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from: わかさん
2011/04/18 06:57:31
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九条の会5周年記念講演
講師は、 こもり・よういちさんでした。
約2時間 休憩無しで熱く語ってくれました。
やはりこの時期なので 福島原発の話が抜きには出来ませんでした。
詳しくは、週刊現代4/4日号をご覧下さい。
私として特に興味と知らなかった事は、下記の事も触れていました。
1:
★三陸大津波の年に生まれた宮澤賢治、その深い問いかけ…。
宮澤賢治の『雨にも負けず風にも負けず』の詩は賢治の死後発見されました。その詩は、昭和6年、1931年11月3日に書かれました。今から80年前のことです。この詩『雨にも負けず風にも負けず』も、「せともの祭80周年」と同じ80年になるのです。
★日本人の中で最も多くの世界の言語に翻訳されていると言われる人が岩手県生まれの宮澤賢治です。当会代表の中村が愛してやまない賢治の言葉があります。それは賢治の『農民芸術概論綱要』に遺されている次の言葉です。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」。
世界にたった一人でも幸福でない人がいるならば、そしてその一人が幸福にならないうちは、個人の真の幸福というものもないのだ、そんな意味です。
★宮澤賢治は明治29年8月27日、岩手県花巻市に生まれました。その誕生の2か月余前の6月3日に三陸大津波が起こり、18158人の死者が出ました。そして7月には大雨と大洪水、賢治の生後4日目の8月31日に陸羽大地震が起こり、全壊家屋5600戸、死者200人。母のイチは賢治の上に覆いかぶさって幼子の賢治を守ったと言われています。さらに9月には再び大雨と洪水が起こりました。宮澤賢治は、そうした自然災害の頻発した悲劇の年に生を受けたのです。
賢治の生まれた年に大津波があったのですね。そして九条の会の呼びかけ人でもある、いのうえ・ひさしさんも関連した事を書いています。
2:ウィキペディアによると
吉里吉里国出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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吉里吉里国 (きりきりこく)は、井上ひさしの小説『吉里吉里人(きりきりじん)』(新潮社、文庫にも収録)に登場する架空の国。ある日、東北地方の一寒村(物語上では宮城県・岩手県の県境付近にある吉里吉里村、人口は約4200人)が突如独立宣言して誕生する国家。
日本国とは違った「イエン」を独自通貨とし、地元方言を国語に定め、さらには科学立国を称し、様々な怪しげな実験が国内において繰り広げられている。
ミニ独立国上記に関連して、実在の吉里吉里駅を擁する岩手県上閉伊郡大槌町が、1982年に町おこしの一環として吉里吉里国として「独立宣言」をした。マスコミの注目を集め観光客誘致に成功し、1980年代のミニ独立国ブームのきっかけとなった。しかし1990年代に入りブームの沈静化や景気後退の影響から、ミニ独立国としての活動は活発に行わなくなった。
大津波については、想定外といっているが 想定外は、外して対応したので あの惨事が起きてしまったともいっていました。
今後、被爆国として我々は、何をしなければならないか。
「3人寄れば文殊の知恵で、政府が国民に発表をしないので色々な角度から情報を得て まとめて努める事。他、就職氷河期を迎えてさらにこの惨事なので若者の”たまり場”を造ってあげて 若者のの”言葉に出来る”場所を提供して欲しいとも言っていました。<
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