持ち、幾度となくエミシの中枢である水沢、胆沢を攻めるが、アテルイによってことごとく阻まれてる。 そして最後に登場するのが征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂(・・後述)で、彼によって決着をつけられるのだが・・、この時期に北上川は多いに利用され改修もされたという。
    後には俘囚(ふしゅう・朝廷の支配下に入り、一般農民の生活に同化したエミシ)と呼ばれる安倍氏の反乱である「前9年の役」などを経ながら藤原全盛期を迎えることになる。 平泉の藤原三代の中尊寺、毛越寺(もうつうじ)等に代表される奥州・藤原文化のように東北独特の文化圏を形成した。 それには「北上川」が社会、経済、文化の発展に大きな役割を果たしていたのである。

    宮沢賢治(花巻市)、石川啄木(盛岡市)など、流域出身者の作品にも取り上げられたように、流域住民にとってはまさに「母なる川」といえる。 
    ただ、岩手・盛岡出身の作家・高橋 克彦氏は、<font size="2" color="#FF0000">『古代から近代までの東北は敗者の暮らす土地であった。 弥生文化に席巻された縄文文化;中央朝廷の蝦夷・エミシの統一化;源氏に滅ぼされた藤原平泉文化;豊臣秀吉の天下統一最後の合戦場(岩手県・九戸);官軍の東北侵攻など、ことごとく侵害を受け、敗北を喫している。 その度に築き上げた豊かな文化は白紙に戻され、勝者によって歴史が改竄(かいざん)されてきた。こんな国が他にあるだろうか・・』
    ・・とも。
    北上川には、国指定史跡、名勝、天然記念物の多くが川沿いに分布しているが、それは苦難の歴史を秘めていることでもあり、今は只、ゆったりと流れている。
     

    江戸時代の石巻港は、北上川水運によって南部藩領からも米が下り、河川交通と海運との結節点として、日本海側の酒田港と列んで奥羽二大貿易港として全国的に有名であった。
    伊達政宗が舟運の便を開き、上流の南部藩米を積んだ平舟がこの川を下って石巻で千石船に積み換え、江戸へと向かったという。 これによって、ここ石巻は北上川舟運の終点として江戸回米の一大集積地となり、石巻発展の礎となった。

    旧北上川河口から松島湾岸を経て阿武隈川河口まで、仙台湾沿いに全長約60kmに及ぶ日本最長の運河「貞山運河」(ていざんうんが)が延びている。 この運河により、岩手県の北上川水系、宮城県の仙台平野の全ての水系、および、福島県の阿武隈川水系がつながっている、この運河を「貞山堀」とも呼ばれる・・。 伊達政宗の命により開削されたため、諡号(しごう:主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名号のこと)を名付けて「貞山公」と名付けられたという。

    戦国末期(1558年)の頃より、阿武隈川河口から北上川河口まで、政宗が堀削に着手してから明治期の1884年頃まで永々と掘りに掘って、仙台湾の海岸線約130kmの内、凡そ半分の約60kmに及ぶ日本最長の運河が出来上がったのである。 
    運河は、岩手県北上盆地・宮城県仙台平野・福島県中通りの広大な河川交通・物流に供するものであったが、仙台平野においては、江戸時代初期の新田開発における灌漑用水路、排水路としての機能も重要であった。
    しかし、北上川の度々の洪水や鉄道輸送との競合によって、近年はその役割を終えている。 現在は、物流に用いられる例はまれであるが、農業用水路、漁港の一部、シジミ漁・シラス漁などの漁場、釣りなどのレジャーに用いられている。 運河沿いの一部には自転車専用道路も設置されているとか・・。


    次回は、 宮城・「塩釜」
    ( 『松島』については「温泉と観光」の項で記載します)

    下記URLの巻末で「旅、旅行の案内」致しております、宜しかったらご覧ください・・!!。
    http://blog.goo.ne.jp/orimasa2005  『日本周遊紀行』
    http://blog.goo.ne.jp/orimasa2001  『旅の記憶』

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