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  • from: orimasaさん

    2008年07月30日 08時49分05秒

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    日本周遊紀行(130) 「川〓(Ⅰ)」、川崎の街道・・、


    アクアラインの海底トンネルを抜けると、川崎市の浮島JCTに到る。 すぐ北側には東京都・神奈川県境である多摩川が流れ、河口の都側には羽田空港が隣接している。

    「川崎市」、この多摩川より南の沿岸地帯は、かの有名な京浜工業地帯、或いは臨海工業地帯などと言われる、石油コンビナート、重化学工業などの大規模な重工業地帯となっていて、昭和30年代の高度経済成長と合わせて大いに発展した。
    しかし、この時期、「川崎公害」という、高濃度の大気汚染や環境基準を上回る二酸化窒素(NO2)などによる大気汚染が、長期にわたり沿道の生活に大きな影響を及ぼしたとして、公害訴訟なども起きている。

    一般に川崎というと、このような産業、工場地帯をイメージを抱かせるが・・、大部分の地域は実は緑の多い丘陵地、田園地帯も結構大きく、広いのである。 
    川崎市域は多摩川を南に、横浜市の北側、西部多摩地域の山域まで、東西に細長く広がる緑多き地域なのである。
    今、この川崎は臨海工業地帯、川崎駅周辺は再開発で大きく変貌しようとしているらしい・・。


    江戸時代になり、事実上の首都が江戸に移ると、川崎は京や甲州と江戸を結ぶ交通の要衝となった。
    西から津久井街道、大山街道、中原街道、東海道、これらの道路を横断して結ぶ府中街道などである。

    「津久井街道」は川崎西端部から津久井、甲州を結ぶ。
    「大山街道」は、多摩川を渡り、二子(ふたご)、溝口(みぞのくち)を経て多摩丘陵、厚木(あつぎ)、大山(おおやま)のふもとの伊勢原(いせはら)、足柄峠を越える。東海道と甲州街道の間を江戸へ向かう脇往還として「厚木街道」とも「矢倉沢往還」とも呼ばれて、古くから大山詣りの道として知られ、、現在の国道246号となっている。 
    「中原街道」は、小杉から東海道の平塚宿場へ到る、平塚に中原という所があり、ここからほぼ真っ直ぐに江戸へ延びているのが中原街道である。
    「中原街道」、その他の街道については、小生ブログ・「湘南地方の歴史と観光」、平塚の項で記載しておりますので、ご覧下さい・・。
    URL: http://blogs.yahoo.co.jp/orimasa2007/1307412.html 


    <font size="2" color="#0000FF"> さて、御存じ東海道であるが・・、

    古来より五街道の一つとされ、京と江戸を結ぶ日本の中で最も重要な街道となった。 
    日本橋(江戸)から三条大橋(京都)に至る宿駅は53箇所(東海道五十三次)で、当初は、主に軍用道路として整備されたらしい。 
    宿駅は53箇所のうち、江戸より2番目が「川〓宿」である。(1番目は品川宿) 
    東海道を上る旅人が昼食や休息をとる場として、また、江戸より下る旅人にとっては六郷の渡しを控えた最初めの宿泊地としてにぎわった宿場町である。

    川〓宿より、自然に拓かれたのが「大師道」で、厄除けで知られる川崎大師に至る道である。 古くから庶民の信仰を集めた川崎大師は、徳川11代将軍家斉が江戸後期に公式参拝してから、一層広く信仰されるようになったという。


    次回は、川〓(2)、「六郷と堀の内・・、


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