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  • from: orimasaさん

    2010年10月14日 11時32分30秒

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    日本周遊紀行(23)田原 「渡辺崋山」

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     日本周遊紀行(23)田原 「渡辺崋山」 


    田原の渡辺崋山は、我が「厚木」にも縁があった

    田原市は2003年8月、田原町と赤羽根町と合併(編入合併)し、新市として成立していて愛知県では32番目の市である。 
    又、2005年10月には更に渥美郡渥美町(伊良湖)を編入合併する予定らしく、概ね渥美半島の全域は田原市となる。
    その田原市の国道259号のど真中、繁華街の一角に道の駅「田原めっくんはうす」があった。 
    昨夜は遅くこの道の駅で車中泊まりとなり周囲を傍観する余裕は無かったが、今朝、気がつくと駐車場は広く、建物も大きく、すっきりしている。 


    しかし妙な名前の「めっくんはうす」とは何ぞや・・!、

    近くの看板に黄色いハートマークが微笑み、その周りを「」のようなものがぐるり取り囲んでいる。 
    そして説明には『 四方八方に出ている手足は、花の芽、野菜の芽、そして村おこしの芽であり、文化の芽、産業の芽、発展し成長する元気な「街」を表しています。これらの芽を発展させる「家」としてこの名前が付けられました。 』とあった。
    明快かつ前向きな「宣言」で、なるほど、めっくんは「芽っくん」だったのである。
    それにしても、やはり妙な呼称である。 

    今は早朝で人影は無いが、都会の中の道の駅としては大きな方で、地元の野菜や果物をはじめ、衣料品まで揃う売店もあり、日中は多くの人で賑わうという。



    田原には「渡辺崋山」がいた

    学者として、画家として、また政治家として活躍した渡辺崋山(通称は登:のぼる)は、1793年、江戸の田原藩上屋敷で生まれている。
    後に田原藩家老となり、殖産興業につとめ藩政改革を行い、田原藩の繁栄に貢献している。 

    特に、天保の大飢饉(天保7、8年の大飢饉)には備蓄倉庫内の米穀によって、藩内に一人の餓死流亡者も出なかったことから、幕府は田原藩を優良藩として唯一表彰している。
    崋山の指導力による功績であった。

    又一方では崋山は、鎖国時代にあって西洋事情を研究し、蘭学者の高野長英、小関三英(こせき さんえい:江戸時代後期のシーボルトの門下生、医者・蘭学者。出羽国の庄内地方・鶴岡出身)、幕臣の川路聖謨(かわじとしあきら:豊後・日田出身、幕末開国のため、日露和親条約や日米修好通商条約に調印、1868年・明治元年に勝海舟と新政府側の西郷隆盛の会談で江戸城開城が決定した報を聞くと割腹自殺)、江川英龍(太郎左衛門:江戸時代後期の幕臣で伊豆・韮山代官、東京湾岸のお台場を作った人物で知られる)などが加わり、海防問題などで深く議論するようになった。 
    特に江川は、崋山に深く師事するようになり、幕府の海防政策などの助言を行っている。

    こうした崋山の姿に藤田東湖(幕末に活躍した水戸藩の政治家、学者、尊王攘夷の先駆者)は「蘭学にての大施主である」と呼んでいる。
    崋山自身は蘭学者ではないものの、時の蘭学者たちのリーダー的存在であるとみなしての呼び名であった。
    しかし、幕府守旧派の目付・鳥居耀蔵等により、これらの活動が発覚、糾弾され、幕政批判という名目の蛮社の獄(江戸幕府が洋学者を弾圧した事件)に連座しているとして有罪となり幽閉、国元に蟄居を命ぜられる。

    謹慎中の崋山の窮乏を助けるため、弟子たちが江戸で開いた画会が、蟄居中不謹慎とうわさされ、藩主に累(るい)が及ぶのを恐れた彼は、天保12(1841)年に自害している。 

    渡辺崋山は、国家のために殉じた一人であった。



    画家、文化人でもあった渡辺崋山は、江戸末期当時、経済の要衝で「小江戸」といわれるほど繁栄していた、わが町・厚木(神奈川県厚木市・小生在住の地)を物見視察している。
    崋山はこの時の紀行文「游相日記」に『 厚木の盛なる、都とことならず。 家のつくりしさまは江戸にかわれど、女・男の風俗かわる事なし 』・・、と書き、厚木の豪商や大山街道の繁栄ぶりを描いてる。 
    同時に厚木の風景画・「厚木六勝」の絵を残している。 


    崋山の画業は、困窮した生活をしのぐために生来好きだった絵を学び、武士の身分であって画会をも開いたという奇才の持ち主であった。 
    藩重役の家に生まれたものの当時の田原藩は財政難を極めて、俸禄はわずかしか支払われず、加えて父が病気がちであった為に幼少期は貧困の中を送っている。 
    弟や妹は次々に奉公に出され、この悲劇が後の彼に勉学を習わせ、社会に貢献する姿とあわせて、戦前の「修身教科書」に偉人として掲載されていた。

    因みに、当時の修身教科書は、勇気、堪忍、公益、衛生、度量、博愛、自信、清廉などの多くの徳目とともに勝海舟、野口英世、二宮尊徳、渋沢栄一、山田長政等の偉人達が掲載されている。


    昨今の「教育」でよく言われることは、父母や先生を敬い、友人を大切に学業を修め、知育徳育を成就する社会性、公益性、しいては国家国民の繁栄を教えようとする意思、熱意に欠けるといわれる。 
    つまり、修身的教科を等閑(とうかん:物事をいい加減にすること、意を用いないこと、なおざり、おろそか)にしているようであると。

    尤も、これには戦後アメリカが進駐した際に推進した「修身、日本歴史及び地理学停止に関する件」というお題目で、修身教科書を回収し、道徳教育を停止させ、本来日本人にあった倫理意識を破壊させることを目的としていたのであった。 

    この占領軍の政策に日本の左翼思想家(主に労組、日教組など・・)が呼応便乗し、戦後教育が行はれていったのであった。
    その結果が今の日本社会、国内現象での家庭、学級崩壊や子供の暴力や凶悪犯罪の蔓延等、社会規範や道義の退廃につながり、実に目を覆うばかりであるとの論評が多い。せれている。

    果たして納得する部分もある。
    戦後60年、真の教育の再来を期すばかりである・・!!。


    田原の街並は、田原城跡や市立博物館などの時代的景観を残して実にいい。
    崋山の自刃の地、墓所、崋山会館等、渡辺崋山の痕跡が町内の各所に残る。

    次は、蒲郡・「三ヶ根山




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