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  • from: 坪井さん

    2014年06月24日 21時10分27秒

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    坪井城の城壁

    坪井近隣公園北側が開発中である。場所は坪井城の東城壁の付近。竹林が伐採された現場には、斜面の中腹を削り取って作られた垂直な城壁が坪井川に沿って続く。中世の城壁の造り方がよくわかる。北条との戦に備えた吉橋方の鼓動が聞こえてきそうである◆坪井近隣公園の調整池北端から城へ上がる曲がりくねった細い坂道は、いかにも上から矢を射かけられるような城の虎口◆その坂道の北側、城壁の下は方形の平地となっている。工事現場の斜面に祠があった。祠横には八幡宮寛保元年岩佐傅右衛門と。ここに屋敷があり、この祠を屋敷神として祭ったのであろう◆「あの木も小さかった。子供のころ遊んだ場所。一つひとつ歴史が消えていく。」祠を案内してくれた岩佐さんは、土埃が舞う工事現場に立ち、しみじみとつぶやいた。
     *傅右衛門とは、醤油屋や酒屋の屋号だという。本家の屋号は酒屋である。




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  • from: 坪井さん

    2014年06月06日 20時17分58秒

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    八千代の醤油屋

    ◆八千代市保品に大きな醤油樽を庭に置く家があると聞き訪ねた。広い敷地の中心にどっかと大きな木の樽。ご主人の清宮弘行氏は四期県会議員として、この地区の耕地整理などで活躍した。庄屋として佐倉城主の堀田様を向かえた清宮家。墓地には御堂と百二十もの墓石が整然と並ぶ◆醤油樽は三十石のが五十樽、四五石のが五樽この庭に並んでいたという。大豆、小麦を調達し、醤油を年2回仕込む。佐倉からたくさんの樽が見えたと言って醤油を買いに来る業者もいれば、こちらから新宿の先までトラックで売りにいったこともあるという◆八千代地域では大豆の生産が多く、幕末のころから醤油醸造が行われた。保品の清宮家のほかに、大和田の雑賀、米本の今井が大醸造家であった。八千代や坪井の地は、米作だけでなく、後に放牧地とされた広大な台地での大豆、小麦の畑作が、農業として成り立つ豊かな地であった。

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