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  • from: 坪井さん

    2010年08月29日 21時57分53秒

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    石の旅 黒曜石2


     <font size="3">黒曜石は、マグマが地表近くで急速に冷えて固まった火成岩。その中で二酸化珪素が多いディサイト、流紋岩がガラス化したものを黒曜石と呼ぶ。
     旧石器時代は地表に見える原石を掘り出し、その場で加工した。縄文時代になると鉱山を掘り、そのまま出荷され、加工は生産地に移った。
     坪井の源七山で発掘された石器は1,385点、黒曜石は644点で信州産と栃木の高原山麓のものがあった。坪井の石器は、それらの産地から物々交換の旅の果てに坪井に来た。消費地で複数の石器の割れ目が一致するものがあった場合は、その場で加工されたものと判断するそうな。剥片のうち使用痕のあるのが116点、二次加工のある剥片が54点というのも興味深い。
     使用痕があるものが少ないのは、坪井の原住民は狩りがへただったのか、いろいろ買っても愛用品しか使わなかったのか、石器自体が貨幣の役目を持っていたため、たくさん持っていたのか、つまり坪井の原住民は金持ち、いや石持ちだったのか、想像するのも楽しい世界である。(右坪井発掘図の赤い印の場所が石器発掘場所)

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    坪井

  • from: 坪井さん

    2010年08月22日 22時49分58秒

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    石の旅 黒曜石


     <font size="3">黒曜石に会いに信州へ行く。諏訪では、今年は七年に一度行われる諏訪大社の御柱の年。この地には明治大学研究所があり、大きな黒曜石の塊がごろごろと展示されていた。研究所の地には黒曜石体験ミュージアムという施設もあり、体験室で子供たちといっしょに黒曜石でペンダントを制作した。
     信州の和田峠・霧ケ峰・男女倉・麦草峠などの黒曜石は、広く関東の遺跡から発掘される。旧石器時代の源七山遺跡(東葉高速鉄道船橋日大前駅周辺)から発見されたヤジリも坪井地区埋蔵文化財調査報告書によると信州産のものがあると記載されている。研究所に展示された黒曜石も、ペンダントの材料の黒曜石も、坪井の源七山遺跡で発見された黒曜石と同じであった。
     山道で黒曜石と出会う。路肩で黒く光る細かな石は、やさしく我々を見送ってくれた。


       [坪井で発掘された黒曜石 (坪井地区埋蔵文化財調査報告書)]

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    坪井

  • from: 坪井さん

    2010年08月13日 14時59分58秒

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    神田川


    <font size="3"> 新宿区が出版した「新宿文化絵図」に「神田川に歌われた銭湯」というコラムがあった。
     昭和40年代後半にかぐや姫が歌ってヒットした「神田川」。その歌に登場する銭湯「安兵衛湯」は西早稲田3丁目に実在した。作詞をした喜多条忠さんが通った銭湯である。
     新宿歴史博物館でその地図を探す。昭和34年の住宅地図を見ると戸塚第一小学校前にその銭湯はあり、なぜか赤鉛筆で塗りつぶされていた。このコラムの筆者のしわざか。新宿区に原稿依頼されて、この博物館で調べ物をした形跡が残っていた。

      いっしょに出ようねといったのに 
      いつも私が待たされた
      洗い髪が芯まで冷えて
      小さな石鹸かたかた鳴った 
      あなたは私の体を抱いて 
      冷たいねっていったのよ


     せつない愛を受け止める詩人は、本当は、銭湯でいつも自分の部屋にはないテレビを見ていて、彼女を待たせたそうな。
     この周辺は早稲田大学に近いため、アパートや下宿屋が多く、銭湯も200mごとにあった。窓の下には神田川 と川沿いの三畳間の下宿屋で、同級生の彼女と、貧しくも美しい同棲生活を歌う。
     確かに銭湯の北には神田川が流れているが、直線距離で250mとやや遠い。さらに、当時の住宅地図を見ると、川沿いは工場地帯でアパートはない。
     でも、「神田川」の詩は喜多条さんの作った世界であり、事実と異なっていてもなんら問題はないであろう。

     若かったあのころ、何も怖くなかった
     と学生デモから帰ってくると、カレーライスを作っていた彼女の後ろ姿に
     ただ、あなたの優しさが怖かった
     と自分の夢とやさしさとの戦いを歌う。そして、彼は実生活ではギャンブルに走り、学費滞納で早稲田大学を中退してしまうのである。これは問題である。

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    坪井

  • from: 坪井さん

    2010年08月07日 15時31分50秒

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    淀橋


    <font size="3"> 新宿区と中野区の境を流れる神田川。この川に架かる青梅街道の橋を「淀橋」という。新宿西口の地名でもあった「淀橋」という名は家光が命名したと言われるが、古くは「姿見ずの橋」と呼ばれた。
     長者様が下男を連れて金を隠しに行った帰りに、この橋で下男を殺し川に投げた。
     その後も長者様と出かけた下男は何人も帰ってこなかった。いつからか、この橋は姿見ずの橋と呼ばれた。
     この言い伝えを知っていたらカメラ屋もその橋の名を社名にしなかったであろう。いや、そのカメラ屋は同業者を蹴散らし、いま業界の長者様になった。下男にはなるまい。

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    坪井