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from: ぽっぽさん
2021年03月05日 11時53分20秒
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3度目のフランス旅行その1!
皆さん、こんにちは\(^_^)/
天気予報通り今日は雨でございます(/Д`)
BGMはメディアプレーヤーで「ボーカル(ダニーボーイ・ソルベーグの歌・耳に残る君の歌声)」を。。。
お耳なんですが、昨日「2座登山(370mと437mの高山 o(^-^)o)」をしましたので、覚悟をしておりました!
意外と静かではありましたが、昨夜午後10時頃から「ピチッ!」がチョコチョコと・・・今朝までに4~5回?でしょうか?
「虫の音」もそこそこって感じでございます。
(結局、「意外と静か」ということでございましたので、ホッといたしております)
【3回目のフランス旅行その1】 北フランス! 婿のお父さんの生まれ故郷です。
さて「3回目のフランス旅行」、これまた昨年7月のトピックを少し編集しましてアップしますネ!
今回も以前にアップしました「たんぽぽのトピック」を元としましたが、その時の写真や文章などに手を加えましたので、手こずっております。 フッ!
長くなりますので2回に分けますが、この「1回目(その1)」もそこそこ長文になってしまいました。
(よろしくでございます\(^_^)/)
【主な行程】 2014(H26)年8月3日(日)~14日(木)12日間
8月3日(日) 中部国際空港(以下、セントレア)→仁川→CDG(パリ・シャルルドゴール空港)
・入国審査など・出口で送迎バスで「CONCORDE MONTPARNASSE(コンコルド・モンパルナス・ホテル)」へ。
春に我が家に1泊した「ルーマニアのファミリー(横浜在住)」とホテルで待ち合わせ
<「パリで会いましょう」なんてかっこいいでしょ (☆▽☆) >
・夕食:「モロッコ料理店(ルーマニア人の友人の紹介、ホテル近くのレストラン)」にて
・夕食後、モンパルナス駅にてTGV駅ホームや刻印機など下調べ。
< この「下調べ」のお蔭で、翌日すんなりとTGVのチケット刻印と列車に乗り込めましたヨ(☆▽☆) >
8月4日(月) TGVにてサマロへ・・・ (4日~12日、サマロのキリアード・ホテル8連泊)
・6時過ぎに散歩。 (エッフェル塔が見えた!)
・ホテルチェックアウト → TGVモンパルナス駅(TGVチケットの刻印・両替)
<両替所のおっちゃんがノロノロと・・・旅行客がイライラしているのにねぇ~(p(≧□≦)q)
円をユーロに、レートは高かったがふーたんの命令なので・・・>
・TGV8085サマロ行(31・32席)10:08発 → サマロ着13:10 → レンタカーにて娘ファミリーがお迎え
<孫」と初対面。 孫はあまり人見知りしなかったのでホッ! o(^-^)o >
・昼食:「La Tagur(海岸近くのレストラン)」 → 「KYRIAD Saint Malo contre Plage(キリアードホテル)」着
<以降、12日までの8連泊と贅沢な・・・(/Д')>
・夕食:「Le Commerce(ホテル近くのレストラン)」
8月5日(火:晴れ時々曇り) 城塞(ダウンタウン=旧市街地)散策
・朝食はホテルブッフェ:8日間なので朝食の記載は省略します。
<パン・クレープ・ガレット・果物・ヨーグルトなどなど、毎朝ちょっとメニューを替えて食べましたヨ o(^-^)o>
・午前中、旧市街地散策。
・昼食:旧市街地の「ガレット店」(適当に入ったので店の名前は「?」です)
・昼食後、旧市街地の散策の続き。
・夕食:「Les Embruns(旧市街内のレストラン)」
8月6日(水:雨から晴れ) 夫婦だけで旧市街地散策
・朝食は昨朝と同様で昼食後、旧市街地散策(昨日の続き)
・昼食:「日本料理店かなざわ」にて巻寿司セット(でも、経営は中国人みたい)
・夕食:「L'Artimon(ホテルの左方面のレストラン)」
8月7日(木:曇り日晴れ) 娘婿の両親と
・朝食後、4日に行った海岸まで夫婦で散歩。
・昼食:「Le Bouche & Oreille(ホテル近くのレストラン)」にて娘婿の両親と我々の4人で・・・
<コミュニケーションですか?
婿のお母さんは英語も堪能なので私のポツリポトリとした英語を理解してくれています o(^-^)o
お母さんに会う度に私の英語をほめてはくれるのですが、わたしゃお母さんの云う事をあまり理解出来ていないのです o(^-^)o>
・ティータイム:ホテル内バーのテラス席にて婿の両親と我々の4名で。
・夕食:「Les Flotsgourinands」(ホテル近くのレストラン、スペルは「?」です)
8月8日(金:曇り時々小雨) サマロ散策(旧市街地・サマロのバス停など下見)
・朝食後「Fort National(島)」見物(一人5€)後、旧市街地散策。
・昼食:旧市街地の「ガレット店」(ここも適当に入ったのでレストラン名不明)
・昼食後、下見(サマロ駅前のバスの案内所でモンサンミッシェル行の時刻表を貰う)
・旧市街地前にある「メリーゴーランド(孫が大好き)」で全員(7名)待ち合わ。
(土砂降りで旧市街地での夕食は中止で、婿が我々をホテルまでレンタカーでピストン輸送 o(^-^)o 娘は婿のお母さんとあまり気が合わない?ようですが、私はお母さんとは気が合うのですよへへへ o(^-^)o)
・夕食:「Le Commerce(ホテル向かい側のレストラン)」
<「サマロ」は夏の避暑地って感じで、ホテルとレストランが軒並みなんです。
私共のホテルの直ぐ近くでも5件ありますし、泊まっているホテルもレストランバーがありますし・・・>
8月9日(土:曇りのち晴れ) 夫婦で孫(3歳8か月の男の子)の子守り
・朝食後から孫を預かり、海岸で遊ばせる。
・昼食:「Le Bouche & Oreille」にて、孫・婿の両親・我々夫婦の5人で。
<このレストラン、「小麦色(よりチョッと焼過ぎ)」の小奇麗できびきびしたおかみさん(失礼!)の客扱いが上手なのとどのメニューも美味しいので、婿のお母さんがお気に入りです>
・ティータイム:我々が宿泊しているホテルへ婿の父の「二人の姪夫婦」が会いに来たのでホテル内バーにて雑談(フランス人はしゃべりだしたら止まらない。 2夫婦とも英語が上手)
・夕食:「L'Antomon(ホテルからちょっと離れて旧市街地へ向かう途中の海岸沿岸のレストラン)」
8月10日(日:曇りのち晴れ) 古都・ディノン見学
・昼食:ディノンへの途中のレストランにて(娘ファミリーと我々の5人)
・午後、古都・ディノン市街地見学。
・夕食:「Brasserie du Sillon」」にて。
8月11日(月:晴一時曇りにわか雨) 娘と3人でモンサンミッシェル見学
・バスにてサマロからモンサンミッシェル、「世界遺産・モンサンミッシェル」見学
・昼食:モンサンミッシェル内レストランにて(卵をシェイクする時の音がリズミカル:有名)
・バスにてモンサンミッシェルからサマロへ戻る。
・夕食:「Le Bouche & Oreille」(例の小麦色のおかみさんのレストランです)o(^-^)o)
8月12日(火:晴れ) 婿の運転で、サマロからCDG(シャルルドゴール空港)ビル内シェラトンホテルへ
<我々は13日の21時発の飛行機なので、「ド高い空港内ホテル」で前泊したくなかったのですが・・・
ホテル内のレストランの支払いもしましたがまずくて高かったので皆さんにはお勧めできませぬ!>
・昼食:CDGへ向かう途中の町にて。
・夕食:「Sheraton Hotesl & Resorts内のレストラン」にて。
・夕食後、婿が大韓航空カウンターの場所を案内してくれましたし、「RER(日本のJRだと思ってください)」のチケット購入を手伝ってくれました。
8月13日(水:曇り) RERにてパリへ(夫婦で見学) CDGから仁川へ~
・「CDG(シャルル・ド・ゴール空港)」ビル内のRERにてパリ市内の「St.Michel」駅。 (ノートルダム大聖堂見学:私共夫婦は2度目です)
・昼食:念願の「Les Deux Magpts(ドゥ・マゴ:サンジェルマン通り)」にて。
<「ドゥ・マゴ」ってのは「二匹の猿」って意味で、有名な作家や詩人たちが瞑想にふけったカフェ。
2回目のフランス旅行でパリで4連泊だったかな?した時、毎日のように店の前までは来ていたのですが「入る勇気」がなくて・・・
やっと念願がかないましたヨo(^-^)o
・食後、ドゥ・マゴの隣にあります「サンジェルマン・デ・プレ教会」をこれまた初めて見学通から「ルーブル美術館」前広場まで見学 → セーヌ川沿いなど見学(ココは前にも何度も散歩しましたので慣れています、なんちゃって・・・o(^-^)o
・休憩:「Sant Severin(RER駅近くのレストラン」で、道行く人々をぼんやり眺めましたヨ o(^-^)o
・RERにてCDGのシェラトンホテルへ(預けたスーツケース受け取り) → CDG→ソウル(仁川)に向かう。 < 日付を「+1」 >
8月14日(木:仁川・名古屋・犬山とも曇り) 帰国・帰宅
・仁川→セントレア→名鉄ミュースカイで犬山、タクシーで帰宅。
帰宅後は、いつも旅行から帰りますとやる事なんですが、スーツケース・バッグ・リュックのアルコール消毒を今回は念入りに・・・
そして、靴底も消毒後石鹸で徹底的に洗って干しました。
と言うことで少々しつこい行程になってしまいましたがお許しを・・・!
では、旅行記を・・・
行程で割と詳しく書きましたので、日別の事などは省略いたしまして「スポット」に焦点を当てますね。
【仁川~パリ・モンパルナス】
・仁川空港は久しぶり、さすが広い空港である。 乗り継ぎも日本語表示もあってすんなり・・・
・仁川からCDGでの機内では「トレセンデンス(ジョニー・デップ、モーガン・フリーマン:スーパーコンピューター開発技師が負傷し彼の意識をコンピュータに植え付けると云う内容)」「ジ・アザー・ウーマン(キャメロン・ディアス:妻と二人の愛人で夫をやっつけるコメディー)」「スパイダーマン(電気を浴びてしまった技師との物語)」を見ていましたらCDG空港へ到着した。
・ご存じかと思いますが「CDG(シャルル・ド・ゴール空港)」は下の地図の如く複雑です。
(日本の空港は縦横ですっきりしているのですがねぇ!)
・入国審査があるがアメリカとは大違いでいたって簡単!\(^_^)/
私共夫婦を迎えに来ているはずの「シャトルバスの担当者(モンパルナスまで私共と荷物を運ぶサービスを予約してある)」を探したら、女性が私の氏名を「ひらがな」で書いた表示を持ってたので一安心。 (ひらがな表示とはo(^-^)o)
・迎えに来ていたのは 「EMI Traver Paris」と云う会社でパリ市内観光が主のようだ。 54人乗りのバスに3組の日本人家族がチョコンんと乗った。
・バス内で担当者の「日本女性(高校からパリなのでもう「バリバリ←パリパリ!」)」から「2EはCDGで一番大きなターミナル、CDGは成田の3倍。
パスポートなど取られないように(手続きに日数を要する)」などなど注意事項を聞いた。
・「TGV」に乗るために「切符の刻印」が必要なようですが、話が長くなりますので省略しますネ o(^-^)o
・2つ目の「ホテル(コンコルド モンパルナス」が我々が泊まるホテルだったが土砂降りになった。
・「コンコルド・モンパルナス(ホテル)」は、TGVモンパルナス駅まで5分と便利な場所でモンパルナスタワーも目の前だ。 部屋はツイン狭いが清潔だ。
・ホテルで待ち合せているはずの「ルーマニア友人ファミリー」は雨宿りしていたらしくて、午後9時過ぎにホテルへ現れて「TGVモンパルナス駅」を通り過ぎた交差点角近くにある「bez Bebert(モロッコ料理店)」へ連れて行ってもらった。
(出入り口にお客が並んでいる) ホテルから歩いて15分ほどだ。
・店では「クスクス」などのアラブ料理を注文し、83€ + 5€(チップ)を我々が支払った。
・友人ファミリーと別れて我々は「モンパルナス駅のTGVホームなどの下見」に出かけた。
まずは一安心してホテルへ戻って一泊した。
【ルーマニアの友人とは?】
・何故「ルーマニア友人ファミリー」と「パリで会いましょう(逢いましょうではないですよネo(^∀^*)o)」になったかと申しますと・・・
そのファミリーは今年4月に我が町の「春祭り」を見るために我が家に1泊しました。
その「ルーマニアの友人(女性)」と知り合ったきっかけは、「バーベキュー」です。
・その女性は「医学博士号取得」のために「名古屋大学院」へ留学に来ていました。
私が所属している「アマチュア無線クラブ」の仲間から「河原でバーベキューをやるので手伝って」と頼まれて参りました時、その女性も他の外人と一緒に来ていてお知り合いになりました。
・私共夫婦の務めが名古屋だった事もあって、たまに一緒に食事をしました。
彼女は「あなた方夫婦が私の理想の夫婦です」と言ってくれましたが・・・o(^∀^*)o
(その後、実家がお金持ちの「日本人お坊ちゃん」と結婚して、今は横浜に住んでいます。
長男がいますが、プロ野球の「ダルビッシュ投手」が子供の頃の様な顔だちをしていますヨo(^∀^*)o)
と云う訳で長くお付き合いをさせて頂いております。
(我が国に滞在している外国の方々はたくましいですねネo(^∀^*)o)
・そのルーマニアの友人が「学会があるから」とパリに滞在していたのと、私共が渡仏とがピッタリ合ったので「どこかで夕食をしましょう」ッてな訳で「パリで会いましょう」となりました。
(おっとり坊ちゃんのご主人も会社休暇を取ったのでファミリー来ていました)
【8月4日 TGVでサマロへ】
・4日朝、夫婦で散歩に出かけたが風が強かった、エッフェル塔<下に写真を・・・>が見える交差点でUターンして、ホテルのブッフェでモーニング。
・「TGV(テー・ジェ・ベ)」はJR在来線の列車ほどの狭さである事は以前、パリからアビニョンまで乗って分かっていた。 <下に車内の写真を載せました>
今回の2等席は向かい合わせ(二人がけが向かい合っている)のを覚悟していたが、アレッ! 二人掛けだったのでラッキー!
・終点の「サマロ駅(日本の表示は「サンマロ」となっています)」へ着いた。
駅では娘ファミリーが迎えに来てくれていた o(^-^)o
かkk
【サ(ン)マロ<St-Malo>について】
・「サマロ」は日本では「サンマロ」と紹介されていますが、娘たちは「サマロ」と言っていますのでここでは「サマロ」としますネ\(^_^)/
・婿のお父さんは「サマロ」の東郊外辺りで生まれたとの事。
婿のお母さんは以前にも書きましたごとく、スエーデンの金髪美人でございます\(^o^)/
「サマロ」をネットでは・・・
『サン・マロ(Saint-Malo、ブルトン語:Sant-Maloù)は、イギリス海峡に面したフランス北西部ブルターニュ地方の城壁に囲まれた港町である。
サン・マロには、イル=エ=ヴィレーヌ県の郡庁がある。
50,000人の住人がいるが、観光シーズンの夏季には、200,000人に増加する。
郊外を含め、人口は約135,000人である。』
『サン・マロの旧市街地は見事なほど城壁に囲まれています。
圧倒されるような城壁は、12世紀に建てられました。
英仏海峡からからやってくる敵から身を守るためです。
大砲が今でも置いてあったりして、城壁が造られた時代の緊張感が見られます。
サン・マロは海の街だけあって、どこか開放感のある雰囲気が漂っています。
それもそのはず、カナダを発見したジャック・カルティエなど、新大陸や新航路を発見した冒険家の船がここサン・マロから出ました。
海にロマンのあった時代の面影を見ることができるのです。』
とあります。
<下の写真はサマロとカリブの「海賊」です>
城壁には砲台も・・・
【孫】 私は2011年の洗礼式以来でございます!
・娘たちの一人息子(我々の孫)は「2010年12月」に「アメリカミネアアポリス」で生まれました。
(ふーたんは2010年の出産前から80日間渡米していましたので、私は「80日間にわか独身」でございましたヨ! o(^-^)o)
・翌2011年6月に「洗礼式」がありましたので私も渡米しました。
・ふーたんは毎年1~2度、渡米していますが私は孫が赤ちゃんの時しか見ていませんので「初対面」みたい・・・\(^_^)/
孫には「娘が日本語」、「婿がフランス語」で話しかけ、「夫婦の会話は英語」なので、孫は「トリ・リンガル(3ヶ国語が出来る)」でございまして、我々(ジジババ)と話す時は日本語で・・・
でもその日本語、「いやだ」を「いやな」と言ったり・・・ o(^-^)o
そもそも、「孫の母親(私どもの娘)」も幼少(3~5歳ごろ)の頃の言葉が・・・
「いやだなぁ」を「なー、いや」から「なー、や」と言っていましたし、「恥ずかしい」は「はだかしい」でございました ので「DNA」でしょうかねぇ!?o(^-^)o
(今でも私共夫婦間ではその「なーや」「はだかしい」をわざと使いますヨ
娘の小さい時の写真と砂浜での孫は同じような「格好」やはり「DNA」、「いやな、なー・や」!o(^◇^)o)
・サマロで8連泊する「キリアード・ホテル(下の写真)」です。
(ホテルは海岸に面しています)
【旧市街をジャランジャラン】 サマロの旧市街を2日間(8月5・6日)
・夫婦だけで旧市街をジャランジャランしました。
(婿の両親を旧市街へ誘ったが「ノン」って事でしたので・・・
やはり音楽が気になります\(^_^)/)
【ディノン(ディナン)】
・8月10日、サマロの南75km程にあります「ディノン(DINAN:日本には「ディナン」と紹介)」へまりました。
(日本では「ディナン」と案内されていますが、やはり娘たちが「ディノン」をもうしますので・・・)
・「ディノ(ナ)ン」をネットで見ますと・・・
『ディナン (フランス語、ブルトン語、ガロ語:Dinan)は、フランス、ブルターニュ地域圏、コート=ダルモール県のコミューン。
ディナンは、城塞で囲まれた都市である。
ノルマンディーとブルターニュ北西岸間の交通の要所にあたり、ディナンは主として丘の上にたっている。
イギリス海峡へ向け、ディナンから北のサン・マロへ流れる75mの川幅のランス川が市内を通過する。 』
『日本ではなかなか馴染みのないフランス・ブルターニュ地方の街、ディナン。
大戦時に戦火を逃れたこの街には中世の面影が残り、騎士や城など中世ヨーロッパの世界が好きなヨーロピアンに人気があります。
かつてディナンの町は、城壁にぐるりと囲まれていました。
しかしそれも取り壊され、今は一部だけが残っています。
そんなディナンの町を一望できるのが、15世紀に建てられた時計塔。
最上階からは、青みのかかった灰色の屋根が連なるディナンの町や緑溢れるランス渓谷の美しい景色を見ることができます。この塔に登り、澄んだ空気をいっぱい吸い込むと晴れ晴れとした気持ちになりますよ。』
とあります。
(パチリしました写真を・・・右上は珍しい「ハーディーガーディー」という楽器です)
【世界遺産・モンサンミッシェル】 親子3人で行って参りましたヨ (☆▽☆)
・8月11日(月)、親子3人でサマロから「バスの往復」でモンサンミッシェルへ行って参りました。
私は初めての「世界遺産・モンサンミッシェル」を楽しみにしていました。
・「モンサンミッシェル」もネット検索しますと・・・
『モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)は、フランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島、及びその上にそびえる修道院である。モンサンミシェルとも表記する。
カトリックの巡礼地のひとつであり「西洋の驚異」と称され、1979年には「モン=サン=ミシェルとその湾」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、1994年10月にはラムサール条約登録地となった。 』
『フランスは、世界遺産の宝庫。世界第4位に当たる39もの世界遺産を保持しています(2014年)。
そんな世界遺産天国のフランスで、その代表格といえるのが、今回ご紹介する「モン・サン・ミッシェル」です。
その姿はあまりにも美しく、「西洋の驚異」とも称されています。 美しすぎる修道院、モンサンミッシェル。
フランス北西部ブルターニュ半島。 北はイギリス海峡、南は大西洋に面したその半島の付け根にモンサンミッシェルは聳えています。
その始まりは、今から1000年以上前。 8世紀、岩山の上に初めてキリスト教の聖堂が建てられ、以来、建造、崩壊、修復を繰り返し、13世紀にはほぼ今の形になったと言われています。
モンサンミッシェルとは、「聖ミカエルの山」という意味。
ある日、一人の司教の夢に大天使ミカエルが現れ、岩山に礼拝堂を建てるよう告げたという伝説が残っています。
修道院の頂点(尖った屋根の先)には、黄金のミカエルの像が立ち、今も人々を見守っています。
時代の波に翻弄され、幾度かその役割を変えることとなったモンサンミッシェル。
14世紀に勃発したイギリスとフランスとの百年戦争の際には城塞となり、18世紀のフランス革命後にはなんと監獄としても使われました。
その後、フランスの文豪たちが美しさを賞讃したことをきっかけに修道院としての役割を取り戻し、現在もカトリックの聖地として圧倒的な存在感を放っています。
見る者を圧倒するあまりの美しさから「西洋の驚異」とさえ称されるこのモンサンミッシェルは、世界各国から年間300万人もの観光客が集まる、
フランスを、ヨーロッパを代表する世界遺産です。』
などなど・・・きりがありません。
・では、皆さんもご一緒に「世界遺産・モンサンミッシェル」へ参りましょうネ\(^_^)/
サマロからのバスのチケットは事前に娘が買ってくれて我々の分を渡してくれていた。
サマロからしばらく走った頃、娘から「ここがお義父さん(婿の父)の故郷」と教えてくれた。
・40分程でバスが終点のモンサンミッシェルに到着。
シャトルバスでモンサンミッシェル手前まで行くともう人だらけであった。
・娘は既に2度来ていて今回で3度目、裏道もよく知っいるのでお蔭で効率よく回る事が出来た。 (修道院内へは長蛇の列だったので諦めたが)
・また、「卵をシェーク」する事で有名なレストラン「La Mere Poulard」での昼食を12:15に予約してくれた。
(さすがに娘は抜け目がない! 大正解! 食事時刻では混んでいたので・・・)
・午後に再度、修道院へ向かったがさらに列が長くなっていたので、やはり中へ入りのは諦めた(/Д`)
・「モンサンミッシェル」が引き潮で周りの「泥」が露出するためかどうか、もう臭くて臭くて・・・(/Д')
皆さん! モンサンミッシェルへ行く時は「満潮時」を狙ってくださいネ (o^-^o)
(パチリしました写真を・・・)
【再びパリへ】 婿の運転で・・・
・8月12日、婿の運転でパリの空港内ホテルまで送ってもらいました。
長くなりましたので、以降は「その2」へ・・・
(そうそう、「旅行中の食事」や「北フランスの言語(フランス語だけではないようです)」も書いていませんので「その2」でネ!)-
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