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  • from: 宗吾台さん

    2011年10月31日 14時48分37秒

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    「Re:獅子舞 Ⅲ」
    獅子舞について大分深くなってきましたね。 神社の祭礼のためではなく、農耕儀礼のためということですが、面白い見方だと思いました。とすると、神社の前で行うということにどのような発展があったのでしょうか。オビシャのことと絡めて興味があります。都心部にその風習がないのは…というところは、勝手あったが都市化によってその必要もなくなり、あるいは必要とする人がいなくなったと説明したほうがよいと思いますますますの研鑽を楽しみにしています。滝口昭二

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  • from: 坪井さん

    2011年10月30日 19時23分54秒

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    獅子舞 Ⅲ

    <font size="3"> 「房総の祭事記」によると、行事の名称は、北総、上総はほとんどの場所で獅子舞と呼び、作祭(豊作祈願)、悪疫祓いのため踊られる。安房ではその太鼓から羯鼓(カッコ)舞いと呼び、厳しい気候からか全て雨乞い行事である。
     千葉県内106箇所で行われていた三匹獅子舞の奉納場所は、神社77、寺8と神社がほとんどであり、坪井のように神社・寺両方を回る地域も10箇所あった。
     安房の沿岸といえど三匹獅子舞を行うのは百姓であり、多くの場所で農耕儀礼として村の鎮守さまに豊作を祈願するために行われていた。古野清人著「獅子の民族」によると、三匹獅子舞は神社の祭礼のために獅子舞を出すのではなく、部落の農耕儀礼のために寺社に参拝する。
     東京では、三多摩にあって、東京都の中心部にその風習がないのは、三匹獅子舞が農耕儀礼だからであろう。


    *印西市別所の三匹獅子舞「房総の歳時記」

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  • from: 坪井さん

    2011年10月25日 06時30分01秒

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    「Re:Re:Re:獅子舞 Ⅱ」
    図書館でとてもいい写真と出会いました。白浜の海女祭りの写真です。
    *先週は三菱UFJ環境財団の里山活動で群馬県の水上に(→北総里山倶楽部)
     獅子舞の続きは30日の予定です。

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  • from: 坪井さん

    2011年10月20日 06時19分31秒

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    「Re:Re:獅子舞 Ⅱ」
    「房総の祭事記」はすばらしい資料だと思います。大杉様の祭りを行っている地区もあり、一度行ってみたいと思っています。
     獅子舞の文献は少なく、図書館で探すのも一苦労です。最近ほとんど貸出中。借りたのは私のブログを見た方でしょうか?

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  • from: 宗吾台さん

    2011年10月17日 15時09分42秒

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    「Re:獅子舞 Ⅱ」
    詳しく調べましたね。なかなか参考になります。獅子舞はこのところ神社の境内で行われるのですが、あれは神社のご祭神に奉納するものだからでしょうか。それとも、本来は村の辻あるいは田のヘリで行うものでしょうか。疫病を防いでくれるのは鎮守様でしょうから獅子踊りなどはいらないと思うのですがいかがでしょう。本当は神社と関係のない土俗的な発想で行われたのではないかというのが私の考えなのです。単なる農村のリクリエーションではないことは確かですが。

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  • from: 坪井さん

    2011年10月17日 01時03分40秒

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    獅子舞 Ⅱ

    <font size="3"> 古代オリエントの霊獣であった獅子は文殊菩薩などの仏の乗り物として、仏教によって日本に伝来した。同様に日本に伝わった狛犬。神社では、神社側から見て左に獅子、右に高麗(狛)犬を置き、異界との境界を守っている。阿吽(あうん)の呼吸という言葉があるが、「阿」と口を開いたのが獅子、「吽」と口を閉じたのが高麗犬。唐獅子と言われる獅子がなぜ左かというと南を向いた時、太陽が昇る東を上位、つまり高麗より唐を上位としたという。日本を上位とする思想もここにあるそうな。
     獅子舞は、伊勢の国で飢饉、疫病を追い払うために獅子頭を作り、正月に獅子舞を舞わせたのが始まりといわれ、17世紀に伊勢より江戸へ上り、悪魔を払い、世を祝う縁起ものとして江戸に定着し、祝い事や祭り事で獅子舞いが行われるようになった。獅子舞が日本の各地に急速に広まったのは、室町時代から江戸時代の初期のころに、江戸大神楽師、伊勢大神楽師と呼ばれる団体が全国を獅子舞を踊りながらまわり、悪魔払いをしたのがきっかけであると言われている。
     獅子(ライオン)のほかには、狛犬型、龍頭型、猪型、鹿頭型、虎頭型もある。獅子頭につけた胴幕の中に二人以上の人が入って舞う「二人立ち獅子舞」は、大陸から伎楽の一つとして伝来したもので本州中部以西の西南日本に多く、神楽系といい、獅子頭の形は狛犬型である。関東・東北地方などで行われているのは、鹿舞〔ししおどり〕と呼ばれるもので、風流系といい、鹿の頭をかぶり胸に太鼓を付けた一人立ちの舞いで、太鼓を打ちながら踊る。
     三匹獅子舞は千葉県では106地区で行われていた。インターネット「房総の祭事記」には、県内の郷土芸能と民族行事が掲載されており、神楽系も含め123地区の獅子舞が紹介されている。坪井のお隣の八千代市佐山の獅子舞の紹介が興味深い。「吉橋の獅子はクーダレシシ(糞たれ獅子)、桑橋の獅子はエビジシ(海老獅子)、平戸と島田の獅子は頭を包むところを竹籠状に編んであるので籠獅子、麦丸の獅子はマナズジシ(鯰獅子)・・」 坪井の獅子頭も籠獅子であった。
     印西市鳥見神社の三匹獅子舞の由来は、北畠顕家の軍に従い、河内の天王寺、摂津の渡辺等で北朝の軍と戦った武士の残党が、この地方に来て社人となったが獅子頭はこの時に持参したものという。坪井の齊藤家で聞いた南朝方落ち武者伝説を思い出した。


     *佐山の三匹獅子舞(房総の祭事記より)

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  • from: 宗吾台さん

    2011年10月09日 18時40分36秒

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    「Re:Re:Re:獅子舞 Ⅰ」
    私の考えでは「谷当」というのは「ヤト」で、 漢字では「夜刀」とかき、まさに谷の神様です、実体としては「蛇」です。蛇は湿地を好み、谷津の奥の湧水地によく出るので、それを水を授ける神、水を守る神としてとらえ自分たちの生活の重要な資源ですからヤト神を大切にあがめてきたのです。「夜盗が出るから」というのはふざけて説明したものが伝わってきているのでしょう。
    狛犬は本来角が1本です。角がないのは本来獅子を指します。船橋で角がある狛犬があるのは二宮神社の狛犬です。階段を上った所にある古い狛犬を見るとわかりますし、日光東照宮や京都の大きな神社の狛犬はすべて角があります。狛犬は「高麗」とも書くように朝鮮半島から入ったものですから、もちろんその先は中国であり、中近東といわれています。この辺も並べてみるとよいかもしれません。

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  • from: 坪井さん

    2011年10月09日 17時44分10秒

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    「Re:Re:獅子舞 Ⅰ」
    谷の話は、千葉市の「谷当」を調べていて気がついたことです。この地の地主さんがこの地区は夜盗がでるような草深いところだったのが地名の由来と聞いているとのことでした。「谷当」について情報がありましたら教えてください。
    先日台湾旅行をしたのですが、行天宮の狛犬(?)や免税店で見た陶器の獅子が一角だったことに感動。坪井の無いもの文化論「獅子舞」は東洋史と関係する興味深い話題でした。



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  • from: 宗吾台さん

    2011年10月08日 21時13分02秒

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    「Re:獅子舞 Ⅰ」
    獅子舞については船橋は二通りの伝達の筋があります。谷津方面と印西方面です。それぞれに特色があり、追ってみると面白いと思います。それと日蓮宗の安養寺も真言の西福寺も回るというところが、興味深いですね。両信徒は宗教に関してはお互いに干渉せず、村仕事は一緒にやるという話を聞きました。獅子舞についてはどのような考えからでしょうか。
    それと谷津の話も面白いですね、「谷」は「ヤツ。タニ。ヤ。サク」という種類の読みがあって、地域的特色を持っています。下総地方の谷は大地に刻まれた谷底を谷津といいそこに作られた水田は谷津田です。基本的には最終氷期に作られた谷で、6000年前に海進があったときの堆積物で湿地状態となり、今回の地震では大きな被害をもたらしました。私たちのように比較的古くからいる人はヤツの底に家を作るなどということは避けてきたのですがね。
    できれば両方とももう少し調べて投稿してください滝口昭二

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  • from: 坪井さん

    2011年10月08日 06時42分54秒

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    獅子舞 Ⅰ


    <font size="3"> 坪井には獅子舞行事があった。大神保、金堀、楠が山、坪井で行われていた三匹獅子舞である。安養寺と西光寺が交代で最初に踊る年番寺となり、子安神社、泰山堂、白山権現の順に舞い、最後にまた年番寺で終わる。翌2日は花流しとなり年番で午後から花の舞いを舞い、ハナを各家庭に配る。
     その獅子頭は船橋郷土資料館に残っている。3つの獅子頭はかなり古いが迫力がある。角はねじり角、剣の角、小さな一角のもの。小さい一角の獅子が雌とのことだったが、この獅子だけが剣歯がない。ねじり角があるものは鼻の穴が巨大で印西の獅子頭とほぼ同じである。南総の獅子頭はこれほど鼻の穴は大きくなく角がないのが多い。
     当時踊り手だった人は今も健在で、踊りの最後のセリフは「天下泰平」であったという。笛の吹き手がいなくなり、昭和39年、村は獅子舞を辞めた。踊りは体力が必要であり15才から40才までの跡取りの長男がやっていたが、伝承できなくなったのは高齢でもできた笛の方が先だった。

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    坪井

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