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from: 岐阜のすーさん
2010/07/28 07:06:47
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信頼を得ることが目的ではない
私たちは、子どもとの関係や保護者との関係を作るために信頼を得る努力をします。そのために情報を提供したり、理解を得るための関わりを深めたりすることは多い
私たちは、子どもとの関係や保護者との関係を作るために信頼を得る努力をします。
そのために情報を提供したり、理解を得るための関わりを深めたりすることは多いと思います。
しかし、信頼関係を作ることは、入り口であって目的ではありません。私たちは、子どもに力をつけて初めて、教師なのです。
その力をつけることなく、情報を提供したり、理解を得るための関わりを深めたりする時間を作ったとするとこれは、間違いだと思います。
私たちは、もっと子どもを育てることに時間を費やすべきだと思います。
子どもの姿を見てくださいともっと強く訴えることが重要ではないでしょうか。
当然、子どもを育てるには時間が必要です。すぐに結果がでるようなものではないことはわかっています。しかし、子どもの姿で勝負しなければ、ならないのが私たち教師なのです。
地道にこつこつと努力すれば、必ず子どもは力をつけます。その変化は、保護者や地域が期待するものと比べるとわずかな変化かもしれません。しかし、この努力を積み上げるしかないのです。
努力が足りないと言われても、謙虚に受け止めながらも努力するしかないのです。子どもの育ちに目を向けることのできる人ならば、きっとその努力は伝わるものです。
わかってもらえる人を増やす努力は必要です。細かいステップを設けて子どもの成長を捉え、理解してもらうために情報を提供することも大切です。
多くの保護者や地域の人は、一部の子どもの姿しか見ていません。学校全体を眺めながら子どもを育てるのが私たちです。
ある時は、巨視的な見方で、ある時は微視的な見方で対応するのです。決して保護者や地域の人の言葉に惑わされることなく、子どもを見続けるのです。
子どもたちは、必ず応えてくれます。私たちの深い愛情に支えられている子どもたちです。応えないはずがありません。
この気構えが家庭や地域の人々に必ず伝わると信じ、こつこつと地道な努力をしたいと思います。
決して派手ではありません。しかし、それが教育だと思います。光りすぎれば必ず影ができます。裏表を作っても地に足がつきません。一部の子どもが輝いてもだめなのです。どの子も輝く子どもにしなければならないのです。ですから、派手なことはできません。
学校は常に変化しています。その変化に対応できない家庭や地域でもあります。教育環境に関わる人的物的な変化が常にある学校です。対応できなくて当然です。
理解を得るための最低の努力は必要ですが、その理解を得ることだけに済ませるわけにはいかないのです。子どもを育てるという視点をきちんと伝えることができれば、理解はあとからでも済んでしまいます。
そして、学校に任せればいいという信頼も得ることができます。
家庭や地域の協力なしではできないことも多くあります。
協力を依頼する前に学校が十分努力していることなしに、家庭や地域に協力を求めることは横柄だと思います。
まずは、学校の努力を子どもの姿で示すことが先だと思います。 -
from: 岐阜のすーさん
2010/07/21 05:59:51
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可能性に気づく
子どもたちのように変化が激しいと、変わる可能性をもっていることがよく分かります。それに比べて大人の場合は、なかなかわかり辛いものです。これは、自分の価
子どもたちのように変化が激しいと、変わる可能性をもっていることがよく分かります。それに比べて大人の場合は、なかなかわかり辛いものです。
これは、自分の価値観に縛られていることが大きな原因になっていると思います。その価値観があたかも自分のように思うからです。
実際には、そんなことはないのです。しかし、それを強く願って生きてきたから、なかなかその枠をはずして考えることができなくなっています。
例えば、「思いやり」を大切にした生き方をしているとすれば、それが自分の代名詞のように周りから見られるととても気分がいいものです。自分自身と思いやりが同一化した状態です。
しかし、思いやりがあることだけが自分ではないのです。それも自分の一部かもしれません。それもいつも「思いやり」のある自分ばかりではないはずです。自分勝手な一面ももっているはずなのです。
子どもが変化しやすいのは、このこだわりがないからです。ですから、大人でも自分の中のある一面だと思うことができたら、もっと自分を変えることができます。
・他人がどう思うかどうかということを気にし過ぎるため、本来の自分を見えなくしていることはないでしょうか。
・自分を犠牲に生きていることはないでしょうか。
自分らしく生きるためには、自分の可能性に気づくところから始まります。
もと素敵な自分があるのにそれに気づかないで、今のままでよいことにしている自分があるかもしれません。
授業を変えるのも、学級を変えるのも、子どもを変えるのも自分次第です。可能性を追い求める生き方そのものが子どもに大きな影響を与えているのです。
変化することに躊躇してしまうのは、変化を嫌い、安定を望む人間本来もっている性質です。しかし、よりよい自分を創り出そう自己実現目指すのも人間です。
この夏休みに新たな自分を発見できたら、必ず周りに大きな影響を与えるあなたになっているはずです。-
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from: 岐阜のすーさん
2010/07/16 04:13:56
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影響の大きさ
自分のしていることはどれほどの人々に影響を与えているのかを考えたことがあるでしょうか。自分が思う以上にその影響は大きいものです。ただ気づいていないだけ
自分のしていることはどれほどの人々に影響を与えているのかを考えたことがあるでしょうか。
自分が思う以上にその影響は大きいものです。ただ気づいていないだけだと考えた方がよいでしょう。
・そのまま受け取ることによる影響
・その裏を読んで受け取ることによる影響
・自分の勝手な解釈を加えて受け取ることによる影響
・同類とみなされ、一般化されて受け取ることによる影響
探ってみるとまだまだありそうです。
教師の不祥事が新聞やテレビで流されることが多い昨今。心を痛めています。
いくら「教師である前に一人の人間だ。」と大きな声を上げても、それは自分勝手な言い訳でしかありません。
教師に対するイメージが一人歩きしています。そして、世の中の人々はその教師というのあなたを見るのです。
これは、あなた自身を見ているのではありません。世の中の人々は、教師という仮面をかぶったあなたを見るのです。
・教師ならば、こんなことはできない。(しない)
・教師だからこそ、こんなことをしてほしい。
と一般的な目であなたを見ているのです。
ですから、事件を起こせば、教師像を崩すことになります。大きな事件ならば、ニュースにもなり、これは、教師全体への影響を与えるものになります。
少し親しくなった人ならば、個性をもった教師であるあなたを見ています。
・こんな人柄の教師だ。
・こんな考えをもっている教師なんだ。
・こんなことをする教師なんだ。
などと一人の教師像を作り上げてくれます。
これは、一般的な教師とは違います。あなたらしさをわかってみてくれていますが、少し親しくなった程度の人ですから、ここには、その人の思い込みもかなり入っています。
「人から聞いたうわさ」や「たまたま関わったときの対応」、「教師から入ってくるわずかな情報」等から判断されます。
事件を起こせば、一般化は免れますが、身近な教師集団に影響を与えます。直接わが子と関わることがあれば、わが子への影響はないだろうかと心配になり、追求を始めます。
直接関わっている教師ならば、ある程度確信をもって、
・こんな人柄の教師だ。
・いつもこんなことを大事にしている教師だ。
・こんな面ももっている教師だ
・だから、好きだ。(嫌いだ。)
などとなり、教師の一挙手一投足から直接影響をうけ、自分の感情を動かしています。
事件を起こせば、他の教師とは区別して判断されます。
・なぜあの先生が?
・やっぱりあの先生だ。
などと一人の教師として見ることができます。
この場合は、一般の教師の扱いというよりも個性をもった一人の教師としての影響を受けますが、それは、一般的な見方の場合と比べると深い所まで影響を受けているので深刻です。
教師という職業はそれほどの責任を負う仕事なのです。これを重荷とするか、それとも逆に影響を与えるだけの素敵な存在とするかは、自分次第です。
事件を見聞きするたびに、教師としての使命感の大きさを感じます。
意識していればまだ救われます。無意識にしていることの方が大きな影響を与えていることを知ると怖くなります。まだまだ努力しなければならない自分が見えてきます。
謙虚さを見失わないためにも事件を他人事にせず、わが身に置き換えて見つめなおす機会にしたいと思います。-
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from: 岐阜のすーさん
2010/07/14 05:02:55
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自分のやり方だけでは
子どものために一生懸命に取り組んでいることが、よくわかる先生とそれがよくわからない先生がいます。これは、子どもへの関わり方であったり、子どもの姿の変化
子どものために一生懸命に取り組んでいることが、よくわかる先生とそれがよくわからない先生がいます。
これは、子どもへの関わり方であったり、子どもの姿の変化であったり、子どもの作品であったり、様々な取り組みから見ることができます。
この取り組みが保護者に安心を生み、信頼を得ることにもなります。
誰も完璧ではありません。完璧を求める人はそれほど多くいません。でも完璧を追い続けます。ここが大事なのです。
これでよいと自分の力を決めてしまうとそれ以上力を伸ばすことはできません。自分なりに努力する姿が人を動かすのです。
若い先生の魅力は、若さだけではありません。その動き一つ一つにエネルギーを感じるのです。無我夢中になって努力する姿にエネルギーを感じるのです。
このエネルギーが伝わるのでしょう。
だから保護者からも若い先生は受け入れられるのでしょう。
努力に無駄はありません。全てが学びになります。今の自分のやり方でよいと決めた時点でエネルギーがでなくなります。これだけではないだろうと考えるから次に挑戦できるのです。これがエネルギーとなって伝わっていくのでしょう。
この努力は経験年数には関係ありません。よりよく生きようとする姿勢は、子どもにも伝わります。教育は人なりとよく言われますが、その通りだと思います。
自分を磨き続けることは、生き方を伝えるエネルギーを出しているのことになります。これは、子どもに大きな影響を与えます。
まずは、自分自身を疑うことから始まります。「今の自分のやり方だけでは十分でないかもしれない。」と言える自分でしょうか。-
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from: 岐阜のすーさん
2010/07/13 04:57:39
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力を入れすぎると
子どもの姿を何とかしたいと力を入れすぎると、子どもの生きる場所がなくなってしまいます。しかし、その渦中にいると、自分の思いだけが強くなり空回りして子ど
子どもの姿を何とかしたいと力を入れすぎると、子どもの生きる場所がなくなってしまいます。
しかし、その渦中にいると、自分の思いだけが強くなり空回りして子どもが見えなくなります。
この状態にある時には、何をしてもうまくいかないと感じてしまいます。そして、その思いが募り、何をしてもだめだと悲観的になったり、否定的になったりします。
子どもも同様じです。言われれば言われるほど、反発したくなります。それは、責められてもできない自分を認めたくないからです。誰もが自分を生かしたいと思っているにも関わらず、常に「だめだ。」と否定され続けるのは、とても苦しいものです。ですから、自分を守るためには、どうしても拒否せざるを得ないのです。
・無視をする。
・反発する。
・黙ってしまう。
・開き直る。
子どもがこんな姿を示したら、もうどうしようもありません。
これは、別に指導者が憎いわけではありません。自分を守りたいだけなのです。
でも、その姿が気に入らないから腹が立ちます。益々強く指導をしてしまいます。これでは悪循環です。
これを断ち切るためには、力を抜くしかありません。
こうしたいと強く願っていることを「願わなくてもいい。」と言い聞かせるのです。できてもできなくてもいいという気持ちになったら、楽になります。
でも、それほど簡単に「願わなくてもいい。」「できなくてもいい。」なんて言えません。それが普通です。それには、強く願ったわけがあるからです。
そのわけが問題です。子どものためだと言いながら、本当は自分のためだったということはないでしょうか。一度疑ってみるところから始めなければ、解決にはなりません。
子どもが本当に願っていることならば、これほど関わりが悪くなることはありません。子どもが願っていないことをさせようとしているから無理があるのではないかと疑ってみるのです。
自分の思いだけで、相手を動かすことはできません。相手が思いをわかり、安心を感じたときに心を開きます。そして、その開いた心に寄り添うことなしに事は進みません。
ここが難しいところです。「甘やかしたらだめだ。」と思えば、寄り添うことはできないでしょう。これも指導する側の考え一つです。
強く願ってもできないことがわかっていても、言ってしまいたくなるのです。これが私たち人間なのです。これを止めるのも人間です。これは、勇気のある人間です。
変化を嫌う私たちであれば、子どもも変化しません。私たち指導者が変わるから子どもも変わるのです。
綱を引き合っている状態です。強引に引けば、引くことができるかもしれませんが、相手も強く引き返します。力を抜けば、相手の思うように動きます。この引く力を加減しながら、相手の気持ちをうまく生かすことができれば、楽になります。相手に合わせて、力加減を考えるしかありません。
強引さは、必ず後からつけがきます。今は、力を入れすぎないことです。力を抜いて、子どもを見るのです。-
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from: 岐阜のすーさん
2010/07/09 06:42:45
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個か集団か
学級作りでいつも意識しなければ、ならないことが、個と集団の問題です。ここを自分なりにうまく整理して考えることができるとかなり学級作りが楽になります。例
学級作りでいつも意識しなければ、ならないことが、個と集団の問題です。ここを自分なりにうまく整理して考えることができるとかなり学級作りが楽になります。
例えば、全員が揃って授業が始まらない時に、どんな声をかけているのでしょう。こんな方がいらっしゃいます。
「自分の事は後にしなさい。」・・・・集団のために個が犠牲になる。
「みんなが揃うまで待ちましょう。」・・・個のために集団が犠牲になる。
もし、犠牲という言葉が浮かぶとすれば、根本的な問題解決にはなりません。
個や集団は犠牲になるものではありません。ここが学びのチャンスなのです。個や集団が育つチャンスと見なければ枠を作ってしまうだけです。
ある時は、徹底して個のために考える集団でなければなりませんし、逆にある時は徹底して集団のために個を鍛えることも必要になります。
この駆け引きができる個や集団になることが集団の質を高めていきます。
集団は個のために、個は集団のためにあるのです。
授業の準備の場合、個であれ、集団であれ、どちらも準備に時間がかかることが問題であることに気づけば、どんな個でなければならないのか、そして、どんな集団でなければならないのかが明らかになります。
自分の事だけ考えている個であるとしたら、準備に時間がかかる子がいても他人事になってしまいます。結果として揃って授業を始めることに時間がかかります。
みんなが揃うまでに何ができるかということを考えた時、仲間に働きかけができる個にならなければなりません。そんな個が大勢いる集団であれば、準備に早くなります。これが、一部の子どもに任されている集団か、それともどの子もできる集団なのかで質も違います。
ですから、いかに学びの場にするかが大事になるのです。個が高まれば、集団が高まります。集団を高めようとするから、個が高まるのです。
互いに相反するものではなく、一体のものなのです。これを分離して考えるところに問題があります。犠牲などないのです。
「準備に時間がかかってなかなか始められません。どうすれば、みんな一緒に早く授業が始められるのでしょう。」と課題を子どもたちに投げかけ、学びの場を作る必要があるのです。-
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from: 岐阜のすーさん
2010/07/07 03:29:33
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求めるものは、同じ
仲間と議論を尽くし、よりよいものを生み出そうとする努力は、自分自身の質を高めてくれます。これは、私たちが日常的にしていることで、特別なことではありませ
仲間と議論を尽くし、よりよいものを生み出そうとする努力は、自分自身の質を高めてくれます。
これは、私たちが日常的にしていることで、特別なことではありません。ただ、仲間と議論を尽くしきるところまでできずに、中途半端になっていることが多いのが現実のようです。
一方が我慢して譲りもう一方が押し切るとか、互いに譲り合うとか完全燃焼する前に議論を終わってしまっているのではないでしょうか。
そのため、不満や疑問がくすぶり、相手との関係をギクシャクしたままにしているのではないでしょうか。ある面諦めているのかもしれません。
これが溜まると衝突が起こります。これは決してよいことではありません。余分なエネルギーを使い、大事な事にエネルギーを費やすことができません。
互いのためにとことん言い切る場を作れる人は幸せです。互いの違いを尊重し合いながらも自分を生かす努力が必要です。徹底して話し合うと行き着くところは、同じだと気づくこともあります。
そこまで、議論を尽くすことが必要です。
これは、子どもも同じです。我慢し合うことでは、新しいものの見方や考え方は生まれません。
授業は、正にこの議論を尽く合う場に他なりません。挙手した子どもだけで授業が進んでいては大変です。どの子も自分の立場を主張し、わからないところを埋め合い、互いに助け合いながら1つの答えを求る姿にしたいものです。
教師が一方的に教えている授業ではこれができません。教師に遠慮し不十分な理解になったり、仲間の考えを聞いてわかった振りをしたりしていないか、心配になります。話し合いに参加しない子どもたちを攻めなくては子どもは育ちません。挙手した子どもよりも挙手しない子どもの方に意識をもつことができるか、教師の姿勢にかかっています。
子ども自ら考え、判断する子どもが、議論を尽くす子どもになります。21世紀に生きる子どもたちに任せるためにも、教師が出すぎていないか授業を見つめなおしたいものです。-
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from: 岐阜のすーさん
2010/07/06 03:45:50
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見える形にして
私たちは、子どもの心を探ろうと様々な努力をします。本人に気持ちを尋ねたり、周りの人々から情報を集めたり、ここに至るまでの歩みを辿ったりと様々です。しか
私たちは、子どもの心を探ろうと様々な努力をします。本人に気持ちを尋ねたり、周りの人々から情報を集めたり、ここに至るまでの歩みを辿ったりと様々です。
しかし、子どもが私たちの前で見せる顔は決まっています。ここまでは、見せてもいいけど、ここからは見せられないと思っているのです。
ですから、その先は、きっとそうなのかもしれないとこちらで決めるしかありません。
経験が豊かになれば、子どもの心の読みも確かになってきますが、これもあくまで読みでしかありません。
不確かではあってもそれを頼りにしながら、子どもと付き合うしかありません。
不確かだという気持ちだけは確かです。しかし、多くの場合、きっとこうだと思い込んだら最後、確かでないにも関わらず確かにしてしまいます。
そして、それらしく動くとより確かだと確信してしまいます。これが、誤解の始まりです。
常に確かではないと思っていれば、落胆することもないのですが、確かだと思っているために期待を裏切られた気分になってしまうのです。
そして、相手を責め始めます。これでは、相手にとって迷惑なことです。
まさに独り相撲をしているようなものです。勝手に判断し、勝手に解釈しているのです。
でも、これは、多かれ少なかれ誰もがしていることです。そんなことはないといえるほど相手のことは知らないのです。
知っていることよりも知らないことの方がどれ程多いでしょう。それさえ知らないのが私たち人間です。
謙虚であるということは、常にこの不確かさを実感している自分でいることではないでしょうか。
評価をしなければならないこの時期に、子どもの姿について断定しなければならないことがあります。不確かではありますが、断定しなくてはなりません。
不確かだから書かないということではなく、どんな事実に基づいてどのように判断したのかということを明らかにし、責任を負うことだと思います。
関わってきた以上、それが私たちの義務であり責任ではないでしょうか。自分の判断が正しいかどうかではありません。判断した自分に責任を負えるだけの材料をもつことです。
その材料が、少なければ不安になります。日頃の努力がここで役立つのです。できる限り多くの材料が揃っていれば、説得力も増します。
平生往生とはまさにこのことだと思います。子どもから離れず、子どもと共に生活しているあなたならば、胸をはって堂々と評価すればよいのです。
安心して評価を受けられる教師なのか、それとも評価に不安を感じさせる教師なのか判断されるのもこの時期です。
保護者の期待に応えることではありませんが、せめて説得できるだけの材料をもっていつでも保護者の質問に答えられるだけの構えをもちたいと思います。
保護者の不満を呼び起こす原因の多くは、教師の説明不足です。ここを勘違いしてはいけません。評価した教師の側に責任があるのです。-
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from: 岐阜のすーさん
2010/07/01 05:43:36
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真実が見えるまで
私たちが抱えている問題は様々で複雑になっています。その問題の本質を探ることが問題解決の一番の近道だと思います。しかし、この問題の本質を探るためには、1
私たちが抱えている問題は様々で複雑になっています。その問題の本質を探ることが問題解決の一番の近道だと思います。
しかし、この問題の本質を探るためには、1枚1枚皮を剥ぐ努力が必要となります。
ある条件の下でできるのに、条件が変わるとできないのは、なぜなのだろうと考えると、その違いが見えてきます。
違いを発見しても、違いは違いであって本質は、そこにはありません。
ですから、違うとなぜできなくなるかを探ると、問題の本質に一歩近づいたことになります。
なぜそうしなければならないのか、きっと何かがあるはずなのです。
必ずそこには、人として本来もっている共通の姿が表れてきます。
例えば、安心や安全な状態を作るためであったり、自分を生かしたいためであったりするのです。
複雑に見える問題もいたって単純に考えることができるようになります。でも、人はその単純さを見せないように巧妙に隠しています。
条件をはずし、単純に物事を見ていくとそのことは、誰にでも起こりうることだと気づくことができます。
ですから、責めることなく、共感して考えることができるようになります。相手と自分が同じだと考えることができなければ、共感はありえません。
物事の本質を探ろうと努力すると、自分が見えてきます。他人事ではく、自分事として見えてくるのです。
相手に慈愛の気持ちが沸くのは、決して他人を見ているのではないと思います。相手の中に自分を見ているのだと思います。-
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