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  • from: 坪井さん

    2012年06月27日 22時00分41秒

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    「Re:Re:Re:講座 坪井の歴史」

    <font size="3"> 最終回は本日無事終了しました。坪井の話の最後は、坪井小学校校歌を作詞した斎藤信夫先生のお話。うまく話せませんが、この話が一番好きなのでいつも最後に話します。

     講座 坪井の歴史「坪井れきしさんぽ」よもやま話 レジメ
    1 地方史へのいざない
    2 坪井れきしさんぽ  
     ① 坪井には嫁にやるな
     ② 坪井城ってほんとにあったの?
     ③ 庚申塔って何処の石? 
     ④ 坪井の史跡と民族芸能
     ⑤ 坪井の人々
     ⑥ 豊富の史跡
     ⑦ おわりに

     資料: 坪井自治連合会編「坪井れきしさんぽ」

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  • from: 坪井さん

    2012年06月23日 00時03分34秒

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    「Re:Re:講座 坪井の歴史」

    <font size="3"> 坪井公民館主催「坪井の歴史」3回目は千葉県文化保護協会理事で船橋市史の編纂をしていた木原律子先生。先生には千葉歴史学会民族部会で教えていただいている。今回は船橋の仏像の話。正延寺・五智如来座像、海神念仏堂・阿弥陀如来像が平安の作という。
     私の写真集に海神念仏堂の阿弥陀如来像があった。どろめんこのルーツ探しで海神に行った時、海神念仏堂で撮った写真である。念仏堂を覗いていると、向かいの家でおばあちゃんがこちらを見ていた。訪ねてみると、念仏踊りの写真を見せてくれた。
     「もう歳で着物は着れない。坪井はまだ子安講があるんだよね。海神はもう止めたよ。」と寂しそうに話してくれた。海苔の漁業権を買うために、だんなさんが向かいの肥舟屋で働いていたこと、このへんの漁師は埋立ての漁業補償金を貰って廃業したが、お金はみんな酒やギャンブルで使い果たし、この地を去ってしまったことなどを話してくれた。漁業補償金で村の行事が出来なくなった「限界集落」であった。


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  • from: 坪井さん

    2012年06月14日 22時32分45秒

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    「Re:講座 坪井の歴史」

    <font size="3"> 坪井の歴史2回目が開催された。講師は前回に引き続き綿貫さん。テーマは坪井周辺の明治の歴史であり、軍隊の話が中心であった。
     講義中、鉄砲の弾の写真が回覧された。名前は。西郷弾、屯田兵弾、赤弾、小銃弾と表示されている。小銃弾とは、30年式銃と三八銃。赤弾が村田二十二年式銃の弾である。
     岩佐家所蔵の屯田兵弾を借りてきて計った。重量は27g、口径は11mm。「日本の軍用銃」に記載されている村田十三、十八年式銃の弾であった。
     残る西郷弾。薩摩藩が仕入れたエンフイールド銃の弾であり、戊辰戦争で薩長が勝ったのは、この銃によるところが大きい。西南戦争は西郷軍が政府の倉庫を襲ってエンフイールド銃を人手し、この戦が始まった。
     明治維新の弾が船橋にあるということであれば、船橋・市川戦争の弾か。官軍は、鎌ケ谷宿を朝出発し、途中、数度の戦闘を交えながらも昼には船橋大神宮に本陣を構える旧幕府軍と戦う。大砲を引きながらこの速さで行軍できるということは、野戦では官軍の小銃にかなわなかったということであろう。船橋市内では激戦になり、民家に隠れる旧幕府軍に手を焼いた官軍は町に火を放った。旧幕府軍は成田街道を大和田方面に敗走したという。

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  • from: 坪井さん

    2012年06月07日 00時03分56秒

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    講座 坪井の歴史


    <font size="3">齋藤その女
    坪井公民館主催 講座「坪井の歴史」が始まった。今日は船橋市史編纂者の綿貫先生。私は地名研究会の分担で大穴を調査したばかりだったので、江戸の坪井周辺のお話はとても参考になった。大穴の石高が103石のときに、斎藤安兵衛は150石だったそうな。幕末にはこの地の牧士を務めた斎藤五郎兵衛を凌ぐ勢いであったという。その娘「斎藤その女(じょ)」は、俳諧をたしなむ家風の影響を受け、小林一茶など広く諸国の俳人と交友があった。大穴の西光院にあるその墓は唐破風付きの高さ2mを超える大きな墓が二基。夫の没後、その女がどちらも建立しておいたという。苗字帯刀を許されていた名主とはいえ農家。四谷界隈の大名墓より大きな墓であることに驚嘆した。

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