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from: わかさん
2010/02/15 05:41:00
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たむらさんの記事です
造林政策の果て
沢奥の荒地で、ベニマシコの一団に出合った。若い雄と真っ赤な成鳥。それに数羽の雌。ハンサムな雄に魅せられ6日間、鳴き声を頼りに探し歩いた。一日粘ると最低一度ぐらいは撮影チャンスがあるが、相手もそう簡単にモデルになってくれない。草むらに潜り、小枝の交差する向こう側でじーっと動かない。根比べの果て私が動くと決まって逃げられ、それでその日はおしまい。やっと撮れても逆光の場合もあり納得がいかない。
林道に車を止め、好物のイノコズチの種のあるポイントを探し、巡回する。車外にいないとわずかな鳴き声も聞こえないので、股引(ももしき)とズボンをはき、その上にオーバーズボン、羽毛服を着て野外に立っている。
ある日、山仕事をする二人のおじさんから話し掛けられた。一人はシイタケの原木切りらしいが、もう一人の年老いたおじさんの話は心にしみた。戦後、林野庁の「拡大造林政策」に乗せられ植林した杉や檜(ひのき)が込み合っているので気が向くと間伐をしているという。
今から45年ほど前の日照りの年、我が家もわずかばかりの山林に父が水を背負ってまでして植林した。それなのに、外国の木材の輸入が解禁され、手入れしても出費がかさみ採算が取れず、我が家の山は荒れ放題。
おじさんは、もう採算など気にせず、自分の子供を育てるように手入れに通っているようだ。太いが曲がっている木を切る。まっすぐだけど細い木を切る。そんな時、情がわくのか、なかなか思い切り良く切れないと言う。そして、こんなことを言った。「間伐は他人にしてもらうのが良いと昔から言うんだよ!」
こんな思いを抱き寒い真冬の山に向かうおじさんの姿に、植林して数年で亡くなった父の姿が重なった。
東京新聞2010年 2月14日掲載
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